おわり

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おわり

「え、皆さん社長が用意したサクラだったんですか?」  ホテルを出ようとしたとき愛美の声が飛び込んできた。  ――あのあと。  拍手で祝福される三組を尻目に、私はトイレへの個室と駆け込んだ。  そこでむせび泣いた。  選ばれなかったことの悲しさに、少しでも期待した自分の虚しさに、裏切られた怒りに、ありったけの涙を流し続けた。  時間を忘れて泣き続け、一時間後。  ようやくトイレを出たころには会場はすっかり原状回復され、参加者はひとりも残っていなかった。もちろんあの三人も。 (……ぜんぶ夢だったのかな)  少し前までちやほやされて浮かれていた自分を思い出すとまた涙が出そうだった。  とはいえ、いつまでもここにいるわけにもいかない。  必死に鼻水をすすりながらホテルを出ようとしたとき喫煙コーナーを通りかかった。そこで先ほどの声が聞こえたのだ。 (サクラ? どういうこと?)  とっさに体を低くし、喫煙スペースの前に置かれたパキラの影に隠れた。  中の様子は分からないけど声はよく聞こえる。 「そーそー、頭数が足りねェからってたまに呼ばれんの。男の人数が少ないと女のテンションが下がるって言うからさ」  康志さんだ。ずいぶんと口が悪い。 「そっか。社長いつも交友範囲広いって自慢していましたもんね。その中でも特別にいい人たちを送ってくれたんですね」 「そーゆーこと。でも俺たちみたいな上物がくるとダメだな。他の男が霞んじまう。女もイマイチなの多かったし、がっかりだ。愛美ちゃんだっけ? キミの方がよっぽどいいよ。今夜一杯どう?」 「笑わせる、オマエは最初からいい女を物色する目的だっただろ」  この声は冬木さんだ。  二人は知り合いだったの。 「てめぇも似たようなもんだろ。会計士だなんて嘘ついてオレ様キャラで迫りやがって。異性限定のにおいフェチだっけ? ほんと引くわ」  物色目的の康志さん。  においフェチの冬木さん。  二人ともサクラだった。  彼らのプロフィールカードは真っ赤なウソなのだ。 「じゃあじゃあ11番の女性に迫ったのはなんでですか?」  興味津々の愛美に康志さんの笑い声が重なる。 「賭けだよ賭け。あのブスをだれが落とせるか賭けしてたんだよ。もう顔見る度に笑いこらえるの大変だったぜ。どんだけブスなんだよ」 「オマエは笑いすぎて不自然だった。まぁさすがのぼくも思い切って顔を近づけたときには噴きそうになったけどな。においも最悪だ」 「やっぱりそうですよねー、ありえないなぁと思っていたんです」  けらけらと笑う三人。 (ふざけないで!)  カッと頭に血が上った。  喫煙コーナーに乗り込んでビンタの一発でも見舞ってやる。  そう思って立ち上がった。 「今回もおまえの勝ちだったよな。浩太。ほんとずるいぜ」  浩太さんもいるの?  そう意識した途端、またしゃがみこんで身を隠していた。  パキラの影から中を覗いてみると確かに浩太さんもいる。三人ともサクラだったのだ。 「オマエにしては珍しく熱心だったじゃないか。実はタイプだったのか?」  浩太さんはなにか考え込むようにうつむいている。  どきん。どきん。  また胸がうずく。  しばらくして「まさか」と驚いたような声が聞こえてきた。 「潰れた饅頭みたいな顔が面白かっただけだよ。漫画やアニメにいるだろう、ああいうモブキャラ。まさか現実(リアル)にいるとか思わなかった。あんなのブタ女、セフレでもお断りだね」 「たしかにおまえ重度のアニヲタだからなぁー」  四人の笑い声は喫煙コーナーいっぱいに響きわたっていた。  ※ 「宮田さん」  駅にあるベンチでうつむいていると頭上から声をかけられた。  超高速でスマホを連打していた私は一度は顔を上げたけど、相手を確認してからまた下げた。  