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「茜」
翌日の朝七時十五分、俺は体育館に足を運んだ。
「ど、どうしたの……、航」
俺は前日からずっと何を話すか考えていた。だけど、結局まとまらず、今ここで湧いてくる自分の思いを一つ一つ紡いでいく。
「俺は努力が嫌いだ。努力は辛いし、努力したからって全てが報われるわけじゃない。努力して、報われなくて、傷つかないように、俺は努力しなくてもいい言い訳を必死に考えてた。才能を持ってる奴には努力しても勝てないから、努力するのはコスパが悪いって何とか自分に言い聞かせてた」
時折声が震えて、情けなくなってくる。
「でも、違った。茜の試合を見て、俺は自分がいかに愚かだったのかに気付かされたよ。結局、努力が報われたかどうかなんて、主観的なものなんだよな。その努力を一番知っている自分が報われたかどうかを判断するしかないから、努力が報われたって思うまで努力し続けるしかない。だから……、さ」
俺は真っ直ぐに茜を見つめる。
「俺……、もう一度やってみようと思うんだ」
茜も俺から目を離さないでくれた。
「手遅れかもしれない。夏の大会まであと三ヶ月もないし、今から頑張ったって何もできないかもしれない。……でも、自分を納得させたいんだ」
体育館の外から、朝日が差し込み、視界が明るく照らされる。
「だから、付き合ってくれるか?」
「……えっ?」
「……………………えっ?」
二人に沈黙が生じる。時間が止まったかのように二人は固まる。
「まったく、見ていられないな」
俺の後ろには進と楓が立っていた。楓は茜に駆け寄ると、申し訳なさそうに耳打ちする。
「航の『付き合って』は、『練習に付き合って』の意味だと思うよ……」
その瞬間、羞恥心で茜の顔が爆発した。今までに見たことがないほど真っ赤に紅潮した顔を両手で押さえる。
「ああああああああああ!!!!!!!!!!」
「ちょっ、どうしたんだよ茜!」
その瞬間、茜の鋭い平手打ちが飛んできた。
「うるさい! 大体、紛らわしいこと言うあんたが悪いのよ!!!!!」
「痛っ! 落ち着け茜!!!」
「進も笑ってんじゃないわよぉ!!!」
茜が両手の拳を握りポカポカと殴りかかるのを、俺が手首を掴んで抑える。
湘安高校の第二体育館に笑い声がこだまする。四人の笑顔が朝日に照らされて輝く。
俺は泣きそうになるのを必死に堪えて、グローブをはめた右手で剣を持った。
「さあ、練習するか!」
四人の日常がやっと戻ってきたのだ。
* * *
それから二年、今俺は大学の入学式を迎えようとしている。一年遅れているのは、努力虚しく現役の受験では志望校に合格しなかったからだ。
一人暮らしの新生活は少し不安だが、引越しを終えた部屋は綺麗に整頓され、新たな一歩を後押ししてくれている気がする。
その部屋のテレビの脇には今までの俺の人生で一番濃密だった日々を思い起こさせる写真が飾られている。
湘安高校フェンシング部の最後の集合写真。一年生を含めて三十六名となった部の全員が映った写真の中央には、個人戦男子優勝の賞状を抱える進。その右には個人戦女子優勝の賞状を片手に涙を拭う楓と、団体戦女子優勝の賞状を高く掲げる茜。そして、進の左には男子団体戦優勝の賞状を持って満面の笑みを浮かべる俺の姿がある。
天パの髪の毛を整えながらふと時計を見ると、電車の時間が迫っていた。
「いっけね、遅刻する」
俺は大急ぎで部屋を飛び出した。
ICカードを叩きつけるようにして駅の改札を突破した俺の目の前に、キャリーケースを持って階段を上がろうとするお婆ちゃんがいた。
「ったく、時間ないっていうのに!」
俺はお婆ちゃんの元にその勢いのまま駆け寄り、驚くお婆ちゃんのキャリーケースを持ち上げる。
