4、七本目

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4、七本目

 午後の授業が終わって家に帰ると、母親が花についた虫を捕る作業をしていた。  夏休みの延長で、ほぼ毎日店の手伝いをさせられているが、今日も案の定朝から夕方の店番を頼まれている。  断りたいのに、商店街の集まりがあると言われれば、そうはいかなかった。  遊太の母親と一緒に行くと言っていたから、俺の幼馴染みも店番を任されるに違いない。  こういうときは、お互い遊ぶ約束などしないのが鉄則だった。  自営業の家に産まれたことを後悔したことはない。  それこそ理解し会える仲間が身近にいることが、少なからず俺に影響を与えていただろう。  カウンターに置いてあった、花の予約帳をパラパラとめくってみたりして暇な時間を潰した。  よく見てみれば誕生日の花束や、少し先だが結婚式用の装花予約まで入っている。  最近ではSNSで見映えのする写真を撮るために、あえて豪華な花を買っていく人が増えていた。  土日ともなれば、こんな小さな花屋も混雑する時間帯が増えて、一日中店にいるはめになる。  ここ最近そういった客の中で、一際俺の記憶に残る人物がいる。  だいたい三日に一度のペースで、必ず夕刻にその人物は一人で訪れる。  買い求めるのは毎回必ず、一輪の薔薇だ。決まって色は赤ばかり。  そんな買い方をする客はすぐに覚えてしまう。それが人目を引くような人間ならなおさらだ。  濃紺のスーツに、同色のストライプ柄のネクタイを締めて、スタイリング剤でまとめた髪は乱れたところを見たことがなかった。  最初は恋人に贈る花だろうと思っていたが、こうも頻繁だとそれも怪しく思えてくる。  俺が女だったら、会うたびに花をプレゼントしてくる男など願い下げだからだ。  かといって薔薇を一輪、数日に一度のペースで必要とすることも、俺には思い付かない。  どうせならまとめて買っていけば本人も楽ではないかと、ラッピングする度に考えた。  最後に見たのはたしか四日前。  その時母親は他の客に時間を取られて、俺がその男性客の対応をしたのだ。  そろそろまた訪れる頃だろうと、店内の置時計を気にしながらカウンターに腰掛ける。  もう飽きてやめたかもしれないと思ったときに、店の大きなガラス窓を横切るスーツ姿の男が目に入った。  案の定その男は入り口のノブに手をかけて、来店を知らせる合図のベルを軽快に鳴らして現れた。 「いらっしゃいませ」  予想通りの展開に声が上ずって、思わず立ち上がってしまった。 「どうも」   相手も俺が毎回接客していることは認知しているだろう。さほど広くない店内で流れる少しの沈黙は、居心地のいいものではなかった。 「薔薇ですか」  俺はそのほんの少しの間でも耐えることができず、カウンターから出て薔薇のショーケースの方を指差さした。 「ええ、赤を一本だけ」  男は今日も同じようなスタイルで、濃紺のシンプルなビジネススーツを着ていた。細身のスタイルにフィットした姿は、男の肉体がすでに出来上がっていることを意味している。  自分では苦労してもつかない筋肉が、目の前の相手がいとも簡単に手に入れていることが羨ましかった。  俺はそんないかにも“出来る男”の客を横目に、注文通りの真っ赤な薔薇を一輪取り出した。 「いつも薔薇ですよね」  俺は言われてもないのに長さを勝手に調整して、それを目の前で眺める男に了承も得ずラッピングを始めた。 「はい、今日で七本めです」 「誰かにプレゼントですか?」  わざわざ数えているのかと感心して、俺はノリで気になっていた事を聞いてみることにする。  今時薔薇のプレゼントなんてキザな男だと思ったが、改めて見てみると身なりも清潔で、態度も良識ある大人だった。  どんな女に渡すのか興味も湧いて、お得意の営業スマイルを披露してみる。 「いや、仕事に使うものなんです。それに、個人的に渡す相手はいません」  てっきりデート先でプレゼントにするのだとばかり思っていた俺は、つまらない返事をする。 「そうですか」  少し拍子抜けして、まじまじと相手の顔を見上げた。  ここでも自分より背の高い相手に嫉妬してしまうが、そんな男でも恋人がいない風なことを言っているのは驚きだ。  幼馴染みの遊太は髪色を明るくして以来、大学の女子に声を掛けられっぱなしだというのに。 「バイトさんですか?」  赤いリボンを棚から出して、適当な長さを引く。  今までこの客とは会話らしいこともしたことがなかったのに、向こうから質問されるとは思いもよらなかった。 「いや、俺ここの息子です。いつもいるのは母親で、この時間は手伝いをしてるんですよ」  蝶々結びは得意なもので、太めのリボンをフィルムの上から結んだ。 「毎日お手伝いを?」 「だいたいは。大学の授業が終わって帰ると、いつも呼び出されるんで」  フィルムで結んだ薔薇をビニールの袋に入れて男に手渡す。それを受け取った男を見送るために、入り口の方までついて行って代わりにドアを開けた。 「ありがとうございました」  またどうぞ、とは言わない。恋人に贈る花ではないし、仕事ならそれが済めば、こんな花屋にくることも無いだろう。  お得意の営業スマイルをサービスして見送る。 「こちらこそ。また来ます」  俺は心の中でうろたえた。  見映えのよいスーツ姿の男は、俺ににこりと笑いかける。  またの来店を自ら予告していったのが、鳴り響くチャイムのように頭の中で反響した。
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