女である私は

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※ 八坂のお陰で暮らしていくには困らない金を稼げるようになった。八坂が店に来る頻度が減っていたのは気になったが、会えるなら無理に理由を聞く事もないと思った。 「あのさ、これ」 「何ですか?」 「良いから開けてみて」 細長い黒色の箱を渡され、私は言われた通りに蓋に貼られた透明なシールを剥がして中を覗く。逆さにすると光沢のある筒が掌に落ちた。 「本当は差し入れとか持ち込んじゃ駄目なんだけどね。大きいものじゃないしバレなかった。…使い方、分かるよね?」 八坂は私の腕を引き鏡の前に座らせる。添えられた指先で筒を回すと口紅が姿を見せた。まだ口には出来ないけれど、ワインのように深く美しい赤色だった。八坂の指の温度で温まった唇に、赤色が走っていく。 「ほら。これだけでも、随分違って見えるよ」 鏡に映る私は、しかしどう見たって美人ではない。狭い額に小さな目、低い鼻。ぼんやりとした顔に唯一。唇だけが私が女である事を主張するように艶めいていた。 「アカネ、女は男よりも賢くて強い。だからもっと生きたいように生きれば良い。だけど自分がどうしたいか考える事を放棄するのは駄目なんだ。どんな状況でも、それだけは止めちゃいけない。諦めて、誰かに判断を委ねた時点でそれは君の人生ではなくなるから」 「…分かりました」 「君を選んだのは僕に似ていたからだよ。…昔の僕に」 八坂ははじめての時と同じように口付けする。赤色が彼の唇に移って私の瞳に映る。綺麗だと思った。この人が欲しいと思った。鮮やかな赤色が、血液に混ざるように私の体を巡る。それでも彼は最後まで私と重なる事は選ばずに、酷な位のやさしさだけを残していった。 それから一度も、彼に会う事はなかった。
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