絶望の

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絶望の

「『緑猫』……」  さわさわと風が騒ぎ出し、闇夜にディミヌの声は消えていく。 『緑猫』は鳴くように口を動かし始めた。 「『緑猫』? おもしろいあだ名がついたな」  闇を伝って届いた声は、猫の鳴き声ではなく高音と低音が混ざった奇妙な声。  人の言葉を話した猫に、衝撃を受ける。特にクレシェは、声を聞いた途端に青ざめていた。 「まさか、あなたは……」  怯えるクレシェの声に、『緑猫』は笑う。  ふと、突然なにかがクレシェに降ってくる。手元に触れたなにかを手に取り見れば、濃い紫のフード。  クレシェはそれに釘付けになる。  これを身に着けていた者を知っている。毎日会っていた。──頭に過るその者は、見張り役だった者。このフードが手元にあるということは、持ち主だった者の命は、すでに。  クレシェの視界がゆらめく。 「私の、せいで……」  涙をためた金色の瞳は、濃い紫のフードを見つめる。 (ただ、一時でいいから、自由がほしかった。逃げ出したところで、永遠の自由が手に入るわけないと知っていたわ)  自分勝手に放棄できるような、かんたんな責務を背負い『魔王』として彼女は生まれたわけではない。重要な責務を知りながら、ただ、その責務をすこしの間だけ放棄して、叶えたい願いがあったにすぎない。 (輪の隅にいる存在でもいい。一度だけでも『友達』と呼んでくれる人に会いたかった。誰かと笑い合ってみたかった。それだけだった)  そうすれば、確かに生きていると思えたから。  人間に忌み嫌われ続けようが、構わなかった。  魔族のために自らを犠牲にすることも悪くないと思いたかった。  クレシェは濃い紫のフードを強く握りしめ後悔する。些細な時間をわずかでも望んだことは、『わがままだった』と。 「そんなに自分を責めないで」  ディミヌの声に、クレシェは視線を上げる。  ディミヌのやわらかい両手が、そっとクレシェの肩をつかむ。 「どうしてそんなにクレシェが泣くのかわからないけど……大丈夫だよ」 「ディミヌ……」  クレシェは感極まる。ディミヌは、すでに願いを叶えくれたと。  言葉を詰まらせるクレシェだが、ここで、敢えて。  本当にディミヌはなにもわかっていない。  すでにクレシェの塔にいた者たちは、クレシェが行方不明だと『緑猫』に知られてしまい、壊滅状態に近い。──そう、クレシェからすればまったく大丈夫とは言えない状況。  しかし、クレシェはそんな悲惨な状態を想像するより先に、ディミヌのやさしい気持ちに心が癒されていた。  一方で、フォルテとリンフォルは取り残された感いっぱいだ。女子ふたりの妙な光景に、ふっと笑う。そして、こんな平和な光景がすべてであればいいと願う。  けれど、願っても事態は好転しないわけで。  フォルテもリンフォルも、どちらともなく鋭い視線を『緑猫』に向ける。『緑猫』は、影を揺らしながら影を伸ばし、姿を大きくしていく。 「『大丈夫』……『大丈夫』か。……おもしろいっ!!」  『緑猫』は高々に笑う。ぐっと伸びた影に猫の姿は飲み込まれる。  影は下からも猫の姿にこびりついていき、より大きなものへとなっていった。 「まさか、僕を忘れていないよね?」  影に包まれたモノから、少年の声が聞こえた。  影は大きく膨れ上がっていき、百五十センチほどの人形を作っている。闇と一体化したその周りに、黒い煙がただよう。 「変化の魔法が、解けていく……」  リンフォルが呟いた通りに、煙が徐々に消えていく。すると、深い緑色のマントで覆われた細長い姿が残った。  深い緑色のマントで全身を包んでいたそれは、右腕を顔の前に上げ、顔が見えない。  猫は、いや、目の前にいたのは少年だった。  ゆっくりと右腕が下がる。  さらさらとゆれる短い金髪。開かれた瞳は、闇夜に輝く金色。  金色の瞳に、クレシェに沸いていた予感が確信に変わる。 「迎えに来たんだよ?」  真っ直ぐクレシェを見つめる者は──。 「シェード……」  呟かれた名前。  それは、ふたりが知り合いだという確かな証拠。  消えそうな声で言ったクレシェに、リンフォルは笑う。  リンフォルはシェードと呼ばれた少年と、その名前を呟いたクレシェに共通点を見つけていた。髪も、瞳も、ふたりとも金色。  金髪は珍しくはない。だが、瞳が金色なのは珍しい。  珍しい組み合わせの色彩を持っているふたりであれば、血縁関係だと推測しても自然だろう。そう考えれば、対面する少年、シェードもクレシェと同レベルの可能性は高い。──リンフォルが感じていた『緑猫』からの異常な魔力もうなずける。 「ふ~ん、そういうこと? ……もう笑うしかないね」  リンフォルは早々に両手を上げて降参を宣言をする。その言動に、ディミヌとフォルテの視線が動く。 