(七)

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(七)

 宴会場から歩いてすぐのところに、高雄天神の本殿。その脇に続く細い道に、七つの井戸が並んでいる。  本殿に最も近い、岩屋の天井に菅原道真のご生誕が描かれた井戸がある。その岩屋の奥の壁を、灌二が指差していた。  集まっていた参列者達が注目する。  「こちらの壁に、何か白っぽいものが刺さっているのにお気づきでしょうか」  「あっ。それって」  すみ子が声を上げた。  「大理石でできていますね。厚さといい形といい、さっきの…」  「その通りです」  灌二は、白っぽいものを引き抜いて見せた。  大理石でできた神札である。  「先ほど宿村様がお示しになられた、倒壊した石灯籠から出てきたご神札の一つです。実はここに納められていたのですね」  「なるほど。さっき先生がおっしゃった、七つの井戸にご神札を納めに行くってこれなんですね。つまりこの解釈に辿り着いた美結のお父上が、それぞれの井戸のしかるべき場所に、大理石のご神札をはめ込んで行った」  灌二は頷いた。  「そういうことです。先生のご指示で私達は七つの井戸を隅々までよく調べました。その結果、それぞれ場所は異なりますが、大理石のご神札をはめ込む受け口があり、本殿から数えて六つ目までの井戸には既にご神札がはめ込んであったのです」  「なるほど。それで行方不明だったのですな」  宿村が頷いた時。   「お待たせいたしました」  カオルが参列者達の背後に、ぬっと現れた。  「あら。その格好は?」  すみ子が上ずった声を上げた。  水色のジャージにズボン。「高雄中学」と文字が入った白い防災用ヘルメットを被り、白い手袋をはめ黒いトートバッグを持っている。  「これから皆様に、新婦のお父上が井戸に転落された際の再現をご覧いただこうと思います。この格好は、お父上が井戸の底で発見された時身に着けられていたのと同じです。但し、ヘルメットはされておられませんでしたが」  カオルは、トートバッグの中に手を入れた。  出て来たのは、透明なビニール袋に包まれた水色のもの。  「これは、新婦のお父上が着ておられた実物です。今私が着ているのは、サイズ・デザインとも全く同じ製品です」  「実物の方には、黒い焦げみたいなのが付いていますね。お腹の所に」  カオルが広げているジャージに近づいて、すみ子が指差した。  「よく気づいてくださいました。実は、この黒焦げこそが非常に重要なのです」  カオルは再度、トートバッグに手を入れた。  「もう一つ、遺留品があります」  取り出した小さなビニール袋を、眼前に掲げる。  「タバコですな」  宿村が言った。  「吸いかけのようだ。新婦のお父上は大変なヘビースモーカーでね。一日四五十本は吸っていた。私は本業の医者の立場から、禁煙を勧めていたんだが」  「美結のお父上は、井戸に落ちた時もおタバコを吸ってらした。口に咥えていたのが転落の弾みでジャージに触れて、黒焦げを作ったってことでしょうか」  すみ子が首を傾げる。  「いえ。そうではありません。今からそれを証明しようと思います」  カオルが後方に視線を向ける。そこに、アシスタントの美希がいた。  「上杉さんは、身長一五五センチ、体重四八キロ。新婦とほぼ同じ体型です。新婦と同じ位の力が出せる筈だ。実際に井戸端で、私を後ろから押して貰います。勿論命綱は付けて」  ざわめく参列者を尻目に、カオルはポケットからタバコとライターを取り出し、火を点けた。  そのまま歩き出し、美結の父の転落現場、七番目の井戸の前へ向かう。美希が綱を持って後を追った。  「皆様よろしいでしょうか。では、始めます」  参列者達が追いついて来たのを見定めると、カオルは井戸端にぴたりと付いた。  井戸の中を覗き込む姿勢を取り、静止する。  美希が腰の周りに綱を巻き付け、先端を近くの木にしっかりと縛り付けた。  「では皆様。ようくご覧ください。上杉さん、遠慮しないで思いっきり押して」  それだけ言うと、カオルはタバコを咥え直した。  「はい先生。では行きます!」  大きな掛け声とともに、美希がカオルの背中に両手を付ける。  「えいっ」  カオルの体が前方に倒れかけ、半身が井戸の縁に隠れる。  同時に咥えていたタバコが口から離れ、井戸の底へ向かって落下した。  灌二が駆け寄り、美希と一緒にカオルを引っ張り上げる。  「おわかりいただけましたか?」  引き揚げが終わると、カオルは参列者達に再び顔を向けた。  「はい」  すみ子が手を挙げる。  「井戸を覗き込んでいる状態で後ろから突き飛ばされたら、口に咥えていたタバコは真っ逆様に井戸の中に落ちてしまう。ジャージに焦げ跡を付けることはない、ということですね」  「その通りです。では、焦げ跡はいかにして付いたのか。これが問題になります」   カオルは再度井戸を覗き込んだ。  「大理石のご神札の受け口は、太田君からご説明があった通り、七つの井戸でそれぞれ異なる位置にあります。