世界は赤色、君は灰色、俺たちは…

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 今日の世界は赤色だった。突如として神様がエラーを吐いてから十年。世界は日々色を変えている。  統計によると世界の色の比率としては目に優しい寒色が多いので赤色は少し珍しい。  世間はこれを吉兆と捉えるもの凶兆と捉えるものに分かれて朝から喧々諤々。勝手気ままな議論やデマが飛び交っている。  俺はといえばそれどころではない。  仕事場からの呼び出しの電話で叩き起こされた。赤はまずいのだ。  上司から指定されたポイントに向かうとすでに現場は大混乱だった。  交差点で鳴らされるクラクション。大声を張り上げる同僚の警察官。混乱する車両たち。その中で横断歩道に並ぶ小学生。  世界が色を変えるようになってから色んな法案が通っていった。その中にはもちろん色による信号表現の是正も含まれていたが十年経っても金が足りないところは足りない。こうして旧来の信号機が現役の比較的小さな交差点では、世界が赤か青になると大混乱が巻き起こる。  車の色が分からないから指示を出すのも一苦労だ。車種で呼ぶしかないが、家族や会社の買ったものに乗っているだけの人間は自分の乗っている車の車種も知らないのでこちらが呼び掛けていることにすら気付いてくれない。  もう慣れてしまった忙しなさに身を投じながら俺も大声を張り上げる。 「あの子たちはもうこんな色の世界が当たり前なんだよな」  通勤ラッシュが落ち着いて仕事が一段落ついた頃、同僚が小学校の方を眺めながらぽつりと呟いた。  物心ついた頃から世界に色がついていた小学生。  色の新人類という呼び方をされることもある世代。  彼らに世界はどう見えてるのだろう。  大人たちが日々今日は赤色だ青色だ黄色だと混乱しているのを彼らは冷めた目で見ているのかもしれない。  こうなってしまった世界に平穏が訪れるのは夜だけだった。神様も夜には眠るらしい。  俺のような旧人類は人工の明かりに温かみすら感じる。  コンビニに寄って(俺にとって)まともな色になった弁当を選ぶ。  その帰り道、俺は道の向こうに小柄な人影を見つけた。  こんな時間に子供が夜を出歩いているなんて。  職業柄放っておくことは出来なかった。 「おおい。こんな時間に何を……して……?」  呼び掛けながら駆け寄って、俺は固まった。その小柄な影は俺の想像を遙かに超えたフォルムをしていた。  一昔前ならグレイと呼べば通じただろう。  今なら宇宙人と呼ぶほかない。  そういう生命体が俺の目の前にいた。  グレイは飛び上がって俺を見た。  慌てて周囲を見渡す。  世界はやけに静かで俺たち以外に誰もいなかった。 「……」  俺は言葉を失っていた。 「きゃるらららきゅろろろきょりれれれ」  グレイが謎の声を出す。俺に話しかけているのだろうか。俺にその言葉は分からない。  しかし話しかけているというのは大いなる間違いだった。  グレイが突如として発光した。俺の目はそのまぶしさにくらみ、意識が遠のいた。  目を覚ますと俺は寝台の上にベルトで固定されていた。  指先一つ動かすことが叶わなかった。  俺を覗き込んでいるグレイは夜道で見かけたのとは別個体のようだった。  明かに差違を見出せるわけではなかったがほんのりとした雰囲気が違っていた。 「こ、殺さないでくれ。離してくれ。助けてくれ」  口から出てきたのはそんな情けない言葉だった。  グレイは表情を変えずに口を開いた。 「きゅるるる……安心してくれ……殺したりはしない。その方が人間社会では問題になる……我々はすでに学んだ……君の記憶を少しいじるだけだ……」   ゆっくりとした喋り口は必死に言語を変換しながら喋っているようであった。 「お、お前たちは宇宙人なのか?」 「君たちの認識からすればその言葉で合っている……しかし我々自身は君たちの言葉に変換するなら……変色人だ。変色人と自らを呼んでいる……」  変色人。色が変わる。それはまるで世界そのもののような。 