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風呂を覗かれることもなく、出された食事に何かが入っていた訳でもなく。俺は普通の客人として扱われ、スナック菓子やジュースをご馳走になりながらテレビまで観せてもらえた。
「散宙くんは、どうして上京を決めたんだ?」
俺から少し離れたところで雑誌を読んでいたハルトが、テレビ画面がCMに切り替わったのと同時に訊ねてきた。
「……そんな大した理由はないけど。ずっと田舎にいてもやることないし、どうせなら都会に行きたいって思って」
「やりたい仕事とかないのか。将来の夢とか」
「それ、進路指導の先生にも言われた。でも大抵の人は、そんなの持ってないでしょ。やりたいことじゃなくて、やれることをやるっていうか」
「つまらない若者だなぁ……」
興味なさげに雑誌を捲るハルトに、今度は俺から問いかけた。
「じゃああなたは、やりたくてこの仕事始めたとか? 将来の夢は、風俗店を開くことだったんですか」
「意地悪な奴め。でもまあ、敢えて答えてやるよ。──俺はお前と同じくらいの齢の頃に、この仕事をやるって決めた。そんで色々経験して、ようやく夢を叶えた」
「いま何歳なんですか?」
「三十五。店持ったのは六年前」
「そんな齢で店とか持てるんだ」
「ガキの頃からこの辺にいたからな。俺自身も売り専やって、同時にAVもやって、二十七で引退して、そこからは自分の店持つために駆けずり回ったんだ。それまでに作った金と人脈のお蔭で、苦労したけど何とかなったぜ」
よく分からないが、風俗店とはそこまでして開きたいと思うものなんだろうか。そんなに儲かるのだろうか。
「衣食住と性欲解消は、いつの時代も必要だからな。需要があるから供給してる」
どちらにしろ、俺には関係のないことだ。明日になればこの家は出て行くし、そうしたら今度こそ、ラーメン屋でも何でも住み込みで働ける場所を探さないと。
「散宙くんは今、そのどれとも縁がない状態だ。住む場所もなく、飯も人に食わせてもらって」
「ふ、服は持ってきてるし」
「性欲を解消してくれる相手もいない」
馬鹿にしたように笑われて、俺はハルトから顔を背け、立ち上がった。
「ていうか、もう寝ます。明日起きたらすぐ出て行くんで、飯ありがとうございました」
いいえ、とハルトが雑誌に視線を落としたまま言う。俺は今夜借りることになった部屋に入り、ベッドに身を横たえた。
ベッドで寝るなんて初めてだ。実家では子供の頃から布団だったし、修学旅行も布団だった。慣れていないせいか暑さのせいか、疲れているはずなのになかなか睡魔が降りてこない。
「………」
勝手にエアコンまで使ったら、流石に怒られるか。
仕方なく俺はシャツを脱ぎ、部屋の窓を開けてから再びベッドに転がった。ジーンズだから余計に暑いのだろう。せめて腰周りを緩めておこうと、ベルトに手をかけた。
──性欲を解消してくれる相手もいない。
ハルトの言葉を、ふと思い出す。
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