鉱物スイーツと真夏の怪

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「それでは、私はこれで。ごちそうさまでした」  金魚ちゃんはぺこぺこしながら店を出るとそのままタクシーへ乗り込んだ。 「お客様、でしたか。失礼しました」  絵麻は恥ずかしそうな申し訳無さそうな顔になった。 (くるくる表情が変わるな)  ヒロはそっと絵麻を盗み見る。いつもと違う姿を直視するのはなんとなく照れくさかった。そこへ。 【客じゃないな。食うだけ食って、金払ってないもん】  トトトト、ハリーが軽快にやってくる。絵麻はそっとハリーを持ち上げた。 「ふふ、かわいい。勝手に出てきちゃだめだよ」 (残念でしたー)  ハリーの言葉は人間には分からない。ヒロはやれやれと汗をぬぐう。 【ヒロのやつ、客が来ないのに試作ばかりするからお腹いっぱい】 「そっか。店長のこと心配してたのね」  しかし絵麻は、ハリーの気持ちをいつも汲み取ってしまう。 「店長、今日の売上、どうですか?」  そんな絵麻から質問を投げかけられ、ヒロは焦った。 「売上? 売上はまだゼロだけど……あっ」 「パンダメイク……さっきの人、お客さんじゃなかったんですか?」 「そうだよ、お客さん。うっかりお代もらいそこねたなあ。ははは」  絵麻は猜疑心たっぷりな目つきでじぃっとヒロを見ている。 【墓穴を掘ったな】  さらに絵麻の手の上からハリーもじぃっとヒロを見ている。 「そうですか。次からは気をつけてくださいね。では、私は約束がありますので。またね、ハリー」  絵麻にしては珍しく、どこか他人行儀に感じられた。そしてヒロが何より気がかりなのは。 (約束? そんな可愛い服を着て?)  引き止めようとして、手を伸ばす。 「桜田さん、差し入れは?」  それはあまりにも不躾な台詞だっただろう。少しばかり雑に絵麻が紙袋を押し付けてきたところで、仕方がない。 「バタフライピーのハーブティーです。それじゃあ、水曜日に」 【ったく、しょうがないねえ】  ハリーは眠たくなったのか欠伸をした。必死で取り繕おうとするヒロだが。 「ありがとーちょうど欲しかったやつぅ」  絵麻は愛想笑いを浮かべ、さっさと店を出ていってしまった。 「今の笑顔、どういう意味?」 【単なる社交辞令】 「あああっ」  ヒロがガックリして手をついたのは、さっきまで金魚ちゃんが座っていたテーブルだ。そこに、はじめ手つかずだったゼリーは跡形もなく、ガラスの器だけが残されていた。 (もう涙はいらないな)  ヒロは、『ルビー色の涙ムース』を本日限定メニューとした。ともあれ、丸く収まった。 「ハリー見てみろ、完食だ」  ヒロが得意げになったところで、返事はない。床にぺったりと大の字になって、すでにハリーは夢の中だった。
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