この井戸の場合、地上から少し入った内側にあるんです」  カオルは井戸の縁にもたれかかり、縁から一メートル程下がった内側の面を指差した。  美希が懐中電灯でそこを照らす。  「本当だ。受け口がありますね」  すみ子が身を乗り出し、頷いた。  「私は新婦のお父上とほぼ同じ、一七八センチ。リーチも同じ位です。しかしこれだけリーチがあっても、受け口にご神札をはめ込もうとしますと、かなり無理な姿勢を取らざるを得なくなります」  カオルはポケットを探り、新たなタバコ一本とライターを取り出した。  「この姿勢でご神札を受け口にはめ込もうとするとどうなるか。やってみましょう」  カオルは井戸の縁に左手と両脚を付け、体を支えた。  そのまま神札を持った右手を、目一杯下に伸ばす。  タバコを一息吸い込むと、先端が赤く燃え細かい灰が飛んだ。  次の瞬間。  「きゃあっ」  すみ子が叫んだ。  「青い…青い炎が」  すみ子が指差しているのは、カオルの腹の下である。  青い炎が忽然と現れ、メラメラと燃えだしたのだ。  炎はカオルのジャージに燃え移ると、焦げ臭い匂いを広げ始めた。  「アチッ」  カオルの口からタバコが離れ、井戸の底へ向かって落下する。  カオルの左手と両脚が井戸の縁から離れ、全身が井戸の中へ吸い込まれる。  「先生!」  「先生!」  灌二と美希が同時に叫び、命綱を引いた。  体が持ち上がるとカオルは井戸の縁に手を掛け、自力で這い上がった。  美希が濡れたタオルをジャージの腹にあてがうと、火はすぐに消えた。  「先生、大丈夫ですか? 火傷なさったんじゃ」  すみ子が駆け寄る。  「ふふ。驚かしてすみません。防炎保護服をジャージの下に着込んでいますので、問題ありません」  「良かった」  すみ子が胸を撫で下ろす。  カオルは、井戸端に置いてあったトートバッグに手を入れた。  「皆様。こちらと私のジャージを見比べてみてください」  美結の父の遺留品のジャージを、自らの真横に捧げ持つ。  「なるほど。全く同じ位置に焦げ跡ができていますな」  宿村が指差す。  「焦げ跡の大きさも一緒ですね」  すみ子が頷いた。  「ありがとうございます。つまり…」  カオルは参列者達を見回した。  「新婦のお父上は、大理石のご神札を井戸の受け口にはめ込もうとしていた。受け口がかなり下の方にあったので、無理な姿勢でいたんです。そこへ突然青い炎が燃え上がって来たのに驚き、思わず体を支えていた手と脚が井戸の縁から離れ、転落してしまった。このような経過で起こった事故だったのです。新婦が突き落としたのではありません」  「なるほど。納得ですな」  「ちょっと待ってください」  頷く宿村の後ろで、虎雄が手を挙げた。  「そもそもあの青い炎は、なぜ突然現れたんです? それが解明されないと、証明が不十分だと思いますが」  「ええ。もっともなご意見です」  カオルは左手を虎雄の眼前にかざした。  白っぽい小さな虫がうごめいている。  「これは?」  「シロアリですよ。今井戸に落ちかけた際に捕まえました」  「シロアリ?」  「シロアリは湿気の多い木材を好み、巣を作るんです。この井戸は老朽化していて、格好の住みかですね。そして巣の出来た所にはメタンガスが発生します。メタンガスが溜まっていると、タバコの灰のようなごく小さな火種や気温の上昇で、青い炎を輝かせて燃焼します」  「メタンガス…名前はよく聞くが」  「都市ガスの成分の九割程を占めているのがメタンガスです」  「ああ、だから青い炎なのか」   「ええ。少し変な言い方になりますが…」  カオルは眼を閉じた。  「新婦のお父上は、シロアリに命を奪われたことになります。シロアリが発生させたメタンガスが燃焼した、青い炎で…。皮肉にも不死の種を手にされる目前に、突然命を落とされてしまったのです」  聞き入っていた参列者達の間に、しばし静寂が広がった。  「すごい。本当にすごいです!」  すみ子が眼を潤ませて、叫んだ。  「これで完全に、何が真実かはっきりしましたね。美結の無実が証明されました」  すみ子が拍手を始めた。  「井中、すげえぞ。ブラボー」  麦山が拍手で続く。  「いや、大したものだ」  宿村も手を叩き始める。  拍手の音はウェーブのように、参列者達に広がって行く。  「くっ」  最後まで腕を組んでいた虎雄も、手を広げた。  「ここまでやられちゃ、認めざるを得ねえな」  ゆっくりと両掌を合わせ始めた。  「全員の方々にご賛同いただけましたね。では、ここからは宴会場に戻って普通の人前結婚式に移りましょう。美味しいお料理とお酒も用意されておりますし」  「待ってください」  カオルが言いかけた時、ずっと沈黙を守っていた美結が声を上げた。  「もし、よろしければ、一つお願いがあるのです」  「はい。どのようなことでしょう」  「父が人生の最期にはめ込もうとしていた七番目のご神札。これを皆様の前ではめてみていただけませんか。不死の種というものが本当にあるなら、皆様にもご覧に入れたいのですが」  
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