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むかしむかし、あるところに、アヒルのきょうだいがおりました。
七羽のきょうだいの中には、二羽の娘アヒルがいました。
姉のアヒルはとても美しい真っ白な羽を持っていました。
母アヒルは、それはそれは娘をかわいがり、他のきょうだいそっちのけで、その美しい羽を毎日つくろうほどでした。
一方、父アヒルの羽の色を受け継いだ妹アヒルは、白と茶色のまだら模様でした。
アヒルの世界では、まだら模様はみにくいものとして嫌われていました。
母アヒルは、そんな妹アヒルを決して慰めませんでした。
かける声といえば、
「おまえはチビだし、本当にひどく汚らしい色をしているね。嫁のもらい手なんてないだろうよ」
という、冷たいものでした。
うって変わって、姉アヒルには、
「おまえは本当に美しいわ。きっと素敵なご主人さまに見初められ、幸せに暮らすだろう」
そう言い続けました。
その母アヒルの言葉を聞いて育った姉アヒルは、どのきょうだいよりも傲慢でした。
「おどき! 私が先にその水草を食べるのよ!」
妹アヒルをくちばしでつつきながら、姉アヒルは優雅に泳ぎました。
ギャーギャーと鳴くその声を聞くたびに、悲しくなってしまう妹アヒルは、いつも家族から離れて泳いでいました。
ある日、さらに母アヒルたちから離れて、河の対岸にやって来た妹アヒルの側に、人間の男がやって来ました。まだ若い青年でした。
「きみはどうして一羽なんだい? まだ子供だろう?」
妹アヒルは人間の言葉が分かりましたが、もちろん話すことは出来ません。
くちばしを開いても、出てくるのはグァーグァーという鳴き声だけです。
「変わった模様だ。どこにいてもすぐ、きみだと分かるね。羨ましいな。……あぁ、僕も空を飛びたいなあ。きみはもう飛べるのかい?」
母アヒルから聞いていた恐ろしい人間とはまるで違う青年の様子に、妹アヒルは少しだけ青年に近付きました。
「お腹が空いているのなら、僕のパンをあげるよ」
妹アヒルは、初めて食べたパンの味に、すっかり虜になり、毎日その河の対岸へ渡るようになりました。
最初はただ、パンが欲しいだけでした。
ですが、妹アヒルはいつの間にか、頭上から振ってくるその温かい声に恋をしたのでした。
優しい言葉をかけてくれたことが、パンよりも何よりも嬉しかったのです。
みにくいアヒルの自分でも、優しい声をかけてくれる生き物がいる――それを知った妹アヒルは、すっかり元気になりました。
家族から離れて泳ぐことが少なくなった妹アヒルを不審がった姉アヒルは、妹を問いただしました。
話すのを嫌がった妹アヒルでしたが、姉のあまりの剣幕に、ついに、青年のことを喋ってしまいました。
「パン? あの、パンが食べられるの? 人間が持っているパン?」
妹アヒルは怖々、くちばしを縦に振りました。
「そこに案内しなさい。おまえだけパンを食べるなんて、許せない。教えないのなら、お母さんに言いつけてやるんだから!」
妹アヒルは母アヒルに何と言われるのか、恐ろしくてたまらず、姉アヒルを青年がやって来る対岸まで泳ぎ、案内しました。
「あのひとがそうよ」
姉アヒルに告げると、姉は素早く泳いで青年に近付きました。
「おや、友達を連れてきたのかい? きょうだいかな?」
ニコニコと笑う青年に姉アヒルは「さっさとパンを出しなさいよ! この人間が!」と、その手のひらに噛みつきました。
びっくりして後ずさった青年を見て、妹アヒルは悲しくなって泣きました。
「やめてお姉さん! 彼を傷付けないで!」
グァーグァーと声が響きます。
妹アヒルは、 "こんな声、いらない" と思いました。
いくら鳴いても、人間には理解してもらえません。
姉の攻撃から守りたくても、どんなにお礼が言いたくても、青年には妹アヒルの言葉は届かないのです。
妹アヒルは必死になって、姉に体当たりをしました。
面食らった姉アヒルでしたが、それが妹の仕業だと知ると、烈火のごとく怒って、翼をバサバサと広げながら妹をつつき、追い回し続けました。
「妹のくせに! みにくいチビのくせに!」
青年は、突如始まったアヒル同士の争いに、驚いたのか逃げていってしまいました。
そうしているうちに、身体中、傷だらけになった妹アヒルが動かなくなると、姉は満足したのか帰って行きました。
――お姉さんは、きっと……お母さんに言いつけるんだわ――
そう思うと、妹アヒルはさらに悲しくなってきます。
もう帰りたくない――そう思い、妹アヒルの目からは涙がこぼれました。
模様がみにくいというだけで、人間の言葉を持たないアヒルだというだけで、なぜこんなに悲しい思いをしなければならいのだろう、と悔しくなりました。
