コスパ最強フェンサー

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コスパ最強フェンサー

 人生で最も重要なことは何か?  俺はこう答える。 「コスパだ」  コストパフォーマンス、いわゆるコスパとは、あるものが持つコスト(費用)とパフォーマンス(効果)を対比させた度合い。(Wikipediaより引用)  要はどれだけ効率よく、要領よく生きられるか、ということだ。  俺は高校二年生の渡邉航(わたなべわたる)。たかが十七年しか生きていない小僧が何を偉そうに言っているのかと思うかもしれないが、それが十七年間生きてきた中での答えだ。  神奈川県立湘安高校。県内屈指の進学校であるが、この学校の生徒は部活や学校行事に力を入れている。文武両道をモットーに何事にも全力を尽くすのを校風にしている。 『二兎追わぬものは二兎を得ない』  校長が入学式に話した言葉だ。二兎追わぬものに二兎を得る可能性はない。二兎追うことが重要なのだと。  何事にも全力? 馬鹿馬鹿しい。力のリソースは限られている。力の配分をいかにコントロールするか、それが俺の生き方だ。 「よーし、これから後期中間試験の結果渡すぞー」  やる気のなさそうな担任の声が夢の世界にいた俺の意識を覚醒させた。 「(もう五限終わってたのか)」  今日の最後の授業が終わり、HR(ホームルーム)の時間になっていた。それでも、もう少し寝ておけば良かった。出席番号四十番の俺まではもう少し時間があるからだ。 「すごい、進はまた学年一位だね」  そんな異次元の人物のことなど無視して、俺は気怠そうに立ち上がり、机の間を抜ける。担任の教師から細長い成績表を受け取るとそこには見慣れた光景があった。  国語 44点 偏差値43.6  数学II 58点 偏差値51.1  数学B 52点 偏差値48.9  物理 62点 偏差値49.3  化学 44点 偏差値45.6  日本史 42点 偏差値46.3  世界史 52点 偏差値50.0  英語 34点 偏差値41.2  総合得点 388点 順位 261/360 「(よし、今回も良い結果だ)」  この結果を見て、俺がこのような感想を抱いたのは、コスパという観点で見ているからだ。今回も俺はいつも通りほとんど勉強をしていない。それはこの一般的に見たら微妙な結果が示している。  俺は試験一週間前の授業中のみ授業を聞かずに試験勉強をする。それでも一日五時間程度の勉強はするわけだから平日五日×五時間=二十五時間程度の勉強で試験に挑む。家では好きなだけ自分の時間を過ごし、全く勉強しない。それでこの結果だ。どうだろう、少し見え方が変わってこないだろうか?  学校の試験では、本当に勉強をしない層が存在する。それは進学校であっても、だ。それが俺よりも順位が下の九十九人なのであるが、その層に勝つにはこの二十五時間の勉強で十分だ。そしてそれよりも高い順位を目指すとなると授業中の勉強だけでは賄いきれない。この成績なら親に多少小言を言われる程度で、ひどく怒られることはないし、この勉強時間がコスパ最強というわけだ。  それに俺は特になりたいものや、やりたいことなんかない。適当に行ける大学に進学し、適当に入れる企業に就職する。それが俺の将来設計。もちろん、ブラック企業なんていうコスパの悪いところはごめんだ。  だから勉強なんてそこそこでいい。俺にはとりあえずこれだけで十分だ。  俺は右の壁に寄りかけていた大きな剣袋を担ぎ、体育館へと歩き出した。  体育館に電子音のブザー音が一定の間隔で鳴り響く。今は試合前の準備中。試合の準備が整うとブザーが止まる。  俺がしているスポーツ、それはフェンシングだ。  ヨーロッパで発祥した剣術が原型であり、互いの体を突いて勝敗を決める。北京オリンピックで太田雄貴選手が銀メダルを獲得し、有名になった競技だ。  とは言っても、未だに高校ではほとんど普及しておらず、神奈川県で部があるのは六校のみだ。その中の一つである湘安高校には男子、女子共に所属しており、二学年で合計二十五名が所属し、全国的に見ても比較的大所帯と言える。ちなみに今は十二月なので既に三年生は引退している。  