夕焼け色の心

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夕焼け色の心

「こんにちは。由羅くんのお友達の方ですよね?どうぞ上がってください」  由羅の部屋の中からエプロンを着けた女性が出てきた。その瞬間、奏の頭は真っ白になった。  あれは確か、社会人一年目のことだ。当時付き合っていたαの家に連絡を入れずに訪ねたら、見知らぬ青年が出てきたことがあった。驚くほど綺麗な顔をした青年だったのを、今でもよく覚えている。  男が出てきた。それだけだったら、友人か兄弟だと無理に自分に言い聞かせることもできただろう。しかし、大きめのシャツを一枚羽織っただけの彼の白い首筋には情事の痕がくっきり刻まれ、部屋の中には、むせ返るほどのΩとαのフェロモンが混じり合い、漂ってた。その匂いに吐き気がした。  身動きできずに固まっていると、何か用かと気怠げな表情の青年に訊ねられ、奏は何でもありませんと答え急いで逃げ帰った。それから暫くの間、部屋に漂っていた強烈な香りが鼻の奥にこびりついて、なかなか消えなかった。  後日、相手のαは気の迷いだったんだと言って何度も謝ってきた。しかし、結局は奏が疑心暗鬼になってしまったことで、その関係は終わった。  別れてから、あんなものを見るくらいなら家になんて行くんじゃなかったと、何度も後悔した。ただ、彼の誕生日を一緒に過ごしたかっただけなのに。 「どうかされましたか?」  かつての嫌な記憶がフラッシュバックして固まってしまった奏を、女性が心配そうに覗き込んできた。奏ははっとして、思考を引き戻すように軽く頭を振る。 「い、いえ。何でも」 「どうぞ上がってください。由羅くんは今仕事中で奥の部屋に隠ってますが、もうすぐ出てくると思いますよ」  このまま立ち去ってしまいたかったが、言葉が出てこなくて、結局女性に促されるまま部屋に上がってしまった。目の前を歩く女性の後ろ姿に、心臓が未だにどくどくと嫌な音を立てている。 「コーヒーと紅茶どちらがいいですか?」 「えっと、じゃあ、コーヒーを」 「わかりました」  訊ねられるままに思わず答えると、彼女はにっこりと笑ってキッチンに向かう。その彼女の後ろ姿を、奏はじっと見つめていた。彼女は勝手知ったる様子で食器棚からカップを取り出し、戸棚から奏が買ってきたコーヒーを取り出している。その光景に胸がずきりと痛くなった。
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