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翌日の朝、俺はいつも通り登校した。定刻の五分前に席に着き、スマホをいじっていた。今日も日課のソシャゲ(ソーシャルネットゲーム)に興じる。ソシャゲなどはコスパが最も重要視されるものの一つだ。限られたリソースでいかに効率良く進めるか、どのタイミングでガチャを引くか。もちろん、その中には運の要素も多大に含まれるが、運の要素が含まれるからこそ自分の腕が試されると俺は思っている。
「(このキャラ、始めた最初の頃から使ってたけど、もう使わないな)」
愛着がないわけではない。だが、こいつを強化素材とした方が効果的だ。俺は強化ボタンを親指で押す。
ちょうどその時、後ろから聞き慣れた三人の声が耳に入ってきた。
「おはよう」
この声は進だ。そして茜の声も続く。俺はスマホの画面を消した。
「もう、また朝練来なかったわね」
湘安高校のフェンシング部には朝練が存在する。だが、俺はサボっているわけではない。自主練という形式なのだ。
「だから、言っているだろ? 朝練は効率悪いんだって。それよりも一時間睡眠を長く取った方がコスパ良いんだって。しかし、よくもまあ毎日同じやり取りに飽きないよな」
俺は半年前くらいは行っていたのだが、参加する部員は少なく、正直、朝練は大した練習はできない。
「ふふっ、茜は航と一緒に練習したいんですよ」
微笑む楓の言葉に茜は赤面する。
「楓! 余計なこと言わないでいいから!」
「それより進~。古文の課題見せてくれ~」
「まったく、たまには自分でやってきたらどうだい?」
小言を言いながらも、進は課題のプリントを渡してくれる。
「いやあのな、俺にも能力があればやってくるんだ」
できないものは仕方がない。できる人に頼るのが効率的だ。
「それ、酷く言い訳がましいですよ~」
「うるさいぞ、楓」
楓は丁寧な口調のくせにたまに毒を吐いてくる。
「ちゃんと放課後の部活は真面目にやっているだろ?それで勘弁してくれって」
「真面目?」
「………」
「うぉい」
そんな軽口で今日も平和な一日が始まる。
フェンシングには三種類の種目が存在する。それぞれ攻撃の有効面が異なったり、細かいルールの差がある。
一つ目がフルーレ。日本で最もポピュラーな種目であり、太田雄貴選手が北京五輪で銀メダルを獲得したのもこの種目だ。フェンシングの基本技術が集約されており、歴史的には剣術の練習用に作られたものだ。攻撃の有効面は頭部と四肢を除いた胴体の両面である。剣先に5N(ニュートン)の力が加わると審判キーが打突を判定する。
二つ目がエペ。歴史的に決闘用に作られた種目であり、ルールは至って簡単。相手のどの部位でも良いから、相手より早く突いた方が得点となる。剣先に7.5Nの力が加わると打突を判定し、両者が同時に打突した場合得点が入る。
三つ目がサーブルだ。サーブルは馬に乗って戦うことを模して作られた種目で、上半身全体が有効面となる。そして特徴的なルールは斬りが有効であること。フルーレとエペは剣先に一定以上の力が加わることで打突が判定されたが、サーブルは触れるだけで打突判定される。見た目としては最も派手であると言える。
四人が主としてやっている種目はフルーレだ。そして俺と茜がサーブル、進と楓がエペをやっている。基本的にエペはリーチが必要であり、サーブルはスピードが重要になってくるため、この選択は妥当だ。しかし、お互いに練習相手が必要なこともあって四人は一応全ての種目をこなすことができる。
「(朝練か……。そういえば、一年の頃は夜にも走り込みしてたっけな)」
朝の会話が脳裏をよぎる。だが、もう必要ないことだ。
俺は脚力に自信を持っている。そうでなければ、百七十センチない身長で戦っていくことはできない。今までの成績が、俺のやり方が正しいことを証明している。現に今も本当の意味で相手になるのは進だけだ。
「サンク、ザ、ドゥー(五対二)。ラッサンブレ、サリューエ」
「ねぇ、航」
話しかけて来たのは茜だ。下を向いて、どこかもじもじしている。ほんのり頬は赤らんでいる、ような気もする。
「どうした? トイレか?」
「違う! 女子になんてこと言うのよっ」
「すまんすまん。それでどうしたんだ?」
「えっと、良かったらレッスンとってくれないかなって」
レッスンとは二人組で一方が先生役としてフェンシングの基本動作の指導をするものだ。このように女子のレッスンを男子が取ることはそう珍しくはない。
「いいぞ~」
特に断る理由もない。しかし、茜の反応はやけに大袈裟だった。ぱあっと笑顔が広がり、声も少し高く変化する。
「ほんと⁉︎ じゃあすぐに剣とマスクとってくるから待っててっ!」
「別にそんな急がなくても……」
小刻みに跳ねながら走っていく茜の後ろ姿を眺める。
「(そう言えば、茜のレッスンを取るのも久しぶりか)」
俺は小柄な茜に親近感を覚えていた。かつてリーチの差に苦しんだ俺は脚力をつけ、剣の正確さを伸ばし、駆け引きを上手くなることでそのハンデを埋めた。だから、前はよく茜のレッスンを取り、なんとか勝てるように指導をしてきた。
だが、それほど効果は出なかった。女子には脚力には限界がある。リーチのある相手にどうしても勝てないのだ。また、茜は性格的にも技術的にも攻撃型だ。相手の攻撃を受けるのが得意ではない。守備は地道な練習で上達するとはいえ、センスも大事だ。
「まずはフェンデブー」
「はい!」
ファンデブーは後ろ足を大きく蹴り出す最も基本の攻撃動作だ。
「次、リポストな」
「はい!」
俺が剣を相手の胸めがけて真っ直ぐ突き出し、それを茜が剣で払い、俺の胸を突く。
「コントルリポスト」
「はい!」
今度は茜が突き出した剣を俺が払い、もう一度茜が払い、突く。
「リポストリガジェ」
今度は俺が払おうとしたところで茜が剣先を下げて躱す。そして俺の腕の間から胸を突く。
「うん。だいぶ上手くなったな」
「ほんと⁉︎」
実際、茜はかなり成長していた。剣の軌道に無駄が減り、剣先も安定している。地道な練習で正確さは高まる。
ただ、楓とはキレが違う。まあインターハイでトップクラスの選手と比較するのは酷な話だ。今も試合中の楓は男子部員相手に五点目を上げていた。
「でも、まあ俺らはリーチがないからな。何とかスピードで補うしかない。あとは、そうだな。ドゥゼーム(腕引き突き)の練習をしてもいいんじゃないか?」
ドゥゼームは両者の打突が決まらず、間合いが近くなった時に、腕を後ろまで大きく引いて突くことを指す。この時にはリーチの差はあまりない。
「なるほどね。少し練習してみようかな」
別に高校の部活程度で周りと比較する必要はない。俺も大学以降フェンシングをやっていくつもりはない。ただ、今のところ楽しめるからやっているだけ。それ以上もそれ以下もない。
練習が終わる三十分前になったので、今日も俺はクールダウンを始めた。
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