ポン太

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 まったく警戒する素振りがないことが、私を嬉しくさせる。猫に存在を無視されるということは、そこにいても構わないと思われていることに他ならないなのだ。  ーー宮城県の大学を出て、就職のために上京して2年。それが私の限界だった。  運か実力か。定かではないが、それなりに有名企業に祝職した私は、営業職として東京で自立した生活を始めた。  しかし、期待に胸を膨らませて新生活を迎えた私を待ち受けていたのは、理不尽な罵倒や叱責、徹夜での残業が前提の仕事量、膨大なノルマだった。  たぶん心は1ヶ月ほどで折れていたと思う。だが、どんな企業でも3年は勤めてから退職しろと、友人も偉い人もネットで名を轟かせるインフルエンサーも、こぞって言うものだから。  私は頑張ってしまったのだ。自分のキャパシティ以上に。  1年半を過ぎた頃から、肩こりや胃痛、倦怠感と小さな不調が相次いでいたが、病院に行く暇などあるわけもなく、見て見ぬふりをしていた。  その結果、2年目に差し掛かる直前に業務中に倒れてしまった。  疲労の蓄積と睡眠不足により、身体はかなり衰弱しており、救急車で運ばれた先の病院で入院を進められた。  入院を渋っていると、ベッド脇に置いたスマートフォンには、「体調管理もできないのか。社会人失格だな」「今すぐ戻って会議の資料を作成しろ」などといった、上司からの鬼のようなメッセージが数分単位で届いた。  体調を気遣う文面は一切なかった。私をひとりの人間として扱わず、ただの労働力、命令通りに生産を続ける機械としてしか見ていない様子。  しかし壊れかけていた私は、それに抗うことなど思いつかない。
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