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【4】
右の二の腕の所と脇腹のところから血が流れているナーガを見て私は血の気が引いた。
この村にいる唯一の薬師のところへ向かうであろうナーガが歩いていく後ろを私は無意識についていった。
「獣にやられたのか?しかしまたざっくりとやられたもんだな。そんでも、ちっと痕は残るが縫うほどでもねーな。
ま、とりあえず傷が塞がるまで何日か大人しくしておけ」
頷くナーガに、50代ぐらいのこれまた逞しい体をした薬師がカカカと笑いながら消毒してドロドロの緑の液をナーガの傷口にに塗りたくって厚手の布を巻き付けて行く。ナーガが顔をしかめる。
笑い事じゃないだろうと私は内心腹立たしく思ったが、お嬢ちゃんには珍しいかも知れんが、狩りに出るとこういうケガも時にはするもんだよと薬師が言った。
治療を終えたナーガが立ち上がる。
私も立ち上がり、
「ナーガさん、家まで送ります」
ずっと何でついてきてるのかとチラチラ私を見ていたナーガは、驚いたように目を見開いた。
慌てて大丈夫だと身振りで言ってくるナーガに、
「でも心配なので。お願いします」
と突っぱねて強引についていく。
疎らに点在する村の家の中で、ナーガさんの家は村の外れ、ジャングルの入口辺りにある。
少し動揺した様子で歩きながら私を窺うナーガに、私もなんでついてきたのかよく分からない。
でも、ずっと気になっている事を聞くいいチャンスかと思った。
「………ナーガさんとよく視線が合う気がしていたんですが、もしかしたら私知らず知らず失礼な事をしていて、嫌われたりとかしてましたか?」
好意と言うには余りに鋭い、貫かれそうな眼光だったので、もしやそっちの可能性もあるのかと私は思い至ったのだ。
ポカンと口を開けたナーガは、ブンブンと首を振り、そんなことはないと手を振る。
その答えに安心しつつ、何だ喋れなくても意思の疎通って思ったより普通に出来るもんだなあ、と気が楽になる。
手話というのがこの世界にないので悩んでいたが、イエスかノーかで答えやすい聞き方をすればいいだけだ。
私は良かった良かった、と何が良かったんだか分からぬままニコニコとナーガと歩いていった。
ナーガの家まで到着すると、それでは、と頭を下げて家に戻ろうとした私は、ナーガが『ちょっと待っててくれ』という仕草をして家の中に入って言ったので少し待っていた。
出てきたナーガがサッカーボール大の巾着縛りをした麻袋をくれた。
『持っていけ』と少し微笑んで手を動かす。
なんだろう。野菜?お肉?
送ってきただけなのに気を遣われたのだろうか。それよりも笑顔が可愛いんですが。私より年上なのに子供のようで頭を撫でたくなるんですが。
「ありがとうございます」
それでも頂いたものを返すのは失礼だと心の動揺を見せないようにお礼を言って受け取った。
家に戻って来た私は、貰った麻袋を開けた。
中は、一面の赤。
「………え?イチゴ………?」
村長が言っていた紅くて小さい粒と言うのはやはりイチゴだった。
ヘビイチゴみたいな小さなモノだが、1つ摘まむと、とても甘味があって美味しかった。
でも、かなり遠い所で凶暴な獣もいるって………。
今さら気づいてしまった。
ナーガのケガは、これを獲りに行って負った傷なのだ。
私と村長との話を聞いていたのだろう。
私の軽率な発言のせいで、彼に負わなくともよいケガをさせてしまった。
それがとても居たたまれなく、また自分のためにそこまでしてくれたと言う歓びが身体を震わせた。
私、ナーガさんが好きだ。
ここ暫く漂っていたモヤモヤした感情が、ストンと腑に落ちた。
意思の疎通が大変でもないなと安心したのも、結局は好きだったからなのだ。
ナーガさんより幾らでも綺麗な男はいる。話が出来る男もいる。傷ひとつない美しい肌の男だっている。
