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「本社の重役秘書から、日本支社の企画3課の主任ねぇ……、左遷にしても異動にしてもなんか不自然だな」
塚本に、何やらかしたんだろうね、という視線を送り、塚本は、さあ、という感じで首を振る。
一色は先ほどのコンペで、負けいくさをひっくり返した、まるでジャンヌダルクのような上司を思い返していた。
その千秋は重役室のひとつ、護邸常務の部屋にいた。
少し明るめのグレーのスーツに身を包み、鷹のように鋭い目が辣腕であると見てとれる。その護邸が、千秋に静かに問いかける。
「コンペは、どうだったね」
「ライバル社が価格を2割下回ったので、負けるところでしたが、なんとかチャンスをいただきました」
「つまりまだ見込みはあると」
「……はい」
先程のプレゼンとは、うってかわって歯切れ悪く応える。
「よろしい、もう下がってくれたまえ」
千秋は一礼して常務室を出た。2人のやり取りを同室にいた秘書は思う。
みんな、常務とあの女は怪しい、デキている、コネだろうと噂するけど、2人のやり取りを見ると周りが思うような関係では絶対ないと断言できるわ。むしろ敵対関係という方が似合っている、そんな感じだわ。と。
「ど~しよ~」
その夜、頭を抱える千秋を見て、蛍は、にやにやしながらチューハイを飲む。
「悩め悩め、何も考えずハッタリを言う千秋が悪い」
「だって、ああ言わなければ終わってたんだよ~」
千秋は、白ワインのボトルをラッパ飲みする。
護邸常務の部屋を出た後、課に戻り課長に報告。今度は課長にネチネチと成功しなかった事を責められて、その後残業してプレゼン内容を見直しをしたが、直し所が見つからず、やむ得ず帰宅することにした。
だがまっすぐ帰らずに、友達の鏑井蛍の所に寄り、蛍の部屋で愚痴っているところであった。
「おっかしいんだよね、あの商品は私のコネでやっとあの値段にできたんだよ。それなのにさらに2割低いなんてあり得る?」
「向こうさんの企業努力なんじゃない」
「ないない、何回か会って思ったんだけど、あれは絶対、仕事というか世の中をなめているタイプね。あんなのが企業努力? するわけないじゃん」
「じゃあ何だと思う」
「それが分からないから、悩んでいるんじゃん」
ふたたび千秋はボトルをあおる。あい変わらず酒豪だなと、蛍はにやにや顔を止めずに見ていた。
蛍の密かな楽しみは、千秋の困り顔を見ることである。女子高時代3年間、凛々しい千秋はラブレターを貰わない日がなく、毎回困り顔をしながら蛍に相談しに来て、蛍が代筆で断りの返事を書いていた。
卒業してから10年以上会っていなかったので見れなかった千秋の困り顔を、久し振りに見れたのだ。
今夜のサケは美味しいなぁ、と蛍はご満悦であった。
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