相手――夏川さんは怒るでもなく私の隣に腰を下ろす。 「なにしてるんですか?」 「えぇちょっと、通報用のブログを書いていたんです。『サクラが婚活パーティーでサクラに騙された実話』ってタイトルで。会社名も含めて全部暴露してやろうと思って」 「ふぅん。転んでもただでは起きないってことですか」  いまの話で私がサクラだったと気づいただろうに、特段責めるでもなく画面を覗き込んでくる。夏川さんが相手だと恥ずかしいという感情も湧かず、そのまま淡々と文字を打ち続けた。  日が落ちて手元が暗くなってきた。  いつまで隣にいるつもりかと思ったけど、夏川さんは何も言わない。  沈黙に耐えかねて私から口を開いた。 「怒らないんですか? 私、サクラだったんですけど」 「知ってましたよ? 宮田さんがサクラだって」  そこで手が止まった。 「あれ……なんで私の苗字を?」  宮田景子。それが私の本名だ。 「当たり前でしょう。元同級生なんだから」 「うそ!」 「高校のときに。忘れたんですか? 桜井隼斗ですよ。いまは養子なので夏川ですけど」  桜井隼斗。  その名前を聞いた途端、私の脳裏によみがえってきたものがある。  あの金の稲畑だ。 「……桜井君?」 「ええ。数年前海外から戻ってきてからずっと宮田さんを探していたんですよ。たまたま今日参加した会社が以前に主催した婚活パーティの記事にあなたと思われる人物の写真を見つけて一か八か参加してみたんです」  そう言って私の分厚い手を掴んだ。  小枝のようだった彼の指はすっかり大きくなり、鳥の手羽先くらいになっている。 「あのころネグレクトを受けていたオレは食べ物とか全然興味なかった。そんなとき宮田さんに出会ったんです。学校帰りのコンビニで美味しそうにおにぎりを食べていましたね。すごく楽しそうだった。あなたと行ったのはファーストフードやファミレスばかりだったけど、あなたはいつも幸せそうで、食べることの大事さと食べる人の幸せを考えさせられた。すごく感謝しているんですよ。いつか恩人に自分の作った料理を食べてもらいたい、その一心で頑張ってきたんです」  まだ信じられない。  初めて付き合った相手がいまでも私を想ってくれているなんて。  あのころのトキメキを思い出す……かと思ったら「ぐー」とお腹が鳴った。  駅前の時計は六時を指している。そりゃあお腹も減るわ。 「相変わらずですね。じゃあ、そろそろ行きますか」  笑みをこぼした夏川さんは私の手をとって立ち上がった。 「行くってどこへ?」 「パティスリーハヤトですよ。オレの店。少しですけど夕食も用意します。ディナーにしましょう」  パティスリーハヤト。あの超有名なケーキ屋さんだ。  まさか彼自身のお店だったなんて。 (これは運命なの?)  私は書きかけのブログを下書きに保存した。非公開のままだ。  『サクラがサクラに騙された』――その続きが、これから始まるかもしれないからだ。  彼は私にあわせてゆっくりと歩いてくれる。  肩を並べればあぁこんなに大きくなったんだ、と歳月の長さを実感させられた。  と同時に彼が私を想っていてくれた時間の積み重ねを。 「……ねぇ、夏川さんは私の王子様になってくれる?」  見た目はちょっとだらしないけど、背が高くて、超有名なお店をもつ経営者で、一流の料理人。  そんな人が私の彼氏なら。 「王子? いいえ、なりません」  夏川さんは真顔で答えた。 「へ?」  私の喉からヒキガエルみたいな低い声がこぼれたが、夏川さんは真顔のまま続ける。 「オレは料理人でいい。あなたのために毎日料理を作り続ける。あなたが「美味しい」って笑顔になってくれればそれだけでいい。――そんな日々はいかがですか? オレのおひめさま」  いやいや、それってもうプロポーズじゃん!  最高のやつじゃん!  おわり。
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