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好きなものは
「……失礼します、サナリア王女。こちらの部屋を掃除させていただきたいのですが」
「あれ、昨日の勢いで辞めなかったんだ。す、すごいね」
「……こちらにも事情がありますので」
「えっと、この部屋は掃除はいらないけど、ちょうどいいから植え替えを手伝ってくれないかな?」
細く開けた扉の隙間から手招きされ、ノルトは掃除道具を持ったまま蒸し暑い部屋へ入る。
「何をすればいいんですか?」
「えっと……そこの鉢に半分くらいまで土を入れてくれる?」
「……土まで持ち込んでるのか」
「この土はね、すっごく水はけがよくて栄養もたっぷり持っててくれて最高なんだよぉ……えへへ」
言われた通り小さなスコップを使って麻袋から鉢へ黒っぽい土を移し替えていく。
「土がこぼれるので後で掃き掃除をします」
「す、好きにしたらいいけど換気は最低限にしてね?」
サナリアは見向きもせず別の鉢の土を掘り返している。繊細なレース模様の袖飾りが土で台無しだ。
「王女、お袖が汚れてますよ」
「……しょ、初対面であれだけ好き勝手言ってくれたんだからさあ、もっと正直に接してくれていいよ。気まずくて嫌いなんだ、駆け引きとか」
「……土を触りたいなら作業着を調達しよう。その服は後でツィニカに洗濯してもらう」
「うん、その方が気楽でいいや。かしこまったのは、嫌いなんだ」
「それでは王宮や夜会で苦労するだろう」
「お、王宮なんて行かないよ……それよりこの子たちと話してる方がずっと楽しい」
「この子?」
サナリアは愛おしそうに指先で植木鉢を撫で上げる。
「今日植えるのはミアから株分けした子だよ。恥ずかしがり屋でなかなか芽をだしてくれなかったから大変だったんだぁ」
「……ミア?」
「ミアはそこだよ。長い茎がすらっとしてて綺麗でしょ?」
サナリアが指さしたのは花をつけた背の高い植物だった。ノルトは植物には疎いが、よく花束に使われているものの名前くらいは分かる。
「……トーガ草じゃないのか、あれ」
「そうだよ。ミアはボクが付けた名前」
別の鉢のもとへしゃがみ込み、サナリアはうっとりと目を細める。
「こっちはステーシー。照れ屋だけど昨日ようやく花を見せてくれた。あっちの背が低いのはルーマン。頼りなく見えるけどとっても根っこは強いんだよ」
「……全部に名前がついてるのか」
「うん。みんな個性があるからね」
この少女は頭がおかしいのだろうか。ノルトはひそかに考える。
植物に相当思い入れがあるのは事実だが、人間として扱っているわけではないらしい。だとしたら子供の人形遊びのようなものだろうか。
「しかしこれだけたくさん、どうやって集めたんだ?」
「それはもちろん色々だよ。ツィニカに頼んで買ってきてもらったり、採集したり」
「……採集だと?」
あっ、とサナリアはばつの悪そうな顔をするが、すぐに取り繕うように目線を泳がせる。
「王女は全く屋敷から出ないと聞いたが……まさか一人で出歩いているのか?」
「えっと……その……すぐ近くだよ?ほ、ほら、旧跡の森があるじゃない。あのくらいならボクでも歩いていけるし」
「……確かに近場だな。それに動植物が多くて最適な環境だ」
「そう!そうなんだよ!アーソラの巣があるのもあそこだけなんだ!見たことある?」
ノルトが同意を示すと、我が意を得たりとサナリアは勢いよく話し始める。
「ボクもツィニカの目を盗んで結構頻繁に通ってるんだけどさぁ、なかなか見れないんだよね…話に聞いたよりもずっと大きくてかっこいいんだよ!国の守護鳥って言われるのも納得だよね!ああ、話してたらまた見たくなってきたなぁ……」
「興味深いな。しかしいったいどうやって?外には護衛の兵士がうじゃうじゃいるのに」
「それがさ、屋敷の裏手に小さな涸れ井戸があるんだけどね、そこに隠し通路があるんだよ。緊急時の脱出用だから歩いてもそんなに危険じゃないし、出口もちょうど人目に付きにくいところにあるんだ」
「なるほど。今日からはそこも警備するように護衛に伝えておこう」
「!!」
駆け引きが苦手なのは本当らしい。子供でも引っかからないような見えすいた罠に、見事にかかってくれた。
騙された、とでも言うようにサナリアは恨めし気にノルトを見上げている。
「……分かってくれたと思ったのに」
「どうしても行きたいなら護衛を連れて正門から行け。それなら誰も文句は言わない」
「……駄目だよ」
さっきまでの威勢が嘘のように、サナリアはしょんぼりとうなだれている。
「あの兵士たち、絶対にボクを外に出そうとしないんだ。それが命令だって言ってさ」
「命令?あれは別の誰かに従っているのか?」
「ボクがあんな仰々しいことするわけないよ……しようと思ってもできないし」
「では誰の命令なんだ」
「き、君には関係ない……」
サナリアはすっかり背を向け、手元の土を弄り回している。
別の人物が護衛をつけているなら、身の安全を守るために本人の意思を無視することもあるだろう。王女とはそれだけする価値のある人間だ。この少女では、兵士と交渉して言い負かすなり眼をつぶってもらうなりということもできないに違いない。
実際に会うまでは人使いの荒いわがまま王女だと思っていたが、実は彼女の思い通りになることばかりではないのかもしれない。
「それでも一人で出歩くのを認めるわけにはいかない。……どうしても行きたいときは、俺に相談しろ。なんとかする」
「……ほんと!?」
「どうしても、という時だけだからな」
「うん!!」
サナリアはぱっと表情を明るくする。現金なものだ。
「森にはライとラムがいてね、ルーマンの種はその子たちからもらったんだ!他にもたくさんいるんだよ!やっぱり自然に暮らしてるのが美しいからなるべく手を入れないようにしてるんだけど、素朴な葉脈や無骨な虫食い跡を見てるとたまらなくお世話したくなるんだよねぇ……」
明後日の方向を見ながら「えへへ、えへ」と笑う姿は、やはり妖怪のようだった。
本当にこれが王女なのだろうか。昨日から問い続けている疑問を心の中でもう一度踏み付けながら、ノルトは植え替えの作業を再開した。
*
その翌日にノルトが食事を持ってサナリアを訪れると、王女は嬉しそうに作業着を見せびらかせてきた。
「大きすぎたな。次はもう少し小さいものを用意する」
「うん、よろしく」
「俺が言うのもなんだが、その格好にツィニカが呆れてたぞ」
「そうなんだ。ボクの行動にはもう慣れっこだと思ってたけど」
「付き合いは長いのか?」
「うん。執事は1年と持たないけど、ツィニカだけは長く続けてくれてるんだ」
その日も結局掃除は簡単にしか行わず、肥料の袋の運搬をすることになった。
「これだけ暑いと、室内でも虫が湧きそうだな……」
「よ、よく分かるね!そうなんだよ、虫は嫌いじゃないんだけどさぁ、やっぱり病気とか虫害とか考えるとどうしても駆除しないといけないんだよね……」
「まさか、手作業か?」
「使える薬はもちろん使うけど、ミミザ虫とかはどうしても根気勝負だからね……去年は採ってきた葉っぱの裏に卵がないか確認するために徹夜したこともあったよ」
「……やっぱり採集はやめにしないか?」
サナリアの指示に従いながらぽつぽつと会話を交わし、時間が過ぎていく。
「着替えをしてからだぞ。もちろん手洗いとうがいもだ」
「わ、分かってるよ……」
作業着を着たまま食事をしようとしたので小言を言うと、まるで自分が親にでもなったようだ。
すっかり冷めてしまった食事を温めるために退室する。重い袋を抱えて階段を上り下りしたのに、不思議と疲労感は少なかった。
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