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「……最低だよ」
それだけ言うのがやっとだった。いましめのタオルを解かれ、それで身体を拭かれる。嫌だ、という言葉も続けられず、ただ激しい呼吸に終始する。翌日が休みなら、ほどほどハードなセックスも許すが、これはその範囲を超えている。環は神妙にしている雄樹を睨んだ。
「おまえさ……俺がいくつか知ってんの?」
「え? 三十二?」
「わかってるなら無理させるな」
「環さん……俺と付き合ってよ……」
幾度となく聞いた言葉。いつものように一言で返す。
「嫌」
「環さんが特定を作らないのは知っているけど……でも」
「嫌なんだよ」
環は天井を見上げた。昔からそうだった。特定の相手は作らないようにしていた。理由はない。その時々、なにかしら忙しくて面倒だったから。今は秘書という仕事柄、上司につきっきりのことが多く、とても恋人を作る気にはならない。
「なんか恋愛にトラウマでもあるの?」
「いや、ない。だけど」
頬杖をついた雄樹は、環の髪を愛おしげに撫でる。いつもそうだ。最初の頃、嫌だからやめてくれ、と何度も言ったが止めなかった。それ以来、事の後には決まったように髪に触れる。もう慣れた。
「副社長を見ているとそう思う」
「なに、恋愛中!? あの黒沢さんが!」
「態度には決して出さない人だけど……わかるんだよね。微妙な感じで。しんどそうな時のほうが圧倒的に多いんだもの。あれが恋愛なら、俺は嫌だね」
「年中お花畑のような恋愛だったら、それはそれでヤバいと思うんだけど」
「うん……」
今日もそうだった。なんとなくピリピリした感じが伝わってきて。恋人と約束でもしているのか、プライベートな用件で急いでホテルへ車を出してくれ、と頼まれた。休みもなくずっと帰りも遅く、環でさえ息がつまりそうだったところだ。決して黒沢隆宏(くろさわたかひろ)が嫌いなわけではない。むしろ好みだ。そつのない仕事ぶり、隙のない人となり、なにを取ってもスマートで環には付き合いやすい人物だった。
その黒沢をあれほど翻弄する恋人。少し見てみたい気もした。むりやり空けたこの二日間も、その恋人との埋め合わせのためだろう。そんな気がする。
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