忍れど

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 幻術によって、歩き続けている錯覚に陥っている可能性は否定できないが、この期に泳いで、そんなくだらない冗談をムーの遺跡がするとも思えない忍であった。  何か、この玉置山にふさわしい”現象”が起こっているのは間違いない。  その点で、忍が怖気づく理由はどこにもなかった。  このまま、突き進む。雄雄しく、堂々と。どこからともなくわいてくる地下水に湿った空間は、まさに滑ったなまめかしい女性の器官を思わせる。  しかし、忍にとってはただの生物の内臓のようであった。その感覚を持つこと自体が、この”空間”が、いわゆるの”この世界のものではない証拠”に他ならない。  それはちょうど、夢の中にあって”自分はいま夢の中にいる”と自覚するようなものだ。  しかし、夢ならばそれで場面を意図的に変えることが出来るのだが、この空間はそういう操作を望んではいないようだ。 「さて、どこに僕を連れて行ってくれるのかな。それとも、僕をどこにも連れて行かず、永久にこの闇空間の中に僕を閉じ込めるつもりかな」  それは、一種の駆け引きでありながら、相手の”意図”が今ひとつ理解できない忍だった。当然ながら、この”ムーの装置”を・・こんな精妙な装置を、縄文時代の人々が作れたはずがないという、忍の当然の論理的帰結だ・・使うのは初めてなのだから、多少の試行錯誤はやむをえない。  しかし、こうした装置の常として、いずれ装置の側からその使い方を教えてくれるものだという理解が忍の裏にあった。それが仁義というものだという確信。 ”この次元回廊を、あの小角も通ったのか”そんな感慨が、忍の胸の中にわいてくる。  この空間は時空を越えている。  不条理な思いという無かれ。  まさに、これは夢特有の理解に等しい。しかし、東丈によると中南米のトルテックマジックにあっては、夢はもうひとつの現実という認識の中にあった。ここは、そういう場所なのだ。それは、あの仏典、般若心経にある”空と色”の関係に近いかもしれない。そして、胎内。ムーの時代、この大掛かりな装置を作った”誰か”もまた、それを感じていたに違いない。  子宮を思って、この装置を構築したのだ。  そして、忍はそこに出た。 .
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