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裏切りだとしても
点滴だ。クレシェが寝ている間、ディミヌにせがまれて点滴をしていた。その点滴の管が、まだ腕についている。
おそらく、点滴の液体の入っている袋は、洋服のどこかにしまったのだろう。
フォルテはおもむろに席を立つ。クレシェの横で膝をつきかがむと、
「点滴、外すよ」
と、針の刺さる腕を催促する。
『魔王』であれ、療養が必要な状態だ。回復魔法は外傷に有効であって、疲労には効きにくい。疲労は、休むのが一番だ。
本調子でないにも関わらず、あの力の差。そう思うと、フォルテの心は重い。
『クレシェ』は『魔王』。けれど、クレシェは敵視を一切向けなかった。いや、敵視するほどの相手ではないと思ったのかもしれないが、戦いを挑まないのならこちらが威嚇する必要もない。
だから、ただ単にひとりの人間として接するのが無難だと、フォルテは結論を出したのだろう。
ディミヌの思い込みが招いたこととはいえ、勇者の意向に従うのがパーティーのメンバーとしての在り方だ。
クレシェは控えめに腕を出す。フォルテはその白い腕をつかむと、テープをていねいに外し、針を抜く。
ガーゼが当てられ、あとはテープを何回か貼られたら作業は終わるのだろう。
フォルテは黙々と作業をしている。その姿に、クレシェは見とれていた。
「器用……なんですね」
「フォルテは八人兄弟の長男だから、色々器用なんだよね～」
「こら、勝手に人の個人情報を流出するんじゃない」
ディミヌの明るい声に対し、フォルテの声は冷たい。
無感情に聞こえた声だが、フォルテはテープを貼りながら顔をゆがめる。
（もしかして……『八人兄弟』と言われるのが、あまり好きではないのかしら）
クレシェの想像は膨らむ。
（それとも、『長男』で色々と苦労してきたのかしら）
そういえば、目覚めてすぐにディミヌがセプス国王公認の勇者だと聞いたとき。フォルテがうな垂れたことがあった。
ディミヌは明るく元気な女の子というイメージで、しっかり者というイメージではない。
リンフォルはフラフラしているとフォルテが言っていたし、頭の回転がはやいのかもしれないが、やはり、しっかり者とは言えなさそうだ。
一方、フォルテは。
このメンバーでは、一番頼りになりそうな気がする。人当たりに不器用なところはあるものの、実際は料理や手当だけでなく、さきほどからディミヌやリンフォルに適度な注意を促している。
『長男』と言われればしっくりくるし、落ち着いて見えるからか、どっしりとした安心感もある。
（ああ、こういう『しっかり者』のイメージから脱却したかったのかも）
組むメンバーにより、それは可能だったかもしれない。育った家庭とはまた別の立ち位置にいられるかもしれないと望んだのか──そんな勝手な想像をして、クレシェはクスリとちいさく笑う。
一方、呆けたようにフォルテを見つめるクレシェを、リンフォルはじっと見ていた。
「あれ～？ フォルテが先手？」
相変わらずのゆるい声。
クレシェはハッとする。
「ち、違います」
否定しても、クレシェの顔は急速に熱を上げていく。
「はい。もうすこしの間、安静に」
フォルテの淡々とした口調。リンフォルを構う気は皆無だ。
だが、その反応はリンフォルの予想内。
「あ～あ、いつも先制ポイントはフォルテかぁ」
リンフォルは、頭の中で食事前に起こった惨劇を再現する。──その惨事は自ら招いたことなのだが。
「リンちゃん……そんなに多くの人に興味持ってほしいの？」
目を細めて言うディミヌ。
冷ややかな声にもリンフォルはにっこりと笑顔を浮かべ、フォークを指示棒のように振る。
「そりゃあ、モテたいと思うのは男の願望ってもんで……」
「一緒くたにするな」
不快だと言わんばかりに遮ったのは、フォルテだ。着席しようと歩いていたのか、リンフォルは背後から聞こえた声に、ビクリと体を反応させた。
クレシェは錯覚を覚えた。
急激に自分だけが遠くに、遠ざかっていく感覚。
仲の良い三人を見つめて、クレシェは独りだけポツンといるような。
心がゆらぐ。
名前を言っても、誰一人『魔王だ』と言わない。
それどころか、何も変わらない様子。
それを、うれしいと思っている。
同時に、ディミヌには感謝も。
明るい彼女は、自分の正体をわかっていて、敢えて言わずに庇ってくれたのかも知れないと感じてしまって。
ディミヌの素直な、純粋な笑顔にひきつけられる。
「ほら、さっそと食わないと片づけができんだろ」
パチンとなにかが切れて、クレシェはテーブルの目の前に意識が戻る。
ハッとして見渡すと、フォルテが怪訝そうにディミヌの背中を軽く叩いていた。リンフォルは食べ終わっていて、ふたりを楽しそうに見ている。
（私に言われた言葉じゃなかった）
さみしいような、ほっとしたような。クレシェは胸をなで下ろす。
背中に立つフォルテを、ディミヌは座ったまま見上げている。また、なにか話しながら。
ディミヌの姿は、なぜかクレシェには大きく見えた。
そのころ、クレシェが抜けだした『魔王の塔』では。
クレシェのいた部屋の扉の前で、いくつかの黒い影があった。黒い影がゆらめく光を埋め尽くす。慌ただしく影が動き、囁くような声が飛び交う。
「クレシェ様がいないだと！」
「は、はい。返答がずっとありませんでしたので、合鍵で開けてみたところ……」
声を荒げる赤いフードを被った男の声に、年老いた男の声は弱々しく響いた。──弱々しい声が、長年クレシェに食事を運んでいた使いの者のようだ。濃い紫のフードを被っている。
どうやら、何日かクレシェからの返答がなかったため、食事を部屋の前に置いていただけだったらしい。何日も食事を摂ろうともしないクレシェの身を案じ、苦悩の末、ようやく合鍵を使用したと言い訳をしている。
「くっ」
赤いフードを被った男は奥歯を噛んだ。爪が食い込みそうなほど左手を握る。
「探せぇ！」
赤いマントが勢いよくゆれる。その声は、叫びに近いが噛みつぶされていて。塔内に響き渡ってしまったら、とんでもないことになってしまうのだろう。
ひとりが、赤いマントの男に問う。
「あの方には……」
「言うな！」
はやい返答は、『あの方』への恐怖がにじんでいる。赤いマントの男が強く握る手は、いつの間にか両手になっていた。
体は、かすかに震えている。
「この事態があの方に発覚したら……この場にいる私も、お前たちの命もないと思え」
この塔には、クレシェが必要な理由があった。クレシェの不在を長くしてしまえば、それは問答無用で発覚してしまう。
時間の問題だ。
かくして、魔王捜索は秘密裡に開始される。
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