♯2

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♯2

 職員が使う出入り口と、生徒が使う出入り口は違い、先生の後を追いかけたくても外履きの靴に履き変えている間に、完全に見失ってしまった。  先生がどこに住んでいるのかはだいたい知っている――というのも、雑談している時に、なんとなく聞いたら、なんとなく返事が戻って来た程度だけど。  同じ区内に住んでいると知って、ちょっと親近感沸いて喜んだという記憶が残っている。  ――ということは、先生も徒歩で学校まで来ていると思う。  バス停に行くとは考えられないけれど、用があると言っていたからバスを使って別の場所に行くのかもしれない。  その想像に任せ、あたしの足はバス停へと向かう。  バス停はほぼ校門近くにあって、そこにはバスを待つ生徒がズラリと並んでいた。  それぞれが傘をさしているから余計長い列になって、その中から先生を探すのはちょっと難しいかもしれない。  傘さえなければと思うと、降り続く雨がやっぱり憎らしい。  諦めるか、それともまた想像に任せこの列に並ぶかで考えていると、背後から声をかけられた。 「浅川さん?」  名前を呼ばれて振り返ると、クラスの女の子が立っていた。 「登校しているところは見たけれど、教室に来なかったから保健室だと思ってたのだけど、今ここにいるということは状況知っているのよね。大丈夫なの?」  隣の席の……ええっと―― 「睦さん……」  そう、睦はるかさん。  悩みなんてないみたいに、常に前向きでクラスのムードメーカー的存在。  席が隣ということで、いろいろと世話をしてくれているけど、あたしは正直彼女が苦手。 「え? どうしたの?」  きっとあたしがボーとしているからだと思う、驚きと不安が混ざったような顔になっていく。 「ううん、なんでもない。睦さんはバス通学だったかしら?」 「違うわよ。この区内だから徒歩。浅川さんの姿を見かけたから追いかけただけ。よかったら、一緒に帰らない?」 「一緒に?」 「誘うの、おかしいかな? 席隣でも、あまり話さないしね、私たち」 「そうね。でも今日はちょっと……」  苦手な彼女と10分程の帰路を歩くのは無理。  だったらこの列に並んでどこまでも先生を追いかける。 「そう、それは残念ね。バスに乗るということは病院? やっぱり、あまり体調よくないのね。ごめんなさいね、声かけて」  じゃあ、気を付けて――とありきたりの言葉を残して、彼女はバス停と逆の方向へと歩いて行く。  そんな彼女の傘は、彼女の明るさを象徴するような鮮やかなオレンジ色。  あたしの傘は――子供の頃憧れた赤い傘でも、彼女のような鮮やかなオレンジ色でもない。  無色の透明ビニール傘、安っぽさが滲み出て、今の自分の価値が現れているようで、本当は嫌なんだけど、いざ傘を買うとなると決められず、この安いビニール傘を使う事数年。  結構頑丈で、なかなか壊れない。  まるであたしの分身みたいな傘。  世間的には病弱みたいに思われているけど、実際は健康なんだよね、あたしって。  弱いのはあたしの心。  いつまでも成長しない、あたしの心が過去のトラウマを引き摺って気弱にしてしまっている。  雨と言うものをきっかけに、どんどん弱くなって行く。  ◆◇◆◇◆  バスが駅に着いたのは、あたしが学校を出てから1時間くらい経っていた。  道が混んでいたわけではないけれど、雨が降るとたいていバスは遅れるものという先入観があるから、そんなにイラつきはしなかったけど、あまりの列に来たバスを1台見送らなくてはならなかったのは、想定外だったわ。  見送ったバスにも、あたしが乗ったバスにも先生の姿はなく、これはもう無理なんじゃないかと思った時、あたしの視界に赤い傘が飛び込んできた。  一瞬、ママかと思い顔が俯く。  でも、よくよく考えてみたら、今のママは赤い傘を使っていない。  ママが言うには、もう赤い傘をさして似合う歳でもないから……ということみたいだけど。  赤い傘は若い女性がさすものという思い込みも、きっとママのこの言葉が根強く残っているからかもしれない。  ママのはずがないと思うと、今度はその傘の持ち主に興味が沸く。  視線が考えるより早く、その赤い傘を追っていた。  赤い傘は駅改札口近くで止まり、誰かを待っているのか探しているのか、よく動いていた。  待ち人だとしたら、赤い傘を待たせる人はどんな人だろうという興味が沸く。  昔、ママが赤い傘をさしてパパを迎えに行くと言うことが度々あった。  