地に墜ちた鳥

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地に墜ちた鳥

 その日、ユエは誰かに呼ばれたような気がして、空を仰いだ。視界いっぱいに映った空を一筋の光が翔け、そして、ユエの日常は瓦解(がかい)した。  鮮烈に焼きついているのは、赤。一面の、炎の海だった。  そこかしこに誰かが倒れていて、あちこちから誰かの悲鳴がして、大地をふるわせるような爆音が、絶えず聞こえていた。けれど、そこから先は、フィルムが焼き切れたみたいに、ぷっつりと途切れている。次に気がついたときには、ユエはもう、冷凍睡眠装置の中だった。  ユエを診た医者から聞いた話では、小型の隕石が、ユエの住んでいた町の工場地帯に落ちたらしい。当時の技術では、治療できない重傷者が数多く出たのだという。そして、そのとき。人命救助のために、開発段階の冷凍睡眠装置が提供された。いつか、医療技術が進んだ未来で、適切な治療を受けられるようにと。  けれども、それは一体どれだけの数が作られていて、未完成だったその装置の動作は、どれだけ安定していたのだろう。当時の事故で生き残ったのは、ユエただ一人。目覚めたのは、事故から一世紀半という年月を経た未来で、事故にこそ巻きこまれなかったというユエの両親も、とっくにこの世を去っていた。  未成年のユエは、この時代の親戚に引き取られることが決まっていたのだけれど、運が良いのか悪いのか、迎えはすぐにはこなかった。というのも、その親戚というのがどこかの軍に所属していて、任務中だったためだ。これから一緒に暮らすことになるとはいえ、家主のいない家に勝手にあがりこむわけにはいかない。ユエは病院の個室をひとつ貸し与えられ、アーノルドという名前の彼が、無事に任務から帰還するまで、保護されることになった。  個室のベッドに腰かけて、医者から渡された写真を見る。ユエの遠い親戚だというその人は、鮮やかな橙色の髪と、明るい空色の瞳が、印象的な人だった。染めているのだろうか。派手な髪の色だなと、ぼんやり思う。ぱっと見た限りでは、二十代前半かそこらだろう。ユエを引き取るというには、ずいぶんと若い。おかしな気分ではあったけれど、とうの昔に決まっていたことのようだったから、深くは考えなかった。写真をベッドの上に置き、写真と一緒に渡された一通の封筒を手に取る。ユエへ――そうつづられたそれは、生前の両親がユエに遺したという手紙だった。もとは白かったのだろう封筒は、今やすっかり変色してしまっている。  ユエは手紙の封を開けようとして、ふと病室の窓へと顔を向けた。そこから見える空は、あの日に見た空と、少しも変わらないように思えた。だけど、医者は言っていた。今や人類は地球から宇宙に進出して、宇宙ステーションやコロニーを作り、当たり前のように、そこで暮らしているのだと――  それからの日々は、目に映るもののすべてが、まるで光の幕越しにみる夢か幻のようだった。交わす言葉にも現実味はなく、人の存在さえ希薄に感じられて、目の前にあるものでさえ、ふれることはできないような気がしていた。  だから、なのだろう。意味もなく病院の中庭を歩いていたとき、ふいに聞こえてきた罵詈雑言で足を止めたのは。  十五か十六ほどの、ユエとそう変わらない年ごろの少年二人だった。地面に尻もちをついた少年に向かって、もう一人の少年が辛辣な言葉を吐き散らしていた。中庭にいる誰もが、その光景から目をそらしたり、院内へと立ち去ろうとしたりする中で、ユエは二人をながめる。 「ねえ、なにしてるの?」  少年の一人が、ユエを振り返った。陽光を照り返して、淡く金色にかがやく髪が、風に揺れた。紅い双眸が、ひとつ瞬く。 「ああ、声を大きくしすぎたか。ただのゴミ処理だ」  紅い目の少年は、なんてことのないように言って、もう一人の少年を見おろした。ユエは目をしばたいて、うつむく少年を見る。 「ゴミ?」  告げられた言葉を繰り返して、ユエは首をかしげた。 「私には、ただの人にしか見えないけど」  亜麻色をした前髪で表情は隠れているけれど、彼はユエの知る一般的なゴミのカタチをしていなかった。きちんとした人の姿をして、服を着て、肩からはカバンだってさげている。ユエはそれらを確認して、ちょっとだけ考えてみた。 「この人、ロボットか何かなの?」  うつむいていた少年が、ぎょっとしたようすで顔をあげた。碧い瞳と目が合う。その場に、奇妙な沈黙が漂った。  きっと、ユエの口にした言葉は、見当違いなものだったのだろう。それでも、ユエは自分がどう受け答えするべきだったのかが、わからない。投げかけた問いへの答えを待つよりほかに、選択肢もない。  少年は紅い瞳でユエを見つめたかと思うと、やがて納得したように「ああ」と呟いた。 「そうか、おまえは知らないのか。こいつは宇宙で汚染された人間なんだ」 「あれ、ロボットじゃないの」 「違う」  少年は呆れたように否定した。 「宇宙で原因不明の病にかかった人間だ。