フェンシングにおいて剣が相手の体を突いたかどうかを判断するのは機械だ。審判キーと呼ばれる機械と剣を電気コードで繋ぎ、服の中を通す。互いに準備ができたところで審判が声をかける。  「アンガルド」  指定された場所に立ち、右利きの俺は右足を正面に、左足を前足との角度を直角になるように膝を曲げ、横を向くように胸を張り顔だけ前を向く。アンガルドがフェンシングの基本の構えだ。始めたばかりの頃はこの構え方にかなり苦労する。 「プレ、アレ!」  その掛け声と共に試合は始まる。相手が勢いよく突っ込んで来たところで、自分の剣で下から時計回りに弧を描き、相手の剣を上に弾く。パリィ。そのまま相手の胴体に鋭く剣を突き刺す。大音量のブザー音が鳴り、自分の剣が的確に捉えたことを告げる。  巻き上げからのリポストは俺の一番の得意技だ。 「アタック、パリィ、リポスト、トゥッシュ、ポア!」  これは相手のアタックを俺が防ぎ、リポスト(反撃の名称)が相手に決まったという意味だ。 「サンク、ザ、ユヌ(五対一)。ラッサンブレ、サリュー」  互いに剣を口元から相手に差し出すようにして礼をし、試合が終わる。  マスクを外した時に初めて見える相手の悔しそうな表情が俺の優越感を満たし、堪らない。  フェンシングは駆け引きのスポーツだ。剣先の微妙な動きからフェイントをかけたり、攻撃し相手が反撃するように誘導したところで再反撃したり、あえて相手が攻め込んできたところで前に出て相手の懐に入り攻撃を避けながら攻撃したりする。  俺はそのゲーム性に魅了された。秋の新人戦では県大会で二位を勝ち取り、表彰もされた。ただ、血の滲むような努力をしているわけではない。将来役に立たないであろうことに今の全てを注ぎ込むなど、俺の生き方ではない。ほどほどの努力で、俺はそれなりにやってきた。  フェンシングは厚着だ。安全性を考慮した長ズボンに半袖のシャツ、半袖のプロテクターの上に長袖のユニフォーム、試合の時にはさらに電気を通すメタルジャケットという半袖を着るので、今は十二月であるが、動き回ると熱がこもり暑い。そのため、今は体育館と外との扉の前で涼んでいた。 「やあ、航」  そこに歩いて来たのは茶色がかったストレートの髪の男、松山進(まつやますすむ)だ。整った顔立ちでスタイルの良い体、さらには勉強まで学年で毎回トップ五には入る憎らしい男だ。それに性格まで良いからタチが悪い。この湘安高校フェンシング部の部長を務めている。  進の身長は百八十センチを超えており、天然パーマで身長百七十センチない俺にとっては、羨ましい物をたくさん持っている。フェンシングにとってリーチは何よりの才能だ。  進は無言でコップを差し出し、俺は無言で受け取る。 「調子はどう?」 「別に普通だよ。お前は調子良さそうだな」 「まあ、そこそこね」  ちなみに進は秋の新人戦で優勝を飾った。つまり俺は決勝戦で進に負けた、ということだ。 攻撃的なスタイルの進に対し、俺は守備型だ。秋はギリギリのところで進の攻撃を防ぎきれず、一点差で負けてしまったが、実力は拮抗しているはずだ。  相手の攻撃をいなし、隙ができるところで反撃する。もしくは相手が攻め込んできたところでカウンターを決める。それはリーチの差からして仕方がないところもあるが、俺が守備型である一番の理由は格好良いからだ。相手の攻撃を受け切って勝つ。それほど力の差を示せる勝ち方はないだろう。  秋は競り負けたが、俺と進はライバルの関係であり、良きチームメイトだ。団体戦では二人の活躍で県大会優勝を勝ち取った。 「ユニフォームを脱いでるけど、今日はもう終わり? まだ三十分以上あるけど」 「俺は短期集中型なんだよ。お前はもう少しやるのか?」 「うん、あとちょっとだけ」 「そっか、頑張れよ」  進が去っていくと、少し離れたピスト(フェンシングの試合場)で準備を終えた女子二人が航を呼んだ。 「航~、暇ならちょっと審判やってくれない?」 「おう、いいぞ」 「アドバイスお願いしますね」 「おう」  湘安高校フェンシング部では男女一緒に練習をする。女子の競技人口が少ないのが理由の一つであり、男女で試合をすることを少なくない。基本的に男子が女子の練習相手になるのだが、当然女子でも強い者はいる。  