高鳴る鼓動は

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高鳴る鼓動は

 クレシェはシェードに向かって歩いていた。 (ディミヌを助けようと思ったけど……その必要はなかったみたいね)  その直後、ディミヌの声が聞こえ、クレシェは振り返って微笑む。 「楽しかったわ、想像していたよりも。ずっと、ずぅっと」  クスリと笑い、何事もなかったかのようにクレシェは再び歩き始める。 「クレシェ! ダメだよ!!」  発作的にディミヌは叫ぶ。駆け出そうとしたが、足がその場から離れようとはしない。──クレシェの仕業だ。  ディミヌはジタジタしようとしたが、ふとクレシェの声が聞こえた。 「ありがとう。この世界が素晴らしいと思えたのは、守りたいと思えたのは……ディミヌのお蔭」  ディミヌは身動きが止まる。まったく意味がわからない。 「守……る?」 『魔王から世界を守る』と聞いたことはあっても、『魔王が世界を守る』という話は聞いたことがない。 「そういえば……」  ディミヌの疑問に口を開いたのは、リンフォルだ。 「聞いたことがある。『魔王』は『魔』の力を制御しているって。制御しているからこそ、数ヶ所から『魔』の力があふれることなく、『魔の地』と言われる一ヶ所だけですんでいるって。お蔭で、世界は魔物であふれかえらずに人間は生きていられる。……あの説は本当だったんだ」 「抑えるのに、代わりになるものはないのか?」  ディミヌの想いを代弁するように、フォルテは言う。 「ないわけじゃないけど……」  リンフォルは言いにくそうに言葉を続ける。 「致死量に当たる魔王の血を『魔の地』に浸し、聖剣を立てること……。『魔王』はそういう役割があるから、本来は動いてはいけなくて。倒されるにしても『魔の地』でないと意味がないから、基本は勇者が魔王のもとへ向かう~……ってね。嘘か本当かわかんなかったけど、『打倒、魔王!』とは、俺は思えなかったんだよなぁ」  ディミヌの瞳からは涙がボロボロとこぼれる。 「じゃあ、生きるなら……」 『魔の地』で魔の力を鎮めるために、その場にいること。離れることは、許されない。  つまり──生きるのは、牢獄にいるのと同じ。 「そんなのってっ!!」  どこかに出かける自由がない。それは、誰かに気軽に会うようなこともできないとディミヌは嘆く。  クレシェもシェードも、否定も肯定もしない。 「魔族には常識なのか。……なにも知らないのは『人間』だけか。『魔王』を倒すなんて、聞いて呆れるな」  フォルテは呟く。  ディミヌは黙って涙を落としている。──その姿をリンフォルは見つめる。 (だから……言いたくなかったんだけどな)  リンフォルの言ったことが真実だと知っても、どうにかできる手立てはない。 「泣かないで、ディミヌ。私が……今、悲しそうに見える?」  クレシェの声で、ディミヌは視線を上げる。  クレシェはきれいだった。周囲が輝いて『魔王』という響きが不釣り合いに思えるほどに。  クレシェはシェードの手を取る前に、立ち止まる。手を伸ばせば弟に届く位置で、真っ直ぐと弟の目を見ていた。 「ひとつだけ絶対に聞き入れてほしいことがあるの」 「なに?」  今更、なにを言うのかとシェードは首を傾げる。一方のクレシェは真剣そのものだ。 「もう、誰も襲ったりしないで。なにも壊さないで。これから私たちは、共存をしていくの」  初めて聞いた姉の強い口調に、シェードは笑う。 「なにを言うのかと思えば……」  シェードはおかしくてたまらなかった。何事にも無関心に近かった姉が、ディミヌに感化されたのだと思い笑う。そして、『はいはい』と返事をする。  クレシェが『魔王』として魔族の統治をしようともしなかったからこそ、自らの手を血に染めたシェード。  今でさえ幼い彼が、魔族を統治するのには力しかなかった。抑圧しか。──そんなことにも今更、クレシェが気づいて、シェードは視線を伏せる。  気まずそうな弟の手を、クレシェはやさしく取った。