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「あ、あの……一つ、提案が」
「何?」
俺は覚悟を決めて体ごとハルトの方へと向き直り、震える声でその「提案」を口にした。
「最悪、……俺は、一晩の宿代と思って割り切るのもアリだと思ってる」
へえ、とハルトが鋭い目を丸くさせる。
「だけどあくまでも寝させてもらうだけだから、そんな大したことはしなくてもいいとも思ってる」
「……それで? 何が言いたい」
「だからその、……礼はするけど、ちょっとだけで。触るとかそういうのは、無しの方向で」
「触らせないでする礼って、どういうのだ?」
「……分かんない」
肝心な部分まで考えていない詰めの甘さに、ハルトが吹きだす。それでも半身を起こした俺の顔を覗き、「分かった」と言ってくれた。
「それじゃ、一晩の宿代として奉仕してもらおうかな。うつ伏せになるから、背中マッサージしてくれ」
「え、……マッサージ? そんなのでいいのか」
「このくらいが妥当だろ、素人のお前にナニかさせたところで下手そうだし」
そう言ってハルトが再び俺の横に寝そべり、「早く」と促してきた。仕方なく起き上がり、その体を跨ぐようにして上に乗る。手のひらを押し付けると熱が伝わってきた。逞しくて大きな背中だ。面積が広すぎて、やる前から腕がだるくなってくる。
「痛くないか?」
「全然」
腕に体重をかけて背中を揉んでいると、ハルトがうつ伏せたまま俺に言った。
「そういえば身一つでコッチ来たって言ってたけど、親御さんからの援助もないのか?」
「自分の子供に金出すような人達じゃないから」
その一言で、ハルトには何となく伝わったらしい。
「それで、二十歳を迎えたのを機に地元から逃げてきたのか。これまで我慢してたんだな」
「………」
アル中の母親と義理の父親と、俺と。狭いアパートでの三人暮らしは毎日毎日息が詰まりそうで、嫌だった。三人とも互いに無関心で、俺に対する暴力や虐待といったものは無かったが、子供として普通に愛してくれることもなかった。
──高校は義務教育じゃないんだから、行きたいなら自分の金で行きな。
アルバイトもできない年齢の俺にそう言った母親は、その時、酔ってなんかいなかった。俺は多分その一言で、家出を決めたんだと思う。「未成年の家出はすぐに保護されて親許に送り返されるから、確実に遂行したいなら二十歳まで待て」という、当時好きだった漫画のキャラが言っていた台詞を信じて。
多分親は、俺が二度と帰らないつもりで家を出たことも知らない。探そうともしないし、心配もしていない。今頃はあの狭いアパートで鼾をかいて眠っている。
俺もまた無関心なのだから、親の文句を言うつもりはないけれど。
「……クソ」
小声で呟き、俺は無意識的にハルトの背中に置いた手に全体重をかけた。
「内臓潰れる!」
「ごっ、ごめん! 力加減が分からなくて……」
ハルトがうつ伏せたまま溜息をつき、恨めしそうな声で「もういいよ」と呟いた。
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