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翌日、時間ギリギリの電車に乗っていた俺は