エピソード30 別れの詩(うた)

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 床を蹴り懐に入ると、  回転をきかせて、斬り込む。  けれど、目測を誤ったのか人狼青年を通り過ぎてしまった。 「およ?」  俺は不思議そうに伸びた爪先と青年を見比べてから、再び飛びかかる。 「ハッ……!」  てっきり、こちらの爪を剣で弾き返すかと思えば、  彼は獲物を手放した。  そして――俺の目の前から消えた。 「えぇっ……!?」  背後に気配を感じた刹那、足払いを食らって視界が傾く。 「ぅおわっ……!?」  ついで、彼は俺の腕を掴むとひねり上げた。 「いっ……! いたたっ、痛いっ!」  今度は本当に見えなかった。何も。  コイツ、どうやって俺の後ろに回った? 「離せ――」  振り仰げば、冷たい眼差しにギクリとして、  胸がぎゅうっと苦しくなった。  これは……この感情は、まさか恐怖?  俺が怯えている?  ありえないだろ。  今まで、数え切れない夜を遊び暮らしてきた。  数え切れないほどの獲物を狩ってきた。  高揚することはあっても、  こんな風に指先が冷たくなるようなことはなかったのに。 「あなたはもう、僕の敵じゃない」  何があったかは知らないけど、今の青年は俺が今まで会った誰よりも強かった。  だから、彼の身体が欲しいんだけれども。  でも一方で、本当に彼を手に入れられるのか心配になってきた。  心配?  さっき押されていたのは、ふたりを相手にしていたからだ。  今は、彼にとって不利な皮も被っているし、  万にひとつも負けるコトなんてない。  ない、はずなのに。 「敵わないだなんて――ありえないでしょーよ!」  掴まれた腕を犠牲にして、身体を捻り顔へ回し蹴りを繰り出す。  拘束からは解放されたものの、  足に期待した衝撃はなく、俺はむなしく床に着地した。  再び、躍りかかれば、  今度は軽々と腕を掴まれ、投げ飛ばされそうになる。  けれど床に背を打つ瞬間――捕まったネズミみたいに宙ぶらりんに持ち上げられた。  頭が揺れて、視界がブレる。  手も足も出ないとは、このことだ。 「わかったでしょ? 何をしたって無駄なんですよ」  そう言って、彼は手を離し、  俺は床に尻餅をついた。  追撃はなかった。  ここまで力量の差があれば、その必要もない。 「……俺が死んだら、この身体も灰になるよ。いいの?」  その時、咄嗟にそんな言葉が口を突いて出た。  俺はフラつきながら立ち上がり、青年を振り返った。 「お前、本当はコイツを失う覚悟なんて出来てないだろ。  友達だもんなァ?」  ピクリと青年の眉が揺れる。  俺は確信した。  結局、彼は俺をひとつも傷つけることができないのだ。 「……」  じりじりと間合いを計る。  力では敵わないのは認めよう。仕方ない。  でも、まだ諦めるには早い。  俺は指にはまった赤い石に意識を向けた。  この光を青年にかざすことが出来れば、一発逆転も夢じゃない。 「見逃せば、この身体は返してやるよ。  お前にももう近づかない。約束する」 「そんな話、飲めるわけがないだろ」  俺は鋭く伸ばした爪を自身に向けた。 「……よく考えた方がいいよー、青年。  俺には後がないんだ。どーせ死ぬなら、お前が1番嫌がることをして死んでやる。  例えば、お友達のカワイイ顔をぐちゃぐちゃにするとかさ」  爪を顔に食い込ませた。  プツリ、と薄い皮膚が破れて血が流れる。 「やめっ……」  僅かな動揺。それで十分だった。  俺は指輪をかざした。 「……っ!」  赤い光が弾ける。  息を飲んだ気配に、俺は口元を歪ませた。  指輪の効力は、床に転がるナカマが実証済みだ。  しかし――  パリンッ!  甲高い音を立てて、  指輪にはまった赤い石が割れた。  ウソだろ。  なんで、このタイミングで……ッ!  身体が凍り付くが、すぐに思い返す。  