名前泥棒

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 あたしはもう返事ができなかった。  この子が昨日一日、どこで何をしていたのかあたしは知らない。わからない。  だけどこの子はたったあれだけの情報から、ほんの一日で、見抜いてしまったんだ。  今まで何年も何年も、ずうっと誰にもわからなかったことがこの子にはわかったんだ。  そうだよ。あたしほんとは中学生の秘密になんて興味はないの。  この子が変態だろうが毛が生えてなかろうが、どっちだってよかったの。  ただずっと欲しいものがあったんだ。  欲しくて欲しくて、仕方がなかったの。  ずっとずっと長いこと、心残りになってたの。  この子は変態かもしれないけど、ちゃんとまっすぐ育っているんだ。あのドラマみたいに優しい家で。  だからこの子だけ、気づいたんだね。  浴びるみたいにみんなに、ゆうまゆうまって呼ばれ慣れてるから。 「え……なんで泣くの?」  困ったように坂上くんが首をかしげて、あたしは最後に少しだけ微笑んだ。間に合ったから微笑めた。  でももう声が出せなかったから、あたしは机の上にシャーペンを走らせる。  ペンって重いのね。一体、何グラムあるんだろう。
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