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5、12番
秋の陽気が強くなると、城花屋の店内も夏模様から一気にオータムカラーに様変わりする。
夏に比べて花の種類は増えるし、植物事態が長持ちするようになる。
薔薇なんかは暑さに弱い花だから、この時期落ち着いた色合いの多い秋の植物と合わせるのがちょうどいい。
最近は一定の客が赤ばかり買い求めるため、薔薇は売上が他の花よりも上がっている。もともと人気のある種類ではあるし、城花屋では売れ筋の商品だった。
そのため日曜日の今日は、朝からいつもより多目に仕入れてある。
母親は外で業者との長話がまだ続いていた。
「真兎はハロウィンどうする?」
遊太は早朝から店の手伝いをする俺の隣で、自前の菓子パンを頬張りながら言う。カウンターの上には、富士屋の印字がされた袋が空になって置いてあった。
「店の手伝いに決まってる」
母親に頼まれてドライフラワーのブーケを、英字が記された古紙に包んで麻紐で巻く。それを遊太に渡すと、彼はレジ横のガゴに立て掛けた。
「だよな、おれも」
「なら聞くなよ」
毎年商店街ではハロウィンイベントが開催されて、町内の子供たちが各商店を練り歩く。
店側は仮装してきた子供たちのために、少しばかりお菓子を用意する。大したものでなくても喜んでくれるのは幸いだ。
最近では大人も一緒になって仮装をしだして、大人用には店のサービス券を渡すようになった。後日来店したときに割引がきくようになっていて、花屋なんかでも利用する客は数人いた。
目の前の富士屋はハロウィン用の特製パンを貰えるのだから、なんとも羽振りがいい。
俺の分は遊太が直接持ってきてくれるから、ありがたく頂戴する。
大学が休みの日曜日でも、朝から手伝いを強いられるのはもう慣れている。
今日は午後から結婚式場に装花の打ち合わせに行くとかで、母親は留守にするため一日中店番という地獄の日だった。
遊太は近頃週末になると、大学の女子に誘われて出掛ける用事が増えている。
彼の言うモテ期とらやがきたのだろう。
それを真似したくもなるが、俺には声をかけてくれた女子と遊びに行くなんて時間はなかった。
バイトの一人でも雇えばいいのに、何度言っても聞き入れない母親は、いつか俺にこの店を継がせる気でいるのではないかと予想している。
将来の事などまだ考えていないが、花屋の息子から花屋の店主に変わるのだけは避けたかった。
「今日はどこいくんだ?」
「映画とか買い物。真兎はこの前誘われたの断ったんだ?」
「そんな暇ないから」
ブーケを作り終わって、折れた細かい花を掃除しながら、拗ねたように言ってみせる。実際羨ましいとは思っていなかったから、ただの“ふり”だけだ。
「ごめんごめん、許してよ、ね?キスしてあげるから」
「そこでなんでそうなるんだよ」
遊太はわざとらしく顔の前で両手を合わせる。
床に落ちた花枝を掃除するのにしゃがんだ俺の方まで、わざわざ猫なで声で近寄ってきた。
外からはカンウターのせいで見えない場所だ。
回り込まなければ除き込むこともできない。
そこで俺は当たり前のように遊太とキスを交わす。
床に膝をついて、バランスを崩さないように触れるだけのキスを受け入れる。
手に取った花枝は握った力でさらに折れた。
「真兎が好きな、21番のやつ買ってきてやる」
「絶対な」
俺は恥じらいもない遊太へ、強く抗議するように言う。
そのまま遊太は了承の返事をして、女子との約束へ向かった。
朝の湿った空気が開けた扉から入り込んで、澄んだ空気の似合うやつだと遠退く背中を見送る。
遊太の約束した21番と言うのは、俺が好きなサッカー選手の背番号だ。
最近大手の飲料メーカーとコラボして、ペットボトルのパッケージが代表の背番号に変更されて販売している。
自販機では買い求めることができず、スーパーやコンビニまで行かなければならない。
しかも俺の好きな21番は人気の商品で、すぐに売り切れてしまうのだ。
遊太はそれを承知で約束を取り付けたのだから、あてがあるのだろう。
俺は期待などせずに、幼馴染みとの遊びを人知れず楽しみながら、長話の続く母親へ声をかけた。
店内のショーケースに花を整理するのは母親の仕事だ。
