差し伸べられた手は

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差し伸べられた手は

 煉瓦で囲まれた丸い一室。自然に任せた照明は、金色が降り注ぐ。  月だ。  月が神秘的な美しさを放っていると、女性は窓を見上げていた。 「では、お食事が済みましたころに、また伺います」 「ありがとう」  女性の声は感情を含まず、単に言葉だけを使いの者に言うものだった。  使いの者は濃い紫のフードを深く被り、その背中は丸まっている。長年、女性の食事を運んでいる者だ。だが、女性は使いの者に興味が沸かなかった。年齢さえ知らない。いや、この者だけにではなく、関心がない。たぶん、何事にも。 (皆、私を腫物のように扱うわ。ただひとりの弟でさえ。私を『物』として扱っているような感じだもの。だから、私は。この年になっても、この棟で独り。そう、独りで過ごしてきたのよ)  空を見上げ、月を羨ましく思う。空に、自由に浮かんでいるような月を。 (私は、いつまで……いいえ、いつまでもここにいなければいけないのよね)  ──ここに、こうしていていることが務めなのだから。  理解していても、心が苦しい。『自由』への憧れが強くて。  パタン  狭い部屋の中で、扉が閉まった音が響いた。音が聞こえ、女性は月から視線を動かす。  じっと扉を見つめ、耳を澄ませる。  コツン……コツン……  おもむろに扉に近づき、扉にそっと耳をつける。靴音は遠ざかっていき、胸をなでおろす。 (行ったわね……)  女性は素早く鍵を内側からかける。今度は扉に背を向け、高い月を見上げた。  月は、女性の金髪をより輝かせるかのように、金色の光を降り注いでいる。  女性は狭い部屋を見渡す。  右手にはベッドがある。左手の奥には細い通路があるが、水回りがあるのみ。  積み上がる煉瓦にある窓は、ただひとつだけ。見上げる窓は身長の三倍はあろうかと思われる高さにある。  丸い部屋は煉瓦で囲われており、直径は三メートルくらいだろうか。女性は、目で距離を測る。 「よし」  力強く、ちいさく呟く。  扉からおよそ三メートルを全力疾走し、女性はまるで忍者のように壁を駆け上がっていく。  素早く屈み、右手を伸ばす。その手は、窓の縁めがけて伸びていく。あと二センチ、一センチ。──それはミリ単位になり、いよいよ縁をしっかりとつかむ。  左足を軸に、右手で身体を支え、ひらりと窓の上に乗る。  左膝を窓枠につけた体勢になり、なびいていた肩下までの長い金に光る髪と薄い紫のマントが重力に従う。  月明かりが女性を照らし、神秘的に女性も輝いている。  女性は窓に立つ。まっすぐと月に向かい合うように。  仰ぐ月は、満月ではなく、それが余計に魅力的に見えていた。 「ようやく私は……自由になれる」  女性は、欠けた月に希望を見た気がしていた。そのまま月に吸い込まれるように、女性の体は棟から放たれていった。  金に輝く美しい髪も、薄い紫のマントも、暴れるようになびきながら。  女性はうつらうつらと意識が戻ってきたのを感じていた。柔らかい感触に、ベッドに横たわっていると現状を把握しようとしたとき、知らない男女の声が聞こえると聞き耳を立てる。 「どこから拾って来たんだ、それは」 「『拾って来た』だなんて! 倒れていたから……放っておけなくて」 「またそれか。お人好しもいい加減にしろ」 「違うもん! 困った人を助けるのが『勇者』の仕事だもん!」 「よっく言うな! 昨日だってそうだ。お年寄りの荷物を持つのが『勇者』の仕事なのか!?」 「じゃあ! フォルテは! こんなにきれいな人が倒れていても、放っておけって言うの!? 人でなしっ」  とぎれる間がない。次々に声が聞こえてくる。  聞き耳を立ててしまったが、このまま男女の言い争いを盗み聞きをしてしまってはいけない気がしてきた。 「ん~……」  意識朦朧としたまま、背伸びをする。その際にもれた声に、男女の声は止まった。 「あ、目が覚めた?」  ふと聞こえたのは、明るい声だ。言い争いをしていた女の方の声。  女性はゆっくりと瞳を開ける。すると、茶色のくりっとした少女の目が目の前にあった。  女性が驚きのあまり、目を大きく開けていると、 「あ、ごめん、ごめん。近いね」  と、少女はほどよく離れてくれた。  前髪が中央でぱっくりと分かれた、ショートボブ。飴色のような髪と瞳。髪と瞳の色が映えるくらい色白な肌。細身でかわいらしい顔立ちに似合わず、男性の旅人を思わせる青を基調とした服装。そして、似合わないのは、腰に見えた長剣もだ。 「えと……私は?」 「倒れてた」  あっさり少女が言い、指をさす。その方向を女性が見ると、左腕に点滴が打たれていた。 「かわいい顔して……誰かから逃げている途中だったの?」 『かわいい』と言われたことのない女性はドキリとした。女性がかわいいと見ていたのは、目の前の少女の方だ。  女性の瞳に映っているのは、人を疑うことを知らないような、人懐っこい少女の笑顔。――なぜか、胸が痛む。 「私は……」  女性が視線を伏せる。そのとき、 「んなことより……飯食わせてやれよ、ディミヌ」  と、少女の後ろから男性の声が聞こえた。  女性は思わず視線を向ける。さきほど、少女と言い争いをしていた、男性の方の声だ。  冷たく聞こえた声とは裏腹に、男性は淡々と食事の準備を整えていた。  男性は刈り上げたように短い襟足。いや、前髪も短い。印象づくのは、黒の格闘着。──見るからに格闘家だ。  よくよく見れば、めくった袖から鍛えられた筋肉が見える。 「そうね。お腹いっぱいになれば、元気が出るはず!」  拳を強く左手で握り、ディミヌは燃えるように言う。  その声も表情も、希望をたくさん知っているように、女性には思えた。 「食べよっか」  見知らぬ者だというのに。  ディミヌは女性に、にっこりと笑って手を出した。
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