伝承の始まり

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伝承の始まり

 王は、鯨狩りの頂点にして最強。  ナナソルを育てた王は、世襲制の中で失われていた伝統を復活させた偉大なる鯨狩りだった。天の国に呪われることも厭わず、彼は地上にやってくる鯨たちを王である故に狩った。  それが、彼の矜持であり誇りだったからだ。  今でもナナソルは、鯨狩りを教えてくれた育ての親の背中を思い出すことができる。大きな王の背中を見て、ナナソルは鯨狩りを覚えた。  その人の背中を支えたいといつか思うようになった。  そして、その夢を今ナナソルは叶えんとしている。  それは、黄金の鯨の群れだった。  何頭もの鯨が空を旋回して船の街の上空を旋回する。姫を迎えに来た鯨たちだ。人々は鯨に魅入られぬよう船の内に籠り、リリン姫は城たる箱舟の奥底に息をひそめていた。  そうしろと、ナナソルは彼女に伝えておいたのだ。  ナナソルは蒼き衣に身を包み、箱庭の上に立っていた。蒼き衣は生命の色。生まれるものを祝福する創造の色だ。  神々の色彩ともいえるその衣を翻し、ナナソルは大きく跳ぶ。そんなナナソルへと、鯨の一頭が襲い掛かってきた。間一髪、ナナソルは鯨の頭突きを躱して、空へと高く跳躍する。  鯨は石化した箱庭に激突し、悲痛な声をあげながら地面へと落ちる。そんな鯨の脇腹を踏みつけ、ナナソルは再び空へと跳躍していた。  ここにいては、姫や住民を戦いに巻き込むことになる。街に聳える船の屋根を踏みつけながら、ナナソルは森へと鯨たちを誘う。  森にいけば足場となる樹も、鯨を仕留める武器も豊富にある。戦にはもってこいだ。  森に入ったナナソルめがけ、鯨たちは大挙して襲い掛かってくる。ナナソルは大きく跳躍してそれを躱し、樫の木を踏みつけながら空へと飛ぶ。ナナソルの背後では、群れを成して多くの鯨たちが森へと突っ込んでいた。  そんな鯨たちを背後に捉えながら、ナナソルは木に吊るしていた縄をナイフで切り落としていた。縄に吊るされていた鋭い銛が、森に突っ込んだ鯨めがけて放たれる。  背中から串刺しにされ、鯨たちは苦悶に悲鳴をあげていた。そんな鯨たちの悲鳴を聴きながら、空へと跳んだナナソルは背負う銛へと手を回す。  銛を放ち、手近な場所に浮く鯨を狩る。脇腹に銛を穿たれた鯨は悲痛な叫びをあげながら、森へと落ちていく。落ち行くナナソルは枝にあらかじめ置いておいた銛を手に取り、再び木の枝を弾ませて空へと跳ぶ。  銛を手にナナソルは一際大きな鯨へと、肉薄していた。鯨は巨体に勢いをつけてナナソルへとぶつかってくる。人と鯨との一騎打ち。ナナソルは歯をむき出しにして叫んでいた。  力の限り叫んでいた。  鯨もまた、ナナソルの声に応じて吠える。  一人と一頭は蒼い空の上でぶつかり合う。ナナソルは金の鯨の頭に、深々と手に持つ銛を刺していた。  金の鯨は、ナナソルによって狩られた。すると見よ、空から大量の雨が降ってくるではないか。塩辛いそれは、遥か上空に飛ぶ巨大な鯨から放たれるもの。その鯨の背に、天の庭は存在するのだ。  遠い昔に、地上を覆った洪水がまたルルナクの国を襲おうとしていた。  同胞の死を嘆き悲しみ、天の庭を抱く鯨は泣く。その涙は地上を覆い、水の中へと地上に住むすべてのものを飲み込んでいくのだ。  それは、世界の終わりのように思えた。人々は死に絶えてしまうのか。  否、船の都に会った人々は、みな自分たちの船に乗りその様子を外から見守っていた。リリン姫もまた浮き上がった化石の箱舟から出て、その様子を箱舟の上から見守っていたのだ。その横には、亡くなったはずの王の姿もあった。 船の都は、波打つ水に乗って大移動を始める。嵐となった鯨の涙は容赦なく船を襲った。人々を乗せた船は沈むことなく、樹海のあった丘の上へと人々を導いていった。  その上に、ナナソルの姿がある。蒼き衣を翻す鯨狩りの姿が。  水に流されたナナソルは、丘に流れ着き難を逃れたのだ。そんなナナソルを人々が取り囲む。彼の無事を祝って、喜びに踊る。  その踊りの中心には、ナナソルとリリン姫がいた。金の鯨に乗れず、息を吹き返した王がいた。  ナナソルと同じくリリン姫は蒼き衣に身を包んでいる。  青は、命と創造を司る色。生きとし生けるものの色。  その衣を身にまとう王が厳かに口を開く。 「ここに我が娘リリンと、ナナソルの婚姻をとりおこなう。金の鯨を殺した、王たるナナソルの婚姻の儀を。我らの王たるナナソルを讃えよ」  踊る人々から歓声が沸き起こる。けれどナナソルは戸惑いに顔を曇らせていた。自分は、妹も同然であるリリン姫を救っただけだ。なぜに、ここまで持ち上げられるのかと。  そんんなナナソルの顔を覗き込み、リリン姫は問う。 「私は、嫌ですか」 「いや、そんなことはない……けれど……」  戸惑うナナソルの唇に、柔らかな感触が広がる。それがリリン姫の唇だと分かった瞬間、ナナソルは大きく眼を見開いていた。そっと唇を離し、リリン姫はナナソルに微笑んで見せる。 「あなたが鯨に呪われるというなら、私も共に呪われましょう。そして、共にルルナクの国を守りましょう。ナナソル」  彼女の優しい言葉に、ナナソルは自然と笑みを浮かべていた。二人は抱きしめ合い、再び口づけを交わしてみせる。  そんな二人を祝福する人々は、足を踏み鳴らし祝福の言葉を二人に浴びせかけるのだった。
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