「リンちゃん? どういうこと?」  緊迫した場に、ディミヌのとぼけた声が響く。  リンフォルは無垢なディミヌになんと言うかと迷う。 『とっとと逃げよう』と、言いたくても言えない。言ってしまえば、 「クレシェを見捨てるなんて、最ッ低!!」  と、なにも理解していないディミヌなら言いかねない。だからと言って、今更、 『クレシェちゃんはね~、実は『魔王』だったんだよ』  と、いつものようにゆるい口調で言ったところで、この場を流すには強引すぎる。  なんと答えるべきかと悩んだのは、フォルテも同様。男ふたりは、状況説明の言葉に詰まる。──そこへ聞こえてきたのは、シェードの透き通る、愉快そうな声。 「なんだ、知らないの?」  大の男ふたりが困っている光景を見て、シェードはおかしいと言いたげに笑う。その笑い声も、表情も、楽しそうであるのに冷たい。 「この方はね……」  ゆっくりと動くシェードの唇に、クレシェの鼓動はビクンと跳ねる。突如に湧き上がる、強烈な罪悪感。 「やめてっ!」 「僕の姉……」  クレシェの悲痛な声は、同時に発せられたシェードの声と重なる。続いたのは、クレシェには残酷な現実。 「我らが魔王だよ?」  クレシェの悲痛な叫びは空しく、シェードは男ふたりがためらっていた言葉をサラリと言ってのけた。  シェードは実に満足そうな表情を浮かべている。『そんなことも知らないで一緒にいた、バカども』と言いたげに。 「え?」  闇にほんわりと浮かんだディミヌの声。直後、クレシェの肩をつかんでいたディミヌの手からは、力が抜けた。  するりとクレシェの肩から、ディミヌの手が滑り落ちていく。  繰り広げられていく展開にディミヌはついていけず、思考は停止。 「ディミヌ」  リンフォルの声に、ディミヌはハッとする。  ディミヌは、弱々しい瞳でシェードを視界に映す。その表情は口元がガタガタで、なんとも情けない。  シェードの視線は、ディミヌを見ていない。真っ直ぐと、そして、うっとりとした表情を浮かべクレシェへと向けられている。 「正体は隠していたんでしょ? ほら、帰っておいでよ」  更にシェードは追い打ちをかける。 「帰って来る場所は、僕のところしかないんだよ」  魔法を使い、シェードはクレシェに直接呼びかける。右手を上げ、クレシェに来いと、手をつかむようにと、視覚にも訴える。  クレシェの心は揺れていた。魔力が強ければ、直接の呼びかける力も大きい。  先ほどまであった、やわらかい手の感覚が名残惜しく残っている。けれど、ゆっくりと離れた手。  肩に手を置くと、クレシェは涙がにじむ。 (これが答え……当たり前のこと……) 『勇者』と一緒にいた者が『魔王』だとわかったら、『勇者』が手を離すのは当たり前のこと。そう、当たり前だとクレシェは自らに言い聞かす。  ディミヌたちのレベルは、クレシェとシェードに敵うはずはない。リンフォルの行動は正しい。誰もが、身内が一番大事だ。  シェードも力の差を感じているからこそ、敢えて弱いディミヌたちを相手にしようとしない。 (ディミヌさんも……)  実感せざるを得ない厚い壁に、自然と敬称がつく。 (多分、シェードと同じ)  太刀打ちできるような相手ではないと、『魔王』と罵らないのだとクレシェは悲しんだ。醜い光景を見ないで済んだだけいいと納得させようとしたとき、心がチクリと痛む。 (もし、ディミヌさんと戦いになったら……私は無抵抗で殺されたかもしれない)  なぜかそんなことを思って、 (魔族を身勝手に見捨てることにならなかっただけ、よかったのかもしれない)  と、クレシェは悲しく微笑む。  クレシェは意志を決め、シェードを見る。弟の手を取ろうと、歩き始め──ようとしたとき。 「ジョーダン!」  ザッとクレシェの前にはだかったディミヌ。右手に拳を握り、クレシェの行く手を阻む。  クレシェは驚く。  声すら出ない。  ディミヌはクレシェを見てはいなかった。弱々しく、シェードを見ていただけだったはず。  ディミヌの背を見つめ、クレシェは頭を整理できない。  男ふたりは顔を見合わせる。そうして、 「どうするかと迷うだけ、ヤボだったな」 「ほんと」  と、苦笑する。 『勇者』に従うのがパーテーのメンバーだ。  結論は、初めからディミヌが言っていた。──クレシェを守ると。  リンフォルは白旗を下げ、フォルテとともにシェードに敵視を送る。  ディミヌはクレシェが動かないと感じたのか、一瞬だけクレシェに笑った。そして、すぐにシェードに向き直し、今度はキッとした表情でじっと見る。  両手の拳を強く握り、瞳からは炎が見えそうなほどの怒りを燃やして。 「おもしろい()だね」  シェードは呟くと、ディミヌを標的と定める。戦いを受け入れると告げるように、鋭い視線を送って。
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