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プロローグ
「いい声ですね」
雨の上がった教会の庭で弟と『夢幻少女 タイニーチェリオ』の主題歌を歌っていたわたしは、ふいに投げかけられた男性の声に動きを止めた。
「あっ、すみません。邪魔してしまって」
振り向いた視線の先には、お父さんよりいくらか若い、ジャンパー姿の男性がいた。
「素敵なコーラスだったんでつい、聞き入ってしまいました」
「どなたですか?」
わたしは身を固くしつつ、男性に聞いた。お母さんから「見ず知らずの大人」から声をかけられても相手にするなと言われていたのだ。確かに大人は身体も大きいし、怖くないと言ったら嘘になる。だが子供のような大人だっているし、必ずしも怖いとは限らない。
「怪しいものではありません。この教会で時々、手伝いをさせてもらっているんです」
男性はそう言うと、軽くほほ笑んだ。悪い人ではなさそうだ、とわたしは思った。
「姉妹で素敵なコーラスですね」
男性はわたしと弟を交互に見ながら言った。どうやら弟は女の子と思われたらしい。
「あの、これ弟です。このピンクの服がわたしのお下がりだから、女の子に見えるかもしれないけど、一応、ちゃんと男の子です」
「ああ、そうでしたか。ごめんなさい。……教会の中で、みんなと遊ばないんですか?」
「それが……今、風邪はやっているらしくて、中で歌うのはちょっと……雨もやんだし、弟もあんまり体が丈夫じゃないから、うつされないように外に出てきたんです」
「なるほど……おかげで美しいハーモニーを聞く幸運にあずかれたってわけですね。弟さんのハモりが特に素敵でしたよ」
「いえ、ハモっていたのはわたしの方です。弟の方が声が高いから」
「あ、そうだったんですか。じゃあ、素敵だったのはあなたの声の方だ」
「声なら弟のほうがきれいだと思います。合唱団に入れたいくらい」
「そうかなあ。僕はあなたの声のほうが、好きですけど。……ええと」
「リオです」
「リオさんですか。高校生くらいになったらまた、聞いてみたいですね。今の歌を」
高校生か。……高校生といったら、十年くらい先の話だ。その頃わたしは、どんな声になっているだろうか。
「お姉ちゃん、もう中に入ろうよ」
「いいけど、中に入ったら、今みたいにあんまり口開けちゃ、だめよ。風邪の菌が入ってくるから」
「歌っちゃだめ?」
「だめだめ。……それじゃ、わたしたち中に戻ります」
「うん、そうだね。……風邪に気をつけてね」
わたしはぺこりと一礼すると、男性に背を向けて教会の中へ引き返した。
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