一 自首してきた女

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一 自首してきた女

 赤い色がこわいんです。  そう言ったきり、倉本市子はうつむいてしまった。  彼女の付き添いとして警察署まで同道してきた加瀬冬彦と磯貝レイは、市子をはさんで左右に座っていた。  正面にいる警部補の吉嶺は、供述書をとるためにペンを用意していたのだが、ペン先を書類の上でとめた。 「いまなんて言いましたか?」 「赤い色が……こわい、と」 「あなたはここに、殺人事件の犯人だと自首してきたはずです」 「……そ、その通りです……」  今年二十になるという倉本市子は、喪服のような黒いスーツに身を包んでいた。顔色は青白く、目は落ち着きなかった。  磯貝レイも同い年らしかったが、こちらは華やかな色彩のブラウスに黒いタイトスカートを身にまとい、唇にはどぎつい赤をひいていた。ト音記号をデザインした大きめの金のピアスを耳につけていた。  加瀬冬彦が口を開いた。 「彼女は殺人事件の犯人だと言っていますが、そんな事ありえないでしょ?」  サラリーマンらしくスーツ姿ではあったが、身につけているラベンダー色のボタンダウンのシャツや茶色に染めた髪のせいか、派手で軽薄な印象をあたえる青年だった。  ルックスだけ見ると、加瀬冬彦と磯貝レイはお似合いのカップルだった。 「倉本さんとあなたがたは、同じ会社でしたね?」  吉嶺の言葉に、加瀬冬彦がちょっと薄笑いを浮かべた。 「ええ、大内総合ですよ。ぼくら三人とも、そこに勤めているんです」  急成長の通販会社だった。  会長である「大内正孝」の指揮のもと「大内総合商社」は経済不興に悩む業界を活気づけていた。  実態は通信販売を主力としながら、不動産業界に子会社をおき、保険会社の外注もこなしている。社員は多忙なわりに正社員は少ない。倉本市子も磯貝レイも、二年前から「時給千八百円」でコールセンターに詰めるパートタイマーだ。 「ぼくは会長の秘書をつとめています」  自分の肩書きにプライドがあるらしく、加瀬冬彦は胸をはった。 「人使いのあらいブラック企業では? なんてネットでウワサされるわりに、福利厚生が手厚いのです。だから、辞める人は少ない。いまや大内総合商社は海外の大手通信販売会社と張り合う力がありますよ」  冬彦のあとをおぎなって、レイは吉嶺にぶっきらぼうに言った。 「あたしと市子は幼馴染で同じ職場なんです。人を殺した、と本人が思いこんでいるだけよ。この子は虫一匹殺せやしない」 「ぼくらは彼女が心配で、警察署までついてきたわけですよ。そんな殺人事件なんかないと説明されれば、市子さんだって安心するでしょうから」  警察はカウンセラーではありません、からかわないでください、と吉嶺は言ってやってもよかった。  だが、そういう言葉を投げるには、市子の表情や態度はおびえきっていた。少しきつい態度をとられようものなら、自殺しかねない危うさがあった。 「でも、本当に、だれかを殺したんです、わたし」  ハンカチを取り出して、市子は目もとをおさえた。涙がにじんでいたのだ。 「……それは、いつですか?」 「いつなのか、わかりません。とても、とても小さなころだったと思います。だって、いままでずっと忘れていたのですから。……でも、確かにわたし、人を殺しました」 「忘れていた、ということは思い出すきっかけがあったのですね」  吉嶺と市子のやりとりを聞いて、加瀬冬彦は眉をひそめた。思わず市子の手をにぎりかけ、ハッとなって身体を固くした。その反対側では、磯貝レイが「やれやれ」とため息をついている。  レイはカールした前髪をかきあげた。 「警察ってヒマなのかしら」  聞こえよがしの皮肉を無視し、吉嶺は市子の言葉をうながした。 「……あかい、こうえんを、みて……。唐突に、思い出したんです……」 「赤い公園? そういう公園はこのあたりにはありませんよ」 「彼女を責めないでくださいッ、とても繊細なんです」  冬彦が言った。吉嶺はそこで突き放してもよかった。お引取り下さい。その一言ですむ。  だが、吉嶺は我慢強かった。吉嶺の沈黙に、しかし市子は絶望したように顔をこわばらせた。がたんと椅子を動かして立ち上がった。 「だ、だめだわ。わたしの話しなんか、だれも信じてくれないに、決まっている……」 「そうよ、市子。早く帰ろうよ」  レイが笑みを浮かべ、バッグを市子に手渡す。 「順序だててお話ししないからですよ」  さすがに吉嶺はムッとなった。 「お座りください」  と言ったのは、吉嶺本人にも意外だった。  人を殺す夢でも見て、あわてて警察に駆け込んだ頭のおかしい女を相手にする時間など、多忙な警官にはないはずだった。  しかし、なにかが引っかかる。  それが明確にはよくわからない。そのわからないことを、確かめたいという気持ちで、吉嶺は市子にしゃべるようにもとめた。
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