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1.「優しい兄が隠した熱」
「雅紀と春紀って、兄弟逆みたいだよな」
体育の時間に同級生の中島にそう言われ、俺達双子は二人組になっていた体操の動きを同時に止めた。
「背の高い方が兄ちゃんの雅紀で、背の低い方が俺だろ。分かりやすいじゃないか」
外見で判断するなら、三センチほど背が高くて適度に筋肉が付いている兄の雅紀のほうが兄らしいといえる。テニス部に入っているから、友人も多い。一卵性 双生児なので、生まれた順番が雅紀のほうが先なだけなのだけれど。
だが、テストの順位などは帰宅部の俺のほうが上で、簡単な運動テストならそちらも俺のほうが雅紀を上回る。要領もいい方だと思う。
「そうだけど、なんか雅紀は頼んないっていうか……。忘れ物とか多いだろ?」
「あはは、そうだね」
今日、授業で使う電子辞書を忘れたことを言っているのだろう。しつこく食い下がる中島に、兄の雅紀は準備運動を再開して愛想よく答える。
「……キレてもいいところだぞ、雅紀」
両腕を組んで背負われながら、兄にだけ聞こえるよう、小声で囁いた。だが、兄は気にも留めていない。
「あんなこと、しょっちゅう言われ慣れてるよ。春紀は神経質すぎ」
雅紀はおおらかな性格で、友人が多い。俺には友人と呼べる者がほとんどおらず、雅紀だけが俺の話し相手であり相談相手だ。勉強が出来るのも、幼い頃から 本だけ読んで時間を潰していたからだ。
「春紀も、部活とかすればいいのに。友達が増えるよ」
とは雅紀の弁だが、俺にはそんなもの必要ない。雅紀だけがいればいいのだから。
そう高をくくっていた五月のはじめ。
布団で眠っている俺に「じゃあ、今日からテニス部の合宿だから行ってくるね」と言い残し、雅紀は軽井沢に行ってしまった。
折しも時期はゴールデンウィーク。外に出ると大量の人に巻き込まれる、インドア派の俺には苦手な三大時期のうちのひとつだ。(もう二つは盆と正月)
雅紀が合宿に行くという話は聞いていたが、それが今日だとすっかり忘れていた。
「くそっ……」
朝食を食べ終わっても、雅紀と話すことが出来ないのがつらい。鬱屈した気持ちを吐き出すため、俺は近くの公園でランニングをすることにした。真ん中がグ ラウンド、周りが小高い芝に囲まれた道になっているランニング用の公園で、ところどころ木が植わっていてベンチなどもある。ここなら、観光地でもないから そう人もいないだろうと思っていたが、たまに来る日の倍はいる。仲にはこの春から付き合いはじめました、みたいな高校生カップルまでいた。
徐々に走るスピードを上げながら俺は考える。
春、新学期がはじまり、新しい出会いもたくさんあるだろう。
だが、俺にはそんなものはいらない。生まれた時からずっと、雅紀だけが世界の狭い俺の理解者だった。そして、それはこれからも変わらないだろう。
だから、雅紀がいればそれでいい。ほかにはなにも必要ない。友人や、親さえも。
「ただいま。汗かいた……」
「春紀ー? 洗濯物あるなら洗濯機に入れておいてね」
はいはい、と母に答えながら脱衣所でボクサーパンツ以外皆脱いで、洗濯機の中に放り込む。ふと何かと目が合った。と思ったのは、鏡に映った自分自身だっ た。
見ればみるほど、雅紀に似ている。当たり前だ、双子なのだから。
今、雅紀はなにをしているのだろう。テニスラケットを振り回しているのだろうか、それともボール拾いをしているのだろうか。同級生と談笑しているのだろ うか。
「……雅紀、早く帰って来いよ」
俺は鏡に映る自分を雅紀に重ね、どんどん近付いて行く。彼のよくする、皆から頼りないと言われるが俺に言わせれば儚げで優美な笑顔、驚かせると目を一杯 に拡げる顔、祖母が亡くなったときに見せた寂しげな表情を真似する。
そんなことをしていると、雅紀がそばにいるような気がしてくるから不思議だ。俺はしばらくパンツ一丁でそんな百面相をしていて、洗濯機のスイッチを押し にきた母に驚かれてしまった。
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