昔のパパはスーツをかっこよく着こなし、子供がみてもかっこよくて、仕事ができる大人の人というイメージを持っていた。  目の前の赤い傘を待たせている人も、きっと昔のパパのようにかっこいい人に違いない――なんて勝手な思い込みで待っていると、その傘に近づく人物が。  その人物にあたしは目を疑った。 「どうして?」  思ったことが声になるくらい、どうして? という言葉が頭の中を埋め尽くす。  眼鏡をしていないけど……  私服のイメージが違うけど……  何より、いつもの表情とは違う、大人のオーラ全開だけど……  あれは、絶対に卯月先生だ――  ◆◇◆◇◆  傘のない先生が赤い傘を持ち、傘の持ち主の女性は巻き毛を揺らして先生の腕に自分の腕を絡ませる。  ひとつの傘を共有するのだから、それくら密着しなきゃ無理なのはわかるけど、この強い雨の中、高いヒールの靴なんかはいちゃって、あからさまにそういういちゃつきを目論んでいました……みたいなのが露骨で、あたしの中のモヤモヤに棘が生まれ出していた。  ふたりが向かう先は、通称ホテル街と呼ばれるくらい、ラブホテルが建ち並ぶ区間がある。  近くに学校や保育園、住宅地もあり環境的によくないと反対している住民も多い。  あたしも、ラブホテルというものがどういうことを目的として存在しているかくらい、知っている。  親や大人が教えてくれなくても、そういうのって自然と覚えていくもの。  だから、そこへ向かう先生はきっとするんだと直感した。  赤い傘の持ち主と……エッチ、するんだ――て。  でも、その相手の事を先生が愛しているのなら、それは仕方のない事。  あんな女やめてよ――なんて、あたしが言える立場でないこともわかっている。  なのに、なぜ許せないと思うんだろう。  チクチクとする痛みはなんだろう……  ホテルの中に入っていくふたりを見届けてそろそろ2時間、休憩2時間と書かれている料金表を見て、2時間くらいなら待てると思ったあたしもあたしだけど。  ホント、どうかしているよね。  雨足は酷くなり人通りも殆どない。  そんな中、ラブホテルの入り口に、セーラー服を着た女の子が立っているなんて、いかにも……という感じ。  それに間違えられて補導されても、あたし、言い訳できないよね。  ――なんて思っていると、赤い傘が視界の端に入った。  傘を持っているのは明らかに男の人で、その傘の中に急いで入ろうとする女性は巻き毛。  先生と一緒にいた女の人だとひと目でわかる。  正面からはっきりと顔を見たのは今がはじめてで、彼女の唇は傘の赤い色よりも更に赤く、その唇が何かを語っている。  耳を傾けた先生は次第に彼女と向き合うようになって、そして……  それ以上のことをするホテルの前でキスくらい、普通のことよね。  でも、あたしの心に大きな亀裂が入る。  頭で考えるよりも先に身体が動いていて―― 「賢哉の知り合い? 女子高生も許容範囲内だったとは、知らなかったわ」  赤い唇からこぼれる声は、高くもなく低くもない、特別特徴のあるような声でもないのに、あたしはずっとこの声を忘れられないだろうって思った。  なぜって、言っていることが明らかに見下していたし、笑っていたから。 「その制服って、賢哉の学校の生徒よね? もしかして、賢哉とはそういう関係なの?」  クスッと笑うような口調で、今度はあたしに声をかけてくる。  同じ女でも自分の方が優位だ、勝っているという主張が伝わってくる。 「……おまえ、こんなところで何やってんだ? まさか、援交し終えた後バッタリ出くわしちゃったわ……なんてパターンじゃないだろうな」 「ちょっと賢哉。その子、ずっと外にいたんじゃない? 賢哉を見かけてずっとここで待っていた……とか」 「……は? マジ? 浅川、勘弁してくれよ。俺、学校を一歩出たら生徒とは関わりたくないんだ。この件も見なかった事にしろ。どうせ、おまえだって言えないよな。制服着てラブホ街に行ったなんて知れたら、停学だ。親が泣くぞ」  あたしがずっと外にいたと見抜いた女性は、雨に濡れた制服を見てそう思ったんだと思う。  先生は気づかなかったのに、彼女は気づいた。  それって一瞬の間にあたしを観察したってことよね。  相手にもならないと思えばそんなことはしない、ということは、少しはライバルと見てくれているということよね。  ――ライバル……自分でそんな考えに辿りつくなんて。  そうか、あたし……先生のこと――
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