アドバイスを頼んだ丁寧な口調の女子が間宮楓(まみやかえで)。大きなぱっちりとした目を持ち、身長は航と同じくらいの百七十センチ弱。クオーターの彼女の髪は綺麗な金髪のロングだ。フェンシングをする時にはお団子にしている。眉目秀麗、才色兼備とはまさにこのことで、昨年のインターハイでベスト四に入る実力者。今年は昨年の上位だった三年が引退したことで、悲願のインターハイ優勝が期待されている。 「アタック、トゥッシュ、ポア」  今日も相変わらず鋭い動きで、相手を翻弄している。  その相手を務めているの小柄な女子が宮崎茜(みやざきはるか)。黒髪のセミロングで、フェンシングの時には後ろで一つにくくっている。小動物系美少女、といった感じだろうか。いつも楓の隣にいるため目立たないが、茜も十分美少女だ。  フェンシングに関しては決してセンスがあるわけではなく、試合でも優秀な成績を残しているわけではない。楓の相手になっているのが、時々可哀想になるが、二人は大の親友であり、俺も仲良くしている。  茜が楓に勝っているところとすれば、胸の大きさくらいか……。茜は小柄な体型に関わらず、豊満な胸を持っている。それに対して楓は全身がスレンダーだ。胸がない分相手に突かれにくい、ということはないと思うが。 「リポスト、トゥッシュ、ポア」  攻撃型の茜に対し、楓は万能型。楓に隙はない。そしてスピードのない女子にとって約一五センチの身長差は大きい。今も茜のアタックを楓が間合いを取り、反撃して得点を取った。 「サンク、ザ、ユヌ(五対一)。ラッサンブレ、サリュー」  今日も楓の強さは健在だった。 「どうでしたか?」  楓は同じ目線から純粋な瞳で俺の目を覗き込む。俺は至って冷静を装ってアドバイスをする。 「失点した場面、しっかりパラード出来ていたから、あそこは相手に構わず突きにいっていい。退いたことで相手が攻め込めてしまった。あとは言うことはないな」 「ありがとうございます」  楓は丁寧にお辞儀をして、コードを外す。勘違いしないでほしいが、口調が丁寧なだけで同じ学年だ。  そうして今日もいつもの練習は終わりを迎える。 「う~、すっかり寒くなっちまったな~」  今は七時過ぎ。冬も本格的になってきて、手袋がないと手がかじかむような季節になっていた。 一緒に帰るのはいつものメンバーだ。進、楓、茜、そして俺の四人。俺と進が前を並んで歩き、楓と茜が続く。  湘安高校から最寄駅の藤沢本町駅までは徒歩十分弱。他愛のない話をしていたらすぐに着く。駅前の小さなスーパーに入るのも日課の一つだ。飲み物や軽食を買ったりして電車を待つ。  俺は小腹が空いていたので、パンのコーナーへ歩いた。小さな菓子パンと六本入りのチョコスティックパン。この二つがほぼ同じ価格だというのが、不思議なところだ。俺は迷わずにスティックパンを手に取り、レジへ進む。やはりコスパが違う。  勘違いしないでほしいのが、俺はいやいやスティックパンを食べるわけではない、ということだ。スティックパンは十分美味しいし、その味に満足している。それならば量が多い方を買うのが自然な流れと言えよう。  再び店の外で集まった四人は藤沢本町駅のホームに入り電車を待つ。 「あんたまたそのパン買ったの?」  茜が呆れたような口ぶりで俺に問いかける。 「いいだろ、別に。一本食うか?」 「要らない。そういう意味で言ったんじゃないわよ」 「楓だっていつもの甘々なクリームパンじゃないか」 「今日も美味しいです!」 「そりゃ味は変わらないでしょ。あんたもよくそんなの食べて太らないわね~」 「もしかして茜はダイエット中だったか?」 「航、本当にデリカシーない……」 「茜、君にダイエットが必要なのか?」 「そうそう、そういう言葉が欲しいのよ。航もちょっとは進を見習いなさい」 「面倒なやつだな……」  丁度その時、電車がホームに入ってきた。偶然にも四人の乗る方向は同じだ。藤沢本町駅から一駅の藤沢駅までは一緒だ。 「ねぇ、初詣一緒に行かない?」 「うん」 「いいな」 「いいですね」  そうしてその日は笑顔のまま別れていった。
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