隙は一瞬でもできた。  それなら、首を一突きして青年の動きを止められる。  殺さなくても、それさえ出来れば――  俺は捨て身で懐に飛び込んだ。    ハッとした青年の動きが、コマ送りで見えた。  こちらの攻撃を予測して身構えるが、その瞳には苦しげな光が滲んでいる。  やっぱり、コイツは俺を傷付けられない。  甘ちゃんめ。  どんなに強くても心がついていないなら、世話はない。  この勝負、やっぱり俺の勝ちだ。 『させない』  その時、身体が痺れたように動かなくなった。  な、なんだっ……? 「ヴィンセント!」  唇が俺の意思を無視して、声を発する。 「なに寝てるんだよ。  まだ、生きてるんだろう!?」  は? なに? 何が起こってる? 「さっさと起きて、ボクを殺せよ!!」 「せ、セシル……?」  戸惑う青年のすぐ後ろで、  蹲っていた影が、ピクリと震えた。  それから――何度か失敗しながら――ゆらりと起き上がる。  あの男、まだ動けたのか。  呪いを嫌って致命傷は避けたとは言え、  人間が動けるような出血量じゃないのに。  そいつは、血に濡れた足を引きずってこちらに歩んできた。 「ユリア、遅くなってごめんね。  キミに、嫌な思いをさせるとこだった」  息を飲む青年の隣で、  元処刑官の男は、床に放られていた銀の剣を拾い上げる。  男が俺の目の前に立つと、  指が勝手に動いて、胸を示した。 「ここ。ここに、ヤツがいる……外さないでよね」  鎖骨の辺り――俺が居すわる場所だ。 「……ああ」  男が剣を構えた。  ちょっ、待て待て待て! 「ああ」じゃねーよ!  斬る気か?  お前、コイツの恋人だろう?  なに殺そうとしてるんだよ!? 「ヴィンセントさん!? 何してっ……  絶対にダメだっ!!」  青年が男の腕を止める。  そうだ、もっと言ってやれ青年! 「ユリア……言った、だろう。  俺たちは……覚悟を、決めて……ここにきた、と」 「てすがっ……」 「コイツを、今逃せば……  また大勢の人間が、死ぬ。お前もまた狙われる……」 「それでも、僕は……僕は……っ」 「過去と決別したいのは……俺たちも一緒だ……」 「…………」  お、おい。何で手を離す?  まさか納得したのか?  お前の大事な友達を殺そうとしてるんだぞ?  本当にそれでもいいのかよ!? 「セシル」  男が俺に向き直る。  や、やめろ。  やめてくれ。 「……よく、頑張ったな」  静かで、優しい瞳が俺を射た。  きらめく銀の刃に、ロウソクの明かりが揺れ――  やがて、躊躇なく切っ先が振り下ろされる。 「……!」  耐え難い痛みに悲鳴が溢れ出た。  だが、それでも俺は諦めなかった。  なぜなら、男の目はほとんど見えていなかったから。  たぶん、血を流し過ぎたせいだろう。  そして、幸いなことに……人狼青年は、コチラから顔を背けていた。  噴き上がる血飛沫。  小さな身体が傾く。  剣先に真っ二つにされる刹那、  俺は流れ出る赤に身を潜めて、ガキの身体から転がり出た。  やっぱり、俺はツイている……!  時間はかかるだろうが、逃げられる。  床に着地した俺は、  脇目も振らずに走り出した。  血でぬめった床は移動しづらかったが、  前に進めない程ではない。  今は出直そう。命あっての物種だ。  逃げて、適当な身体を手に入れて、  必ずお前らに会いに来る。  この屈辱を果たすために。  なんてことを考えていた俺は――  いつの間に現れたのか、  見覚えのないブーツにぶつかった。  視線を持ち上げて、息を飲む。  ブーツの主は、人狼青年の心臓を持つ男だった。  なんで、コイツがここにいる?  お前は、奥の部屋にいたんじゃなかったのか? 「お前――」  ソイツは訝しげに俺を見やってから、目を見開き、  即座に、手にしていた抜き身の剣を、俺に――
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