「我々は色を変える……それは周期的なものでかつ同調的なもの……我々の誰かが色を変えるとき我々の全部が色を変える……夜、太陽が遠ざかるときはこの色で落ち着くが……」  俺は彼らをカメレオンのようだと思った。 「一昔前ならいざ知らず、君たちの目はどこまでも届く……我々は君たちの好奇の目から逃れるために方策を練った……記憶を消したり誰もいない森の奥に紛れ込んだり……しかしどんな方法も限界にぶち当たった……我々は世界の方を変えるしかなかった……世界のどこにでも紛れ込めるように……」 「つまり世界の色が変わるようになったのは君たちの仕業だと?」 「そういうことだ……我々がすでに失った故郷の星とこの星はよく似通っている。住みやすい……だから世界をあまり変えたくはなかった……しかし世界がそのままだと我々は夏の砂浜の上に真っ黄色の姿で現れかねないのだ……」  俺はその光景を思い浮かべる。誰もが放っておけないセンセーショナルな絵面だろう。 「お休み隣人……安心しろ。少しの記憶が消えるだけ……」  急速に眠気が襲ってくる。変色人の顔が歪み出す。  俺は再び意識を失った。  今日の世界は灰色だった。  俺は安堵の息を漏らす。世界の色の中でも灰色はいい色だ。世界に靄がかかるだけでそこまで変色による支障はでない。  頭が妙に重い。動きを制限されるほどではなかったが長続きする鈍痛が頭を支配していた。  昨夜飲み過ぎたのかもしれない。夕べのことをあまり覚えてはいないが。若くはないのだ無理は禁物だ。  のんびりと出勤の準備をした。    職場に着くとちょうど同僚がコーヒーメイカーを操作していた。 「やあ、おはよう。コーヒー飲む?」 「いややめとくよ。今日は何だか頭が痛いんだ」  同僚は心配そうな顔をした。 「続くようなら医者に行った方が良いぞ。色圧疲労症かもしれない。俺の親戚もそれを放置して重症化したんだよ」 「気をつけるよ」  色圧疲労症は世界の色が変わるようになってから発症するようになった疾病だ。  世界の色の変化に当てられて感覚が麻痺してしまう病で世界人口の3分の1が一生のうちに一度は発症すると言われている。 「まあ昨日は珍しい赤色だったからな。いつもより疲れてもおかしくはないか」 「え?」  俺は思わず聞き返した。赤色だって?いつもの寒色系なら夕飯の内容を忘れるように忘れてしまうこともあるが、赤色だったらさすがの俺も覚えているはずだ。  頭痛が強まる。立っていられない。 「お、おいしっかりしろ。顔色が悪いぞ。やはり医者を……」 「待て、大丈夫。大丈夫だ」  俺は思い出した。頭痛は記憶の再獲得に付随するものだった。体調の不良とは少し訳が違う。夕べのことを思い出した。飲み過ぎどころではない出来事を。  あの宇宙人たち、記憶を消しすぎたのだ。あのピンポイントの夜の記憶を消すことは出来なかったのだ。  世界が赤色になった記憶まで消してしまうとは、彼らは人間社会についてまだまだ学びが足りなかったようだ。人間にとっては珍しい赤色も彼らの周期からしたら珍しいものではなかったのかもしれない。 「本当に大丈夫なのか?」 「大丈夫。ほらもう元気だ」  俺は立ち上がり適当に飛び跳ねた。同僚は少し困った顔をしたがそうか、と頷いた。 「でも本当に……何かあったら言ってくれよ?」 「うん……そうだな、それは……まあ何かあったら」  俺は一瞬夕べのことを言おうとしかけてやめた。  宇宙人に会ったなど良識のある人間であればあるほど信じてもらえるようなことではない。  それに彼らは紳士的な宇宙人だった。俺を殺さなかった。  だいたい世間にそれを知らせたところでどうなるというのだろうか。世界の色を変えるなんて連中に立ち向かえるほどの能力が俺たちにあるだろうか。  だから俺は沈黙を選んだ。  世界は今日も色を変える。きっと明日も変えるだろう。  世界の色が変わる限り少し間の抜けた隣人がこの星のどこかで生きていると分かるのだ。  俺はそれだけで良いとそう思った。
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