――アヒルなんて、もう嫌だわ。人間になりたい。彼のように、優しい声で話してみたい――
妹アヒルは、試しにくちばしを開いてみました。
しかし、微かに開いた固いくちばしの隙間からは、グァーグァーという声が漏れるだけです。
妹アヒルの涙は止まりません。どんどん、どんどん泣きました。
次第に河の水が溢れ、妹アヒルの身体を流していきます。
「大変だ!」
両手に大きな網を抱えた青年が戻ってきて、流れていく妹アヒルに気が付き叫びました。
青年は何とかアヒルの争いを止めようと、暴れる二羽を捕まえようとして、網を取りに走ったのでした。
「こっちにおいで! 羽を伸ばして!」
青年が河に飛び込むのが見えて、妹アヒルは幸せな気持ちになりました。
人間は、さほど泳ぐのが上手くないと聞いていたからです。
そんな人間である青年が、こんなアヒルのために河に飛び込んでくれただけで、妹アヒルは幸せでした。
「ありがとう、人間さん。私はもういいの。このまま流れていって消えてしまいたい。……次は人間になるわ。そして、あなたのような優しい声で話すの」
妹アヒルは呟くと、目を閉じました。
すると、どこからともなく、身体が温かくなって、アヒルは目を開きました。
そこは、とても眩しい世界でした。
『アヒルよ。おまえは人間になりたいのですか?』
妹アヒルは、困って翼を少し広げました。
声の主は、誰だか分かりません。とてもとても眩しいのです。妹アヒルは目を閉じて考えました。
「……えぇ、私は人間になりたいです。あの優しい声が、欲しいのです」
小さな声で、妹アヒルは答えました。
人間に――あの青年に憧れていた妹アヒルにとって、"人間になりたい" などと言うこと自体が、身に余ることで、恥ずかしかったのです。
『そうですか。……では、おまえの願いを叶えましょう。おまえはとても慈悲深く、優しい。その気持ちを決して失ってはいけませんよ』
その言葉を理解した耳の側で、きーん、と何とも言えない音がします。
妹アヒルはさらに、ぎゅっと目をつぶりました。
◇
どれくらい時間が経ったのでしょうか。
妹アヒルがふっと目を開くと、目の前に、びしょ濡れになった青年の顔がありました。
「人間さん?!」
妹アヒルは叫びました。グァーグァーという声が聞こえる――はずでした。
ですが、その耳に届いたのは、鈴が転がるようなかわいらしい、人間の声でした。
「娘さん、きみは……誰だい?」
妹アヒルは自分の身体を見下ろします。
そこには白くて綺麗な人間の手があり、すっと伸びる足があります。妹アヒルが "自分はもうアヒルではない" と分かるまで、しばらく時間がかかりました。
人間の娘になった妹アヒルは、ぱちくりと目を瞬かせ、青年の青い瞳を見つめます。
「私は……。いえ……あなたはきっと信じてくださらないわ。でも……」
少し前までアヒルだった、若い娘は青年にどうしてもどうしても、お礼が言いたくなりました。
頭がおかしいと思われても構わない――と、桜色の唇を開きます。
「私は、ここで……。いつもパンをもらっていたアヒルです。この河に流され、もう死んでしまおうと……次は人間になりたい――そう願ったときに誰かが私を助けてくれました。きっと神さまが私の願いをきいてくださったんだと思います」
「娘さん……きみがあのアヒルだって言うのかい?」
「……今は違うかもしれません。ですが、私は小さなアヒルでした。そしてあなたは、私の汚いまだら模様を羨ましいと言ってくれました。私はとても嬉しかったのです」
青年はとても驚いた様子でしたが、嘘を言っているようではない娘の瞳に、それを信じることにしました。
そして行く先がないという娘を、自分の家に連れて帰りました。娘はよく働き、青年の両親にも愛されました。
青年の両親は「この子はどこのお嬢さんだい?」とたびたび聞きましたが、青年と娘は、娘がアヒルだったことは "ふたりだけの秘密にしておこう" と決めておいたので、村の誰も、この娘がどこから来たのか知ることはありませんでした。
娘と一緒に暮らし始めて季節がひとめぐりした頃、青年は気立てのよい、この娘を妻にすることにしました。
夫となった青年は代々続く牧場を継いで盛り立て、一生懸命に仕事をしました。
妻であるアヒルだった娘もそれを支え、たくさんの子宝にも恵まれました。
父となった夫と、母である妻は子どもたちを分け隔てなく愛し、子どもたちは両親が大好きでした。そして、この家族は村でも評判の仲のよい家族になったのです。
そしてこのふたりは、おじいさんとおばあさんになっても、幸せに暮らしましたとさ。
おしまい。
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