エピソード30 別れの詩(うた)

11/13
前へ
/228ページ
次へ
* * *  目の前には、闇が広がっていた。  辺りはとても静かで、  まるで『死』そのもののようだ。  立ち尽くしていると、  白銀の雫がひとつ天から降ってきて、  水面が震えるように闇が揺れた。  その白は次第に大きくなって、  一匹の狼になる。 「……本当に貴様は、俺がいないと何も出来ないようだ。  二言目にはすぐ弱音を吐く」  狼はそう言うと、  ゆっくりとした足取りで僕に歩み寄ってきた。 「貴様は、強くなったのだろう?」  こちらを見上げて、不遜に鼻を鳴らす。  僕は、その澄んだ眼差しを見つめ返した。 「今更、何の用だよ」 「力を貸してやる」 「いらない」 「なっ……!?」  即座に応えると、狼は大きく目を見開いた。 「意地を張っている場合か。  貴様は今がどういう状況か判っているのか!?」 「意地を張ったのは、お前だろ」  こんな話をしている場合ではないのは分かっている。  それでも言わずにはいられなかった。 「勝手に身を引いて、バンさんを悲しませて……  お陰で僕は、欠けたままだ」 「何を言い出すかと思えば。  力を貸してやることはできても、もうひとつには戻れない。  前も言っただろう?  生憎と、俺はもう貴様ではないんだ」 「そうだね」  ひとつ嘆息する。  次いで、僕はしゃがみ込むと彼と視線を合わせるようにした。 「僕らは、元はひとつだった。  それが、ふたつに別れ、変質した。  お前の言う通り、もう、ひとつに戻ることはできない」  そっとその毛並みに手を伸ばす。  それからバンさんがよくするように、彼の口元に触れた。 「でも、別の何かになることはできる」 「別の何か?」 「ずっと、考えていたんだ。  僕らの解決方法は、本当にどちらかが消えなくちゃならないのかって。  それが正しいのかって。  何度も何度も問いかけたよ。でも、やっぱり納得できなかった」  一度、言葉を切る。  改めてソイツを見つめる。不思議と心は凪いでいる。 「僕はお前を好きだと思ったコトなんてない。  むしろ、ずっと憎んでいたくらいだ。  でも、やっぱり僕らはこの関わりを断つことは出来ないんだ。  ふたつに分かれたとしても、僕らは元はひとつで、  それが僕とお前の形だ。……どちらかが消えるだなんて間違ってる」 「何が言いたい?」 「僕は、僕でなくなることを恐れたりはしないってこと。  僕は――変わりたい」 「はっ、貴様は……貴様自身を捨てると言うのか」  これが、僕の……考えて、考えて、導き出した答えだった。  絶対に、ひとりではこんな風に想うことはなかっただろう。  でも、僕にはバンさんがいた。  丸ごと愛してくれる人がいた。信じてくれる人がいた。  静かに、見守ってくれる彼がいたから、  僕は恐れずに進むことができるのだ。変わることができるのだ。 「シロ。お前に僕の全てをくれてやる。  だから、お前の全てを僕にくれ。  バンさんと一緒に生きてくために。未来を掴み取るために」  狼は――シロは、視線を落として思案げにした。  それから、ククッと喉奥で笑う。 「……貴様は、弱いくせに思い切りばかりいい」  顔を上げたシロは、僕の手に頬を擦りよせるようにして、  楽しげに目を細めた。 「分かった。  消えるのはやめよう。諦めるのもやめよう。  共に掴み取るぞ――ユリア」 「ああ」  視線が交錯すると、光が弾けた。  触れ合った先から身体の輪郭がぼやけて、きらめく欠片になる。  やがて、僕の全てが光の螺旋に飲まれていった。 * * *  ゾワリと背中が、泡立った。  頭の中に、わんわんと警鐘が鳴り響き、  俺は勢いよく、人狼青年を振り返る。  するとーー 「……なに?」  そこには、ゆっくりと立ち上がる青年の姿があった。  さっきまで指先ひとつも動かせず、憔悴した様子だったのに。  加えて、何だかまとう雰囲気が違う。  飴色の髪の一部が、白銀に変わっていて、  よく見れば、目も片方の瞳が煌々と赤く輝いている。 「……何処に行くんです?  まだ、僕は立ち上がれる。何も終わってない」 「しつこいねえ。まだ痛めつけられたいだなんて、  キミってとんでもなくドMなの?」 「言ったはずですよ。  僕はあなたを倒して過去と決別するって。  あなたには、僕の未来の礎になって貰わないと。  それに……僕の友人も返して貰っていませんし」 「しつこい男は嫌われるよ?」 「あなたに嫌われても、何のダメージもありませんから」  すまし顔で告げる彼に、口の端が引き吊る。  何なのコイツ。さっきまでボコボコにされてたクセに。  現状分かってる? イメチェンして調子乗っちゃったの?  ってーか、俺はまだその大事な友人の皮をかぶってるわけで。  やり直したって、お前、俺を傷付けられないだろ。 「あ~~~…………もう、いいや。もう、いい。  ――お前、ミンチの刑な」  後で苦労するかもだけど、細々にして、ズタ袋に入れて持って帰ろう。  ハイ、決定。  俺は軽く胸の前で両手を交差させると、  手先に力を込めて、爪を伸ばした。
/228ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2152人が本棚に入れています
本棚に追加