それでも、私はナーガさんがいい。
あの澄んだブルーグレーの瞳で見つめてほしい。
私なんかのために遠くまでイチゴを獲って来た上に大ケガまでしたのに、何でもないような顔で渡してくれたナーガさんが好きだ。笑顔が可愛くて好きだ。
どうしよう。ナーガさんの側に居たい。
抱き締めて欲しい。
ナーガさんはほんのりとした好意かも知れないが、私の心臓はバクバクと暴走気味である。
前にフラレた男にもこんな感情は沸かなかったのに、なんでジャングルまで来て半裸の男に惚れてるんだろうか私は。
ちょっと頭が痛くなってまた1つイチゴを摘まんでいると、ミガル君ではない男とジャングルデートだった美香ちゃんが帰ってきた。
「たっだいま~♪………っと、千尋せんぱい、何を食べてるんですか?ふおっ!イチゴじゃないっすか!!1つ下さい1つ」
目を爛々と輝かせた美香ちゃんに、
「半分あげるから、是非相談にのって欲しい事があるのよ」
と私はすがるような目を向けた。
◇ ◇ ◇
「はーん………ナーガさんですかぁ………まぁあの人最初っから千尋せんぱいしか見てなかったですもんね」
風呂から上がった私たちは、井戸水で冷やしておいたイチゴを頬張っていた。
やはり甘味というのは幸せな気持ちになる。ケーキなんかのない世界では果物が素晴らしいスイーツだ。
「え?そうなの?!」
私が視線を感じるようになったのはつい最近の話である。
「そうですよー、最初ぶっ倒れた千尋せんぱいを抱き上げて村長のところに運んでくれたのもナーガさんみたいですし」
「マジですか………」
気を失ってる時のお姫様抱っこは少々悔しい。
「で、どうするんですか?ナーガさん喋れないし、千尋せんぱいから逆プロポーズしないと。いや、押し倒した方が早いのか?」
「逆プロポーズ………押し倒す?………待って待ってちょっとそれは」
ぼぼぼ、っと顔が熱を持つ。
「善は急げと言うじゃないっすか。先ずは看病名目で今夜、夜這いかけましょう。
どうせ縫わない程度のケガならエッチぐらい楽勝でしょう。据え膳食わないようなら襲いましょう」
「なっ、なっ」
美香ちゃんはニッコリと笑う。
「私もですね、実は今日村長に話をして、一妻多夫っていうのをやることに決めましたんで、明日から1日ごとに希望者が通い夫に来るんですわ、ホホホホホ」
さらりと爆弾を落としてきた美香ちゃんは、なんだか使命感に燃えて来たのだと言う。
「ここに来たのもね、何かの運命なのかなって。受け入れても良いんじゃないかなと思うようになりました。みんな優しくてイケメンないい男たちだし。
ですから私は出来る限り大勢の童貞ちゃんを幸せにしますんで、千尋せんぱいはナーガさんを幸せにすると言うことで」
ささ、と家の入口に押し出される。
「美香ちゃん………」
私はそれでも不安になり振り返ると、
「朝まで帰って来ないで下さいね~♪」
と満面の笑みで送り出されてしまった。
私は結局ナーガさんの家の前にいた。
日が落ちるとほぼ道を歩く人の姿はない。
30分ほど近くをウロウロしていたが、まだロウソク(っぽい)灯りがついていたので多分起きているはずだ。
そして夜這い予定の女がいつまでも徘徊してるのも宜しくないであろう。
うん。ダメならダメで謝って美香ちゃんに家に入れてもらえばいいし、と漸く覚悟を決めて、
「ナーガさん、こんばんはー。起きてますか?」
と小声で声をかけた。
ガタッ、と物音がして、ナーガさんが入口の布をめくり私の姿を認めて棒立ちになった。
「………ちょっと質問とお願いがあって来たのですが、入れて頂いてもいいですか?」
私をじっと見つめると、布を大きく持ち上げた。入れと言うことだろう、と私はホッとしてナーガさんの家に入った。
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