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『手、つないでもいい?』
高校時代。放課後デートを続けて一ヶ月が経ったころ、彼が聞いてきた。
私は頷くかわりに肉まんみたいな手を突き出して、そっぽを向いた。
彼の冷たい指がぎこちなく差し込まれてくる。
『あぁ、あったかいや』
爪楊枝と呼んでも差し支えないその指はいつも冷たくて、年中汗ばんでいる私の手と相性が良かった。
(手ごわいなぁ)
彼はなかなか尻尾を掴ませてくれなかった。少しでもウソ告をにおわされたら糾弾して、なんなら泣いてやって、さんざん困らせてから解放してあげようと思っていたのに。
『ねぇ景子ちゃん』
急に名前を呼ばれてどきっとした。
思い詰めたような彼の口からとうとうネタばらしがあるのではないかと思って。
聞きたくないと、思って。
『やっぱり、いいや』
彼は小さく首を振る。そのかわりに指先に力を込めてきた。
『なによ、気になるじゃん』
なにか言いたいことがあるのでは、と顔を覗きこんだとき背後で足音がした。
『うわ、コケッコーがキスしてる!』
『気持ち悪いもん見た!』
クラスの男どもだった。
コケッコーとは当時のあだ名だ。景子という名前と運動が苦手な姿をニワトリに喩えられた。
『うるさい、どっか行って!』
ぎろりと睨んでやったけど奴らはニタニタと笑みを浮かべながら遠巻きに見ている。
『おまえも気の毒だよな。コケッコーなんかと付き合わされて』
『そうそ、妹に近づくためには仕方ないとしても、かわいそーに』
母は再婚した相手との間に私と二つ違いの妹を授かっていた。
相手に似た妹は小さいころから可愛いと持て囃され、小学生のころから読者モデルをしている。
『なぁんだ、妹目当てか……そっか、そうだよねー』
ショックは受けていないつもりだった。
それなのにボロボロと涙がこぼれる。
悲しくない。
大丈夫よ。
こんなことは想定内。
でも涙は止まらない。
私も彼のことを好きになりかけていたのだ。
『もう無理しないでいいよ。うん、妹にはちゃんと言っておくから。私みたいなブスに一ヶ月も付き合ってくれた忍耐強い相手だもん、妹相手なら一生大事にしてくれる』
『景子ちゃん……』
『別に好きでもなんでもなかったから。いつボロを出すのか観察していたの。ひどい奴でしょう? だからもうやめやめ。ね、やめよ?』
逃げるように走り去った私は三日三晩泣き続けて一層ブサイクになった。
一週間休んで再び登校したとき、彼の姿は学校から消えていた。転校したらしい。
実父母からネグレクトを受けていて、里親に引き取られたという真偽不明の噂がまわってきた。
数日後、家のポストに差出人不明のポストカードが届いた。
どこかの田舎町の風景を撮影したものらしく、山の稜線を背景に、金の稲畑がどこまでも広がっていた。
『景子ちゃんへ。ありがとう。どうかお元気で』
メッセージは一言。きれいな文字だった。
彼の指を思い出すと妙に悲しい気持ちになり、それ以降、細長いお菓子を食べなくなった。
彼がどこへ行ったのか、もはや知るすべもない。
ただ、ポストカードはいまでも大事にとってあり、夜中に空腹で目が覚めたときに引っ張り出して眺めている。
そして想像するのだ。
がりがりに痩せていた彼が金の稲畑でお腹いっぱいご飯を食べている風景を思い浮かべていると、いつの間にか――カップラーメンにお湯を注いでいる自分がいる。
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