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夕餉のあと、用意された部屋で落ち合うなり辻里が矢羽根の音を出す。
『そっちはどうだ?』
辻里もやはり警戒しているのだ。矢羽根は暗号術の一種。特殊な息遣いで仲間にだけ判別できる音を出し会話する術だ。この様子では敵の忍がウヨウヨしているのだろう。
『それが……』
絢鷹は昼間の一連をすべて話した。
『ふむ、どうしたもんか。――だがこうも考えられる。元甲賀者という事はそいつ自身、日和見なのではないか? まだ失敗ともいえぬ』
『むしろ話が早いかもしれません。俺、行きます』
『――お前、いくらも経験がないだろう。何度やった?』
『一度です。でもまだ竹村さまが夜伽を所望されているとは限りません』
『いや。限る』
『……そうでしょうか……』
『俺に見られるのが気恥ずかしくないのか』
思わぬ問いに面食らう。口元を押さえ、絢鷹はふふと笑い声をこぼした。まさか辻里からそのような言葉がかかるとは。
『恥ずかしくありません。私だって……すでに辻里さまが女と睦み合う姿を見ていますから。それに、やることは変わらないでしょう?』
『ただなぁ、修錬の手はずとはわけが違う。……ましてや相手に同業だと知れていると、手酷く扱われるかもしれんぞ』
なんとも皮肉ではないか。絢鷹の、初夜の手ほどきを避け、ほかの男に抱かせたのは誰でもない。辻里本人だと言うのに。
そんな気づかいなど欲しくない。
ため息交じりに首をふる辻里が腹立たしい。
『――別に……酷くされても構いません』
かえって焚き付けてしまったか。思わず不用意に言ってしまったが、絢鷹が子供扱いされるのを嫌うことは知っている。だがふてくされた顔はなおさら童のようだ。
確かに、ここで引き下がるのは得策ではない。それでもやはり、どうにも。
任務とはいえ絢鷹が乱暴されるのは辻里にとってはあまり気分のいいものではないのだ。
分かっているもののどうにも気が進まないが、せめぎ合うなんとも言えない感情を拭い去り、辻里は決めた。
『――よし。では行け。隣の部屋は空き部屋だ。俺が書きとるから気にせず探りを入れろ』
『はい』
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