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一文字の選択
『日本人は簡単に『愛』を伝えられる。その素晴らしさを広めるときがきた』
国が掲げるキャッチコピー。マスコミはこれを『革命』と叫んだ。いま思えば確かに『革命』だった。誰が仕組んだかは、あえて言わないけれど。
令和元年5月1日に日本政府がサービス開始したSNSアプリ『リーダー』
日本では、このSNSしか使えなくなったんだ。政府自らが作成したこのアプリには、ふたつの特徴があった。
『誕生日を迎えると、発信してよい文字をひとつだけ増やせる』
『一文字の選択権は、誰かにプレゼントできる』
この権利に、年齢は関係ない。
つまり、50歳以上なら平仮名50音全てを取得するのがやや難しくなる。
だからなのか、一年目は漢字を選ぶ者、絵文字を選ぶ者、『!』など感嘆符を選ぶ者もいた。
4月30日生まれの僕は、無言でリーダーを眺めた。僕はまだ一文字も選べないから、何も言葉が書けない。
多くの人々は『愛』を選んでいるようだった。なかには、『死』を選ぶ人もいた。
待ちに待った令和二年4月30日。一文字目。僕は『好』を選んだ。巷にあふれる『愛』に胸やけしたのかもしれない。それでも自分もポジティブな一文字を選びたかった。
『愛』にあふれたタイムラインに並ぶ、ひかえめな僕の『好』。主張する誰かの『死』と『我』
三年目の選択が過ぎる頃。
国民は『愛』を求めた。タイムラインに並ぶのは、『愛して』の文字。
彼らは、四年目には『愛してる』と話すのか。『愛してほ』と話すのか。再び、愛を伝える選択をするのだろうか。
二年目に『き』を選んだ僕は、三年目の開始からあらゆるアカウントに『好き』を送った。
「愛して」
「好き」
この会話にどれだけのチカラがあるだろう。たまに、僕の返事に『愛』と返すアカウントもあるから無駄ではないと思う。
三年目に僕は『大』を選択した。もっと『好き』を伝えたくて。
四年目。『愛してる』『愛してほ』『死ねば?』『きらいだ』『自由にな』
四文字目まで揃うと、人々が伝えたいことがわかるようになってきた。
この頃の僕は、あらゆる言葉を検索して『大好き』と返信を送るという『イキナリプ』をするようになった。
『いきなり粋なリプ』を送るという、数年前に某SNSで流行った迷惑な返信『クソリプ』をもじった僕の造語だ。
令和五年4月30日。選択の日。僕は、自分が発する『大好き』にうんざりしていた。
『疲』を選ぼうとしたけれどしばし悩んで、一番気になる選択をしているユーザーに一文字をプレゼントした。
僕より数分早く生まれたこのユーザーは、いままでに『死』『に』『た』『い』を選択している。
4月30日に生まれたがゆえに、言葉を操る権利を人より遅れて獲得する羽目になったこのユーザーに同情していたのかもしれない。
プレゼントした翌日。
『死にたい』と話していたユーザーが、次に『嘘』を選んだと知り、僕はスマホを見ながらガッツポーズをした。
僕の押し売りはこのユーザーに影響している。そう思いたかった。まあ、本当はユーザーの現実が良い方向に進んだからだったかもしれない。
僕は、このユーザーがどの一文字を選ぶかとても気になっていた。
もし、『死にたい』の次に『と』を選んだら要観察だ。そうなれば、次に選ぶのは十中八九『思』だ。このあとの選択で、『わ』にするか、『う』にするかがわかるまで僕はプレゼントし続けていただろう。
もう、大丈夫だ。たとえ、ひとこと『死にたい』と話しても、気分が変わり『嘘』と続けて話せば、画面を見た人々は安堵するはずだから。
五年目、六年目。僕は自分が話すよりも他の人の『声』が知りたくなった。
思いつく限りの言葉を検索して、あるふたりのユーザーにプレゼントした。
七年目がはじまった。
『愛してほしいな』『幸せです君は?』『うるさい!謝罪』『眠い疲れた休み』
僕が一文字をプレゼントしたユーザーは、八文字でこんな言葉を話している。
「生きていて良かった」「こんにちは幸あれ」(同じ文字は一度選択するとひとつの言葉で繰り返し使えた)
当時の僕は、いや、いまもか……明るい言葉を求めていたのだろう。
画面の向こうでは、涙をふいているユーザーだっているだろう。こんな言葉がまやかしだと気づいているユーザーもいるだろう。
それでも、僕らは国が作ったレールを走る列車から降りることは許されなかった。
外国人が聞いたらびっくりすると思うけれど、それが『日本』なんだ。
「おかしいね」、「変だよね」とみんなで言いつつも、僕たちの国の第1党が変わることは滅多にない。だからこそ、政府は頻繁に『単なるひらめきとしか考えられない政策』を打ち出す。
それが国産SNSだった。
サービスがはじまったときは、こんなキャッチコピーもあった。
『言葉をリセットする。美しい言葉だけの美しい日本を生み出そうではないか』
ようやくわかったんだ。
政府が生み出したいのは『美しい日本』ではなくて、僕みたいな人間だったんじゃないかなって。
いろいろと伝えたかったけれど、自分には語るべき言葉はなかった。そう思い一文字の選択を放棄する、無言の国民をたくさんつくりたかったんじゃないかな。
気づいたときには、遅かった。
プレゼントを送りつづけた僕には、『大好き』しか話せない。政府の思惑かどうかわからない『カラクリ』が頭にちらついてしまった僕は、僕は……スマホを捨てた。たくさんの言葉を話したい。
いまは、あらゆる電子機器が政府管理下でつくられている。
僕は、紙にペンでこの文章を書いている。一枚、一枚。利き手が痛くなったら、反対の手で書く。少しくらい字が歪んでもいい。誰もが誰かの言葉を欲しているはずだ。
この数十枚の紙を、僕はビルの上からばら撒くつもりだ。
僕は『選んでいない文字を発信した罪』で逮捕されるだろう。
それでもね、怖くはないんだ。本当に恐ろしいのは、この政策のように予測できないルールに振り回されることだ。予想外の出来事は自らの死だけで充分だ。
最後に、僕がもっとも好きな言葉で締めくくろう。
20年くらい前に観た映画なんだ。ある国語教師が教え子にこう教える。
――言葉は闘うために知るものだ。誰かが何かを言ったとき、何かをしたときに反応できる武器。それが言葉だ。
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