エピローグ 最果ての約束

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* * *  珍しい異国の料理を口に運びながら、  僕は始終圧倒されていた。 「覚えてる、お兄ちゃん? これ、よくお母さんが作ってくれた鶏肉のリンゴ煮」 「悪い、オレの舌にこんな美味いもん食べた記憶はねぇ……  というか、オレが食ったことあるのは、リンゴの鶏ガラ煮だ……」 「ほら、言ったろ。逆なんだよ」 「えー本当に!? でもじゃあ、どうして私、鶏肉食べた記憶があるんだろ……」 「つまみ食いしてたんじゃないのか?」 「そ、そんなことしないよー……たぶん?」  そんなやりとりを、僕は和かに眺める。  賑やかな食卓だ。僕の知らない世界がそこにはあった。  まず驚いたのは、大皿からそれぞれが  自分で小皿に取り分けるという食事のスタイルだった。  兄弟それぞれが好きなようによそる。  ダニエルさん曰く、行儀作法は一通り学んだものの、  この食べ方だけは変えることが出来なかったそうだ。 「さすがに外ではやりませんけどね」  夕食を終えると、年少組の子供たちがまだまだ話し足りない様子ながらも席を立った。  三男のアーサーくんも明日は仕事だからと食卓を後にする。  ダニエルさん、カレンさん、それから僕とバンさんの四人になると、  カレンさんがお酒の瓶を腕にいっぱい抱えてきて、大人の時間になった。  コップがないことに戸惑っていると、  3人は蓋を開けると、乾杯した。 「それじゃあ、家族再会を祝してーー乾杯!」 「かんぱーい!さっきもやったけど〜」  見様見真似で瓶をぶつけた僕の目の前で、  彼らはそのまま瓶の口に唇を付けて、お酒を流し込む。  驚いていると、3人は似たようにプハーッと息を吐いた。 「そいえばさ、お兄ちゃんたちって式あげたの?」 「なんだよ突然」 「どうなのよ?」 「挙げてないけど」  バンさんの答えに、カレンさんは楽しげに手を打った。 「じゃあさ、あたしと一緒にやっちゃおうよ!」 「は?」 「カレン。話が飛躍しすぎだ」  目を瞬かせるバンさんに気付いて、ダニエルさんが肩を竦める。 「あはは、ごめんごめん」  カレンさんは、軽く謝ってから左手に輝く指輪をずい、と差し出した。 「えっとね、あたし来週結婚するの。だからついでにーー」 「なっ!? 結婚!?」  バンさんが素っ頓狂な声を漏らす。 「そうそう、結婚」  ピースを作る妹さんと、目を剥くバンさんがあまりに対照的な表情で、  僕は笑ってしまった。 「あ、相手は誰だ!?まさか、変なおっさんだとかじゃ……」 「あはは、まっさか〜。  相手はダン兄の同級生よ。  お調子者でバカだけど、将来はいい医者になること間違いなしの優良株ね」 「まあ、悪いヤツではなちよ」 「そうか……ってか、医者?  それと同級生ってことは、ダン、お前も医者になるのか」 「うん。夢だったんだ」 「そうだったのか。知らなかった……」 「カレンもね、医療の道に進んでるんだよ。  今は看護師見習いとして、もう現場に立ってる。  将来的には、俺とカレンと、彼女の夫……ヒューって言うんだけど、  彼と一緒に病院を作ろうって話をしてるんだ」 「お金がない人も、平等に診察を受けられる病院だよ〜夢があるでしょ? 「ああ……そうか、お前ら頑張ってるんだな」 「兄さんのお陰でね」  ダニエルさんがニコリと微笑む。  するとバンさんは気恥ずかしそうに目線を逸らしてから、  瓶を傾けお酒を喉に流し込んだ。  ゴクリゴクリと喉が鳴る。 「で、話は戻るんだけど、そういうわけだから式一緒にやっちゃおう?」  バンさんが瓶を飲み干すと、すかさず新しいのを開けてカレンさんが差し出した。 「いや。あんま興味ねぇからいーわ」 「えー……ユリアさんも? 興味ないの?」 「僕は……なくはないんですけど、バンさんの意思を尊重します」  僕は手にしていた瓶に、恐る恐る口を付けた。  舌で舐めた液体は、苦い発泡酒だった。  僕は予想外の味に、内心びっくりした。 「そっかあ」  カレンさんは残念そうに肩を落としたけれど、  すぐに勢いよく顔を上げた。 「あ、じゃあさ。お兄ちゃん、私と腕組んでヴァージンロード歩いてよ!  いいよね、ダン兄!?」 「待てって。世話になったヤツは他にもいるだろ?」 「確かに、たくさんの人のお世話にはなったけどさ、  お兄ちゃん以上に世話になった人なんていないよ〜」 「そんなこと……」 「ね、一生のお願い!」  両手を顔の前で打ち鳴らし、カレンさんが頭を下げる。 「いや、でもな……」 「兄さん、やってあげなよ」  ダニエルさんの援護に、バンさんは困ったように頭をかいた。  それから、しばらくの沈黙の後、長いため息と共に頷いた。 「……仕方ねえな。わかったよ」 「やったー!」  カレンさんが両腕を上げて喜ぶ。 「でも、どういう関係か聞かれたら適当に誤魔化してくれよ」 「じゃあ、明日、仕事から帰ってきたら予行練習ね!!」 「お前、聞いてねぇな……」  カレンさんは席を立つと、瓶に残っていたお酒を飲み干した。 「じゃ、そういうことで。  明日も朝から仕事だからお暇するね。  練習のこと、お兄ちゃん、忘れないようにね!」 「はいはい」  カレンさんは小躍りしそうな様子で踵を返す。  そのリビングを出て行く小柄な背を眺めながら、  バンさんは2本目の瓶を傾けた。 「そうか……カレンも結婚か……もうそんな年頃なんだなあ」  それからも、ダニエルさんとしばらく他愛もない話をした。  この町に定住するまでどんな問題があったかとか、  門で出迎えてくれた壮年の男性がどういう経緯で執事になってくれたかなど。  僕らも話せることは出来るだけ話した。  ダニエルさんは僕があまり屋敷から出たことがないというと、  貴族にも色々いますからね、と頷いてくれた。  やがて、半時ほど経つ頃、僕の隣でバンさんがウトウトと船を漕ぎ始めた。 「バンさん……バンさん?」 「ん……」 「そろそろ部屋に行きましょうか」 「うーい、りょうかい……」  腕を引いて立たせると、足元が覚束ない。  珍しくバンさんは酔っ払っていた。 「もう。立てないなら抱きかかえちゃいますよ」 「んー……」  肩を貸して、支える。  すると、ダニエルさんが口を開いた。 「……兄さんがそんなに無防備に酔っ払うの、初めて見ました」 「僕もですよ。今日はよほど嬉しかったんだと思います」 「騒がしくてびっくりしたでしょう?」  人好きする笑みを浮かべて、小首を傾げる。  僕は慌てて首を振った。 「いえ、とんでもない!  楽しくて時間があっという間に過ぎちゃいました。  突然押しかけたのに、こんなによくして頂いて……」 「あなたのためじゃないです。  兄さんのためですよ」  ニコリとした表情のまま、ダニエルさんが言う。  僕は目を瞬いた。
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