「持ちますよ、お婆ちゃん!」
俺は一足先に階段を登る。急いでいる雰囲気を醸し出すも、お婆ちゃんはゆっくりゆっくりと階段を一段ずつ登る。
「いやあ、ありがとうねぇ。この時代も捨てたものじゃないわねぇ」
「それじゃあ、急いでいるんで!」
振り返り窓の外を見た瞬間、お目当ての電車がゆっくりと発車していくのが目に映った。
「もう! 遅いってば! 写真撮る時間もないじゃない!」
「すまんすまん。ちょっと色々あったんだよ」
大学の門の前で待っていたのは茜だ。ちなみに茜は現役で合格したので俺の一つ先輩ということになる。今日は入学式に合わせて茜もスーツで大学に来ている。俺らは並んで少し早足で歩き出す。
「入学式終わったら、部活に来てくれるのよね?」
「ああ。でも、弱いんだろう?」
「そうなのよ! もう先輩たち全然やる気なくて……。航がなんとかしてちょうだいっ」
「ん~、荷が重いな~。つーか俺大学ではフェンシングする気あんまり無かったんだけど」
「何言っているのよ、ダメ! そんなの許さない! 今度こそ進と楓にぎゃふんと言わせてやるんだから!」
もちろん進と楓も現役で志望大学に合格した。そして同じ大学のフェンシング部に所属している。そんな訳で俺は大学でもフェンシングを続けることになりそうだ。
ウッドデッキの左右にいっぱいの桜が咲き誇り、視界一面を桃色に染める。
「なあ、茜」
「なあに?」
俺は茜の腕を取ると、一気に引き寄せ、抱きしめる。
「ちょっ! 航! みんな見てるってば!」
「知らない」
抵抗する茜をさらに強く、強く抱擁する。
「ありがとうな、俺を救ってくれて」
「ん……」
俺は茜の両肩を掴み、少し距離をとって顔だけを近づける。頬が赤く染まった茜も少しずつ近く。唇と唇が触れようとした瞬間、俺の耳によく知っている声が聞こえてきた。
「君達、熱くなるのは結構だが、もう少し誰もいないところにしないか?」
「げえっ! 進!?」
「何だ、その不吉なものでも見たかのような反応は」
目の前には進、その陰には両手で真っ赤な顔を抑え、指の隙間からこちらを見ている楓がいた。
「破廉恥ですっ……!!!」
「ち、違うの、楓! これは、その若気の至りっていうか! あの、その~」
「やめろ茜! 何だよ若気の至りって、全然弁明になってないだろ! むしろ急に恥ずかしくなってきたわ! つーかお前たちなんでここにいるんだよ!」
「僕たちの大学も今日は入学式だからね。講義はない」
「いや、部員の勧誘とか色々あるだろ!?」
「そんなことはどうでもいい。航のことだから浮かれているだろうなと思って来てみたら……、予想の斜め上をいく浮かれっぷりだよ」
「やめろぉ! これ以上掘り返すなぁ!!!」
「これからの茜が心配です……」
「茜、航の部屋に行く時には覚悟をしておいた方がいい」
「お前らぁ……、いい加減にしろぉ~~~!!!!!」
楽に生きることと楽しく生きることは違う。楽に生きたら、いつかその見返りが自分に帰ってくる。
努力は無駄にはならない、とはまだ俺には言えない。努力の仕方を間違えたら、もしかしたら無駄になることもあるかもしれない。でも、それを努力しない言い訳にしては駄目だ。何かを言い訳に努力しない奴は絶対にいつか痛い目をみる。それを俺は学んだ。
結局、今までの努力が無駄になるかどうかを決めるのはこれからの自分なんだ。努力を続けるか続けないかを決めるのは自分。でも、その努力の先に、もしも、どんなコストを費やしても得られない、かけがえの無いものを得ることができたなら、それが……、
「コスパ最強だろ」
コスパ最強フェンサー 完
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