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(四)
「本当に、大丈夫かな」
美結が呟いた。
ウェディングベールで顔を隠しているため表情が見えにくいが、俯いているのがわかる。
「大丈夫だよ」
トキオは自らに言い聞かせるように、頷いた。
「元々は僕自身が美結さんの無実を証明する積りだったけど、僕は美結さんの婚約者だ。言ってみれば当事者だから、僕自身が証明しようとしても信じて貰えない。第三者である井中君がいいんだ」
「うん、それはわかるけど」
「それに、だ…。あの井中君は、僕なんかじゃ到底できない、閃きがあるんだよ。それに賭けてもいいと思うよ」
「でも、ちょっと強引じゃない? 私の無実を結婚式の席上で証明するなんて。失敗したら結婚どころか、私、この街にいられなくなる…」
俯いたままの美結の前が、急に明るくなった。
反射的に、美結が顔を上げる。
そこは、高雄天神の境内にある、宴会場の中である。
「それでは、新郎新婦のご入場です」
噂の男、カオルのマイクの声が響く。
開けられた扉の左に、詰襟の男子中学生。右にセーラー服の女子中生が笑顔で立っている。扉は、彼ら二人が開けてくれたらしい。
美結は、純白のウェディングドレス。
トキオは黒いタキシードに黒の蝶ネクタイという出で立ちだ。
扉の先の広い部屋には丸いテーブルが七つほど置かれ、それぞれ八人ずつ、着飾った男女が座っている。テーブルの上には、赤、黄色、ピンクなど鮮やかな色彩の花々が飾られていた。
トキオと美結が手を繋いで、その中央を歩き出すと、部屋中が拍手に包まれた。美結が支えてくれるので、トキオは杖を突いていない。
左側が、トキオの招待客。右側が美結の招待客だ。新郎新婦が座る高砂席に近い順に、主賓、職場関係者、友人、親族の順に並んでいる。
トキオの側は皆笑顔で拍手を送っているが、美結の側では拍手もせず、眉を顰めて睨んでいるテーブルがある。扉から一番近いテーブルの八人だ。
(美結さんの親戚だな)
笑顔で歩を進めながら、トキオは横目で彼らを見やり、美結と繋いでいる右手をそっと握り締めた。
拍手の中、トキオと美結が高砂席に着席する。
拍手が止むと同時に、カオルの挨拶が始まった。
「新郎のご指名によりまして、本日司会を務めさせていただきます井中カオルと申します。新郎と高雄中学の同僚にして、大の親友であります」
カオルは、紋付の黒い羽織と、白地に黒い縦縞の袴という出で立ちだ。
「かっこいい」
「ステキね」
列席している美結の友人達が顔を見合わせ、囁き合っている。
長身痩躯にして、涼やかな眼。彫りの深い整った顔立ちのこの男は、正装すると一層華やかに見える。
カオルは、女性達の囁きを意に介する様子もなく、続けた。
「本日の挙式は、あえて神前ではなく、人前結婚式という形式を取らせていただいております。これは新郎新婦の強い希望によるものです」
「ちょっと、よろしいですか」
新婦側の最前列に座る、主賓扱いの白髪の老人が手を挙げた。
「高雄天神の氏子総代をしております宿村玄蔵と申します。新婦のお父上の友人で、医師をしております」
穏やかな声である。
氏子総代とは、信者の代表者で、神職と信者を繋ぐ役割をする人物のことだ。
「はい。何でしょう」
カオルは、落ち着き払っている。
「新婦は高雄天神の宮司のご令嬢ですよね。ならば、結婚式は神前がふさわしい筈。何故人前婚なのでしょうか」
「よくぞお聞きくださいました。勿論意味があります」
カオルの受け答えは、全く淀みがない。
「不幸なことにごく一部のご親族の方々が、新婦がご自身のお父上を亡きものにしたというお疑いをかけておられるのです」
会場に、どよめきが広がる。
「私がご説明しましょう」
新婦側、最後列のテーブルに座していた中年の男が、立ち上がった。
出席者の眼が、一斉に男に向けられる。
「失礼。私は、新婦の叔父。新婦のお父上の弟の、武内虎雄と申します」
虎雄は、咳払いを一つした。
「新婦は、警察の捜査でこそ証拠不十分で逮捕されていないが、状況から見て極めて疑わしいんです。しかも結果的に高雄神社の土地建物を独占的に相続している。言い換えれば、兄が亡くなって一番得をしている人物なのです」
トキオは美結の横顔を見つめた。
美結は青ざめ、唇を噛んでいる。
「新婦は親戚中から父親殺しと疑われ、指弾されているんです。私は新婦の父親の弟として、今日の結婚は認めません」
「お待ちください」
カオルは虎雄に掌を向けた。
「先程の氏子総代の宿村様のご質問。何故、本日の挙式が神前ではなく人前であるかの理由は、まさにこの点。無実の疑いを着せられた新婦の潔白をこの場で証明することが結婚の前提条件であるからです。父殺しの疑いが掛けられたままでは新郎も新婦も幸せになれないからです」
カオルは一瞬言葉を切り、参列者達を見回した。
「私は今から、幾つか根拠を挙げて、新婦の潔白の証明を試みようと思います。もし、私の説をお聞きになって新婦は潔白だと納得され、新郎新婦が幸せな結婚に至ることを認めてくださるならば、皆さんにその証人になっていただきたいのです。ご賛同いただけますでしょうか」
「あのっ!」
先刻カオルをステキだと囁いた若い女が、立ち上がった。深緑のチャイナドレスを身に着け、マシュマロショートの髪に花型のリボンをつけた、潤んだ眼の女だ。
「私、新婦の友人の中山すみ子と申します」
すみ子は噛み締めるように、続けた。
「美結ちゃんはこの二年間、いわれのない罪を疑われ、本当に悲しみ苦しんで来ました。友人としてそばで見てきた私達も辛い思いを持ち続けて来たのです。この機会に皆さんの前で彼女の無実が証明されるなら、こんなに嬉しいことはありません。井中先生のご提案、大賛成です」
「私も」
「私も賛成です」
美結の友人達が、次々と立ち上がる。
これに続きウェーブのように、トキオの友人、職場の同僚、親族達が、続々と立ち上がる。
「良かろう。そういう事情なら、私も賛成だ」
氏子総代の宿村も、腰を上げる。
最後に残ったのは、虎雄をはじめとする美結の親戚達である。
「ふん。まあ、いい。あんたのお手並み拝見と行こうか」
虎雄が、ゆっくりと腰を上げる。
「ふっ。構わねえさ。警察だってお手上げだったんだ。社会科教師なんかに、証明なんざ不可能だ」
虎雄は眼鏡の下で細い眼を更に細めながら、呟いた。
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