病が完治したかもわからないのに、地球をうろついている迷惑な連中さ」  地面に座りこんだままの少年が、再び、うつむいた。そのこぶしが、きつく握られる。 「おまえも近づかないほうがいい。今のところ子どもしか発症した事例はないが、大人が感染しないともわかっていないのだからな」  知らず、ユエは、うつむいた少年を見つめていた。伏せられたまつげの下にあるだろう碧い双眸をぼんやりと思い、それから紅い双眸へと視線を動かす。 「ゴミなんかじゃないと思う」  少年の紅い目を見て、ユエは抑揚なく言った。「原因不明の病気にかかっても、生きてる人であることに変わりはないよ」  返ってきたのは、ほとほと呆れはてた、というようなため息だった。 「せっかく忠告してやっているというのに――これだから、コールドスリープから起きてきたばかりのやつは困る」  え。と、小さく、碧い目の少年が声をあげた。だけど、紅い目の少年は聞こえなかったのか、それとも聞くつもりもないのか、言葉を続ける。 「いいか? こいつらは汚染されたゴミだ。処理されるべき存在なんだ」 「違うよ」  ユエは、かぶりを振った。 「きみも、さっき自分で言ってたよ。この人のこと、ロボットじゃなくて人間だって」 「それは」  何かを言いかけた少年の横を通り抜け、ユエは碧い目の少年に手を差し出す。きょとんとした碧い目が、ユエを映して瞬いた。 「大丈夫? 立てる?」 「あ、うん……」  固く握られていたこぶしが、ゆるゆるとほどける。戸惑いがちに伸ばされた手を、けれども、ユエはかまわずにつかんだ。少年の碧い目が見開かれて、少年の紅い目が細められる。 「おい。おまえ、人の話を聞いて――」 「あれ、レダ?」  ふいに響いたのは、よくとおる声だった。ユエが少年の手を引いて立たせながら振り返ると、一人の男性が歩いてくる。紅い目の少年を見つめ、明るい青の瞳が、おどろいたように丸くなっている。首をかしげる彼の動きに合わせて、その橙色の髪が揺れた。 「おまえ、なんでこんなとこにいんの? 家に帰ったんじゃなかったっけ?」 「アーノルド・アスラ」  レダと呼ばれた少年が、その名前を口にする。覚えのある名前と顔だった。細くなっていた紅い目が、もとにもどる。 「別件で呼ばれただけだ、すぐに帰る」  言うや否や、きびすを返した少年は、けれども、ほんの一瞬だけ碧い目の少年を見やり、アーノルドと呼んだ男性を顔だけで振り返った。 「あんたも、いつまでもスティグマータなんかといるなよ」  ユエの目には、そこに、何か複雑な感情が入り混じっているように見えた。かすかな違和感を残して背を向けた彼が、再び振り返ることはなかった。 「ユーリ、大丈夫か?」  少年の後ろ姿を見送った男性が、碧い目の少年に声をかける。ユーリと呼ばれた少年は、あわてたようにうなずいた。 「大丈夫です、アーノルドさん」 「それならよし、ってね。まあ、どうせまたレダのやつが言いがかりつけてたんだろうけど」  そこまで言って、橙色の髪の――アーノルドと呼ばれるその人が、ユエを振り返った。 「ごめんね、寝起きにこんなものみせられちゃ気分悪いでしょ? あいつも、悪いやつじゃないんだけどさ」  困ったような笑みを浮かべる彼に、ユエは「いえ」と、ゆるくかぶりを振った。「私は、大丈夫です」そう返せば、アーノルドの表情も、おだやかなものへと変わる。 「一応、医者から話は聞いてるだろうけど、改めて自己紹介しとくよ。俺があんたを引き取るアーノルド・アスラ。そこにいるのは、うちで預かってるやつで、名前はユーリ・アスラ」 「ユエ・アマツです」  軽く頭をさげると、アーノルドは「うん、知ってる」と、笑う。 「ユエとしてはまだ、いろいろとわからないことばっかりだよね。でも、とりあえずは俺たちの名前だけ覚えといてくれれば問題ないから。これから、よろしく」  向けられたのは、人好きのするような笑顔だった。太陽が似合いそうなひとだと、なんとはなしに思う。 「ほらユーリ、おまえも」 「えっと、僕にできることがあったら、なんでもするから」  アーノルドに小突かれて、ユーリもひかえめな笑みを浮かべる。アーノルドとは対照的で大人しい印象を受ける彼は、月のようなものだろうか。  とにかく挨拶を返さなくてはと、口を開く。だけど、目の前に立っている彼らの姿さえもが、まどろみを誘う陽光の向こう側にあるようだった。よろしくお願いしますと、そう口にした言葉は、自分で口にしたとは思えないほどに遠く聞こえた。  陽だまりの中で微笑んでいたアーノルドのそれが、にわかに、いたずらめいたものへと変わる。 「ところでさ、二人ともいつまで手握り合ってんの?」 「あ」  そういえば、ユーリを引っぱり起こしてそのままだった。  あわててほどかれた手に残ったのは、ほのかなぬくもり。光の中の幻にかすかにふれたような、そんな気がした。
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