忍れど

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 恋とは発情である。生物を見ればわかる。雌雄が出会い、ペアを組み、ややこしいことして子孫を生み出す。  そのペアリング、必ずしも偶然だけではない。双方、その際に”選別判定”を行う。より”優秀な子孫”を残すために。優秀な子孫を残せば、それだけその種の社会は発展すると考えられるからだ。  恋とは、そうした動物の本能的行為に他ならない。人間の男女の間も、それは変わらない。もし、そこに違いがあるとすれば、その子孫を残すために男女がペアをつくり幼生=赤子を成人にするまで養育する必要があり、その間の養育体制、つまり家族を形成する。  その間の”保障”が必要だった。ただ、出会って、ややこしいことをすれば終わりという動物たちとは違うし、子供が大人になるまでの時間が数年と短いのに比して、15年ほどの時間がかかること。その間、相手が家族を構成してくれるかどうか、お互いにそれを見極める必要があった。そこが、人間という生き物の、面倒なところだ。  まあ、そのかわり、動物では百歳まで長生きするものは、それほど多くなく。その意味では、人間の15年の生長期間は順当なのかもしれないが・・  正直、うっとおしい。  その中で、彼らは”クリスタルチャイルド”と呼ばれて、世界で注目された自分たちだが、注目されたというか、自分の天才が開花したのは概ね15歳過ぎてからなのだから、その意味では、成熟した大人として理解してもらってもいいのだが、いわゆる世間様は、そう納得してはくれないのだった。  自分たちからすると、今の大人が”アホウ”なのであり、自分たちが特別天才だと感じたことは、実は、ないのだった。 ”なぜ、こいつらはそんな自明なことがわからないのか”というところで。  しかし、同じ世代の個体群からすると、確かに自分たちは傑出した存在であることも認めないわけにはいかない。  大人と同様に、同輩が同じように”アホウ”なのは、まったく、彼にとっては長く違和感のもとであった。彼にとっては、あくまでも自分が正常であり、彼らが異常だったのである。  当然ながら、彼も知識として、子孫の残し方は知っている。実体験がないだけだ。同世代の愚物どもは、男も女も子孫の残し方に興味深々で、顔を赤らめて興奮するのだが、彼にとっては、生理現象の一種の展開系としてしか理解できない。そう、四鬼忍は、自分は恋の出来ない人間だと、自覚していたのだった。  いずれ、ゴールデンチャイルドの誰か女子とペアを組み、子孫を残すのが、流れなのだろうが、それは、恋というものではないに違いない。  すでに、事業を起こして一生遊んで暮らしても十分な大金持ちであり、成人までの子孫の養育費も払えるからだ。そこに、家族となって育てるという感覚は、絶無であった。
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