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01、国王の急死
この世界には、大陸が三つある。
西の大陸はエディットという国の領土で、東はロードレという国の領土だ。
東西を挟む青い海の真ん中に、円形の大陸があった。そこを統治している国の名を、ルーンケルンという。
――夜が、明けきらぬ頃だった。
王の執務室から、男の大声が響き渡った。
「陛下! デメテール陛下!」
琥珀色の髪の男が、王の耳元で叫んでいた。叫ぶたびに紫紺の眼差しが、悲痛な光を帯びていく。
男は突っ伏したまま動かない王の体を揺すっていた。ばらばらと使用人や臣下が集まってくる。
「起きてください! 陛下、どうぞ目をお覚ましください!」
彼は国王のあらぬ姿を発見して、どれだけ激しく動転していたのか。執務室の扉は、大きく開け放たれたままだ。
デメテール国王の頑健だったはずの体は、男の呼びかけに微動だにもしなかった。どこからか、リネン係の女の声が聞こえる。
「あれは……昨日の昼に、お渡ししたシャツです」
紫紺の双眸が、その声の主へと鋭く向いた。女は、ちいさな悲鳴を上げる。そばにいた臣下らしき男が叫ぶ。
「誰か魔術師を呼べ! 陛下を蘇生させるんだ! レフティ、そこにいるなら今すぐ陛下の脈を取れ!」
レフティと呼ばれた男は「魔術師を呼べ」と言った男に、わずかに怒りの表情を浮かべた。
「俺に命令するな」
「そんなことを言っている場合か!」
「陛下の御命を取り戻せるほどの魔術師が、この国にいるとでも」
レフティに問われた男が、怖気づきながら唇を開く。
「今から草の根を分けてでも、探し出したならば。陛下の蘇生に間に合うかもしれぬ」
「俺に言う前に、さっさと手を打てよ!」
レフティが怒鳴った。怒鳴られた相手が、やりきれない怒りを噛み殺して宮殿の外へと出て行く。身長もあり胸板も分厚いレフティが大声を上げると、ひときわ威圧感が際立つ。
彼が国王の手首を取り、脈を測ろうとしたとき。息せき切った若い乙女と、レフティと同じくらいの背丈の痩せた青年が執務室へと駆け込んできた。
「お父さま! お父さま……っ!」
漆黒の長い髪と同じ色の瞳の少女は、肉親の変わり果てた姿を見るなり悲鳴を上げた。彼女はレフティを押しのけ、国王の体に取りすがろうとする。
「お父さま!」
しかしレフティは、取り乱している王女を父の亡骸から即座に引き剥がそうとした。
「何故ですか!?」
王女は大きな瞳を見開き、レフティへと抗議する。
「今、他の臣下が魔術師を探しています。それまでに血族であるエレーナさま……貴女が陛下の身に触れることは、絶対になりません。血族が亡骸に触れると蘇生の術は効かない、と聞いたことがある。陛下の御命、御心すべてが、この体に戻ってこれなくなってもいいのですか?」
「そ、そんな」
「わたしが知っている限り、ルーンケルン国内に陛下の完全なる蘇生の術を施せる魔術師はいません。ですが、一縷の望みであっても捨ててはならない。明日の陽が昇るまでの間に……蘇生の術を持つ魔術師が現れれば、の話ですが」
絶句したエレーナの顔から、みるみるうちに血の気が引いて行く。父親の身に触れることも許されずに、このまま時を過ごせというのか。
やがてレフティは、王女と共に駆けてきた痩躯の青年へと目を向けた。彼の鳶色の瞳が、こちらを蔑むように見ているような気がしたのだ。
「カイン、なにか言いたいことでも」
問われた青年は、みずからの黒髪をかき上げてかぶりを振った。それから、茫然と床に座りこんでいる王女に声を掛けた。
「エレーナさま。レフティの言う通り、魔術師の到着を待ちましょう」
「でも」
エレーナが魂の抜けたような視線を、カインへと向けた。彼は王女の視線を逸らし、レフティに尋ねる。
「間に合いそうか」
「わからない。この俺が知っている限りでは、ルーンケルンに強い魔力を使える魔術師は存在しない。でも、他の臣下ならば見つけ出せるかもしれない。そこに賭けるしか、道はない」
カインは強く握りしめた拳から、汗ではないなにかが滴り落ちるのを感じた。彼は平静を装いながら、レフティに言った。
「すまないが、人払いをしてくれないか。君も王女を連れて、この部屋から出て行ってくれ」
レフティが、ぎょっとした目線をカインに寄越す。
「何故だ? なにをしようとしている?」
カインは疑念に満ちた問いに構わず、国王の亡き骸を見つめ続けた。
「いいから、わたしの言う通りにしてくれ」
「おまえに一体、なにが出来る!」
レフティがカインを激しく詰る声が、廊下中に響き渡る。ほどなくして大きな足音を立てて、オレンジ色のローブを身に纏った老人が現れた。老人は額の汗を拭いながら、レフティとカインに頭を下げる。
「教会長のザカリエと申します」
レフティが、あからさまに鼻を鳴らした。
「おまえが、魔術師だと」
カインにも、レフティが露骨に嫌味を言いたくなる理由はわかる。老人はルーンケルン国内最大の教会で、代々からの教会長を務めている。カインから見ても、彼の使う魔術は特筆すべきものはない。
カインは内心で、首を横に細かく振り続けている。
――わたしならば、エレーナさまの御望み通りにして差し上げられる。
けれどザカリエの背後には、少し前にレフティから怒鳴られた臣下と、その部下たちが控えていた。彼らは一様に汗だくで、壮絶な心労が伝わってくる。
カインには、言うべき言葉が見当たらなかった。
教会長はレフティの棘のある言葉をものともせず、デメテール国王の額に手のひらをあてがい、脈を取った。
エレーナが深刻な表情の老人に、呼びかける。
「お父さまは、蘇生が出来るのですか」
教会長は、がっくりと肩を落とした。
「申し訳ございません」
――ごくわずかな沈黙を、エレーナ王女の泣き声が破き続けていく。
国王の急死の報は、瞬く間に国中に広がった。東西の大国に知られるのも時間の問題だろう、そんなふうに旧い臣下たちは囁き合っている。
東西両国に攻め入られる前に、自国を引き締めなければならない。早々と後継者を立て、しっかりとした基盤があるところを示さなければ……臣下や宮中の使用人たちは、他人事のように我が身が置かれた状況を目配せしながら会話している。
ルーンケルンは、四方を海に囲まれている。幾つかの諸島も有する、いわば海洋国家だった。国土の大部分が山地で、平地と呼べる領土は海岸を含めて開墾している地も併せると、ごくわずかしかない。
海から本土を見れば、港から山の上まで緑が続く美しい国でもある。近づけば近づくほど、緑のグラデーションに見とれてしまう。
海岸の上方に整然と並ぶ、石造りの民家の屋根の色も集落ごとに統一されている。航海をする者は、その美しさに見惚れるのが常だった。
視線を、大陸中央に位置する山脈の上に移す。そこに、ひときわ大きく切り開かれた平地がある。
そこには、こぢんまりした造りの大理石の王宮があった。国民は山の上にある宮廷の敷地を見るたび、思うのだ。
国王陛下は、いつも我々を見守っていてくださる……と。
そんな国王の訃報は、知らせを耳にした者たちに大きな衝撃を与え続けた。夜が明けて天に陽が高くある頃には、国民の誰もがデメテール国王の死を悼み、喪に伏す準備をしはじめていた。
宮中にあるレフティの居室に、彼と教会長のザカリエがいた。
部屋の主は応接間のソファに浅く座っている。ローテーブルを挟んで、立っているのは教会長……国内に僅かしかいない、魔術師だった。
そのザカリエはレフティの勧めにも応じることなく、立ったままで詫び続けている。
「レフティさまも、ご存知だとは思いますが」
「なにを」
「魂が離れた肉体を、生前のまま蘇生させることは至難の技です」
「それをするのが魔術師ではないのか」
「どんなに高名な魔術師であっても、なにもかもそのままを元の体に戻すというのは並大抵のことではありません」
レフティの口元が、ふたたび歪む。
「死というものは魂が肉体から遊離してしまうことだろう。それを引き戻す能力がある者を魔術師と呼ぶのではないのか」
「遊離した直後、魂が霧散する前ならば。ともかく」
「おまえ自身には、その能力がない……そう言いたいのか」
「はい」
ザカリエが、深く頭を垂れる。
「死後、いくらかの時間が経つまでに『魂の全部』寄り合わせて、元いた肉体の中に注ぎ込むのは不可能ではありません。ですが、それは我々のような生活に特化してしまった魔術師には無理です」
「では誰なら、それが可能なのだ」
「呪術師です」
「我が国には、そのような穢れた者は一人もいない。だがな。秘密裡に国外から呪術師を呼び立てることは、不可能ではない」
「ええ。ですが、能力の劣る呪術師であれば、国王陛下の『魂のすべて』を再生することも困難だと思われます」
「何故、そう思う」
「デメテール陛下は、とても高潔な方であらせられました。陛下の魂や意識以外の不純物を混じらせてしまう可能性も、あるかもしれない」
「それで?」
「陛下の肉体の中に、陛下とは違う人物の記憶の断片や意識下にあるものが入りこんでしまったら、すべてに狂いが生じることになる。それは蘇生後の陛下にとっても、国家にとっても損失になる。そういうことです」
「ならば、あの亡き骸のまま葬れと言うのか」
「そうなります」
レフティは心底から、項垂れ続ける老人を忌々しく思った。
この国には、呪術師などいない。
彼らは「祈り」という手段を持ちながら神職にも携わる魔術師にもなれず、他者を僻み、他者を恨むことと、その名の通り「人を呪う」ことだけを生業としている。
高潔なデメテール国王は呪術師を嫌い、即位してからは一人残らず国外追放をしていたのである。今や、どこに行っても、彼らはこの世に存在してはいけない者として扱われていた。
長い年月をかけて呪術師たちのは西の大陸に集まり、そこを拠点に東の国にも名を轟かせていた。そんな時に、国王が彼らを忌み嫌う理由になった事件が起きた。事件後、彼らの多くは東で失脚をし、その場で処刑をされている。
亡くなった国王が、たった一人の娘にさえ打ち明けていないことがある。
それは宮中で二人を除いて、知る者はいない。
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