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プロローグ:馬車の中にて
コートのポケットを探ると、小さな小石のようなものに手が触れた。取り出したそれはソイ豆だ。これを寄越した宿屋の主人は、ノルトが行先を告げると笑いながら言っていた。
「本物のお姫様ってのは、どんなに柔らかくて厚い布団を重ねても一粒の豆が下に敷かれてたら気がつくらしいぜ」
豆はすっかり乾いて縮こまり、馬車が揺れた拍子にうっかり取り落として見失ってしまった。おとぎ話の姫君ならともかく、馬車の中でこんなものに気づくような人間がいるものか。
「お客さん、お代は?」
「ああ、すまない。…これで足りるか?」
ぼんやりとした思考を切り上げ、擦り切れた財布から銅貨を辻馬車の御者へ渡す。
「はい、確かに。それにしてもお客さんも物好きだねえ。わざわざサナギ姫に仕えようだなんて」
「…サナギ姫?」
「いや、知らないならいいんだ。じゃあな」
どこか小馬鹿にするようにわらい、御者は馬車を走らせていった。残されたノルトは改めて目の前の宮殿を見上げる。
「ここが白蝶宮か…」
白い大理石を使って作られた外壁には飛び交う蝶の姿が浮き彫りにされているというが、現在はその美しい姿を隠すようにツタがはびこっている。
「…よし」
深く息を吸い込み、ノルトは自分の頬をぴしゃりとたたく。
鞄や財布こそ年代物だが、ノルトが身に着けている執事服にはしわ一つなく、革靴も顔が映るほどに磨き上げてきた。準備は入念に整えてきたが、それでもやりすぎということはない。ノルトは今から、一国の王女の筆頭使用人になろうというのだから。
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