そして、クレシェの大切な三人を、力で制圧しようとしなかったやさしい弟に感謝する。 「ごめんね、シェード。……ありがとう」  あたたかい姉の言葉に、シェードは顔を真っ赤にした。 「べ、別に……」  急にモジモジし出すシェード。  そのシェードを遠目に、フォルテとリンフォルは引く。ついさっきまで、悪魔の存在のようだったのにと。 「あいつ……ナルシストかと思ったら、シスコン?」 「ああ、まちがいないな」  男ふたりは小声で会話を交わす。  月明かりに長い金髪を輝かし、うす紫のマントとともにふわりとゆれる。 「ディミヌ……ありがとう。すごく楽しかった」  振り返ったクレシェは、満面の笑みだ。 「フォルテさんも、リンフォルさんも……私を一緒にいさせてくれてありがとう」  フォルテもリンフォルも、クレシェの言葉にドキリとする。いつから男ふたりが、クレシェを『魔王』とわかっていると判断していたのか。  男ふたりはうまい言葉を見つけられず、半笑するしかなかった。  夜なのに、月の光はささやかなのに、空き地がキラキラと輝く。  特に土管の上は、光が降り注いでいるように美しくて。  三人は不思議な光景を見ているようだった。  クレシェと出会ったことは偶然に過ぎないのに、突然、しかもこんな形でクレシェがいなくなるなんて誰も思っていなかった。 「クレシェ!」  ディミヌは引きとめたいと思っていた。自己犠牲はダメだと言いたいにも関わらず、言葉にならない。  クレシェがとても満足そうに笑っていて、思いを言ってしまっていいのかと、とまどう。  クレシェとシェードの繋ぐ手が、家族の絆のように見えていて。 (行かないでなんて……このままいて、なんて……言えない)  ディミヌはクレシェの幸せを願う。 「離れてても、会えなくても……ずっとずっと友達だからね! 絶対! 絶対!!」  叫びながらディミヌは涙をこぼす。 『離れたくない』、『行かないで』頭の中では、そんな言葉がぐるぐるまわる。  でも、それはわがまま。 (今の私に、なにができる?)  ディミヌは考える。精一杯、なにかを──。そうして、口を開く。 「さみしくなったらお互い、空を見よう? 太陽も月も雲も……私たちを繋いでくれる」 「友達……か」  クレシェは呟く。深呼吸をして、クレシェは首を横に振った。 「私は、さみしくなっても空は見ない」  なぜかうれしそうにクレシェは言う。  意外な言葉にディミヌは目を丸くする。涙は、ぴたりと止まる。 「え?」  いたずらをした子どものようにクレシェは笑う。  それは、弾むようだった。楽しそうだった。  キラキラと輝くクレシェはにっこりとして、こう言った。 「さみしくなったらピアノを弾くわ。それで、ディミヌたちのところに『私がいる』とメロディーを送るの」 『だから』と、クレシェは一度、言葉を止める。ディミヌににっこりと笑うと、 「ピアノが聞こえたら、私を思い出してね」  と、一粒の涙を落とす。  光はクレシェとシェードを包む。光に飲まれ、今にも消えそうなクレシェの姿。ディミヌの瞳には、たくさんの涙がたまっていく。 (もう、会えないのに……もう、クレシェの姿は見られないのに。見ていたいのに、見えないよっ!)  視界が涙で埋まっていくディミヌは、目をぎゅっと一度閉じる。  再び目を開くと、クレシェに力強く告げる。 「そうしたら、歌うっ!!」  ディミヌの手は、子どもが我慢するときのようにギュッと握られ、震えている。両手にわがままを握り潰し、叫ぶ。 「ピアノが聴こえたらっ……ピアノが止まったら、皆で一斉に大きな声で歌うからっ! 私は絶対にクレシェのこと、忘れないから!!」  クレシェは一度、目を見開いて、次の瞬間にうれしそうに微笑む。 「うん。私も」 「私も、忘れないよ。ディミヌのこと」  ディミヌには、ほんわりとしたクレシェの声が聞こえた気がした。
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