俺は開店前に、店先に並ぶ鉢花へ水をやるのが担当だった。
表に出れば少し肌寒く、鉢は朝露で光っていた。
目の前の富士屋はもう営業を始めている。
隣の喫茶店からはコーヒーの香りが漂ってきて、判子屋の爺さんがモーニングを食べに行った。
俺に「大きくなったね」と挨拶代わりの決まり文句を言うのはいつものことだ。
喫茶店の前にあった植木が萎れているのを見て、ついでに水をやった。
煙草の匂いを纏いながら店から出てくる年配の客にも挨拶をされる。それに答えると背後から声をかけられて、振り向いてまた挨拶をした。
「日曜日なのに、朝から大変ですね」
「どうも」
せわしない朝には似つかわしくない爽やかな印象の、すでに城花屋の常連になりつつある男が笑顔を俺に向けていた。
濃紺のスーツには相変わらずシワもなく、磨きあげられた靴は曇りがない。
「今日もお手伝いですか?」
「仕方なくですけど。もしかして薔薇ですか?」
俺は意味もなく母親への文句を言ってみたりして、珍しい時間帯に来た目の前の客へ確かめるように聞く。
「ええ、実は。今日のお昼に必要になって、大丈夫ですか?まだ営業時間前なのに」
「ぜんぜん、平気ですよ。もうほとんど終わってるし。今用意します」
個人営業の花屋が重宝されるのは、こういった臨時の販売にも対応出来るところにあると思っている。
朝一番に花を買い求める客は少なくない。
言われれば花束だって作るし、この爽やかな男性客も何に使うかわからないが、一輪の薔薇を必要としているのならそれを提供するのは城花屋の義務だ。
「母さん、今日きたのでいい薔薇出して」
使っていたホースを巻いて蛇口にかける。入り口を全開にして、奥にいる母親に声をかけた。
「薔薇?いいけど、あら!橘さんじゃない。朝早くからご出勤?」
ショーケースの扉をしめて、振り向き様にいきなりはじけた声を出す母親の言葉は俺を通り越す。
「おはようございます。はい、申し訳ありません早くから」
「いいのよ、橘さんは特別」
いつの間に親しくなったのか、相手の名前まで知り得た母親を俺は呆然と見つめた。
「薔薇よね、わかったわ。ちょっと待っていてね。真兎はフィルムとリボン、出しておいてちょうだい」
「あ、うん。わかった」
レジカウンターの下に収納してあるラッピング用の道具を出しながら、俺はその橘なる客を改めて覗き見た。
ネクタイはスーツと同色のストライプ柄で、ビジネスバッグも合わせたように落ち着いた色合いだ。
清潔間のある装いは、どこかの営業マンより説得力を持ち合わせていそうだった。
「はい、お待たせ。今日は午後からよね?」
「はい。わざわざお越しくださって、助かります」
「いいのよ、真兎に店は任せるし。楽しみだわ」
二人が目の前で話している最中に店の電話がなって、俺はやむ無く対応する。
何を話しているのか気になるのに、こういうときに限って電話相手はなかなか切ろうとしない。
メモをしながら目線をあげると、俺に会釈をしながら、気になる爽やかな客は店を後にした。
「いつの間に仲良くなったんだよ」
コードレスの受話器を置いて、俺は今とったメモを母親に渡す。
「言ってなかった?橘さん、予約の入ってた式場のプランナーさんなのよ。お茶屋の美代ちゃん結婚するの聞いてない?わざわざ城花屋でお花頼んでくれたの」
「聞いてないけど」
一ヶ月前にサフランで、由里子のカットモデルをしたときのことをふと思い出した。
派手な編み込みをした髪型の女性客に見覚えがあった。
同じ町内に住む湊さんの同級生だったはずだ。昔遊んだことも記憶にある。
「いいわよねぇ、今が一番幸せよ。あ、そうだ。橘さんの式場のパンフレット、引き出しに入ってるから、見てみなさい、すてきなんだから」
「あの人そんなところで働いてるんだ。見えないけど」
引き出しの一番上を開けて、A5サイズの二つ折りになった用紙を見る。
表紙は白を基調にしたチャペルが青空の下で輝いた写真で、中を見ると式場はイタリアの街をモチーフにしたのがわかった。
こんなにも女性向けの式場に、同じ男である橘という男性が働いているなど、俺は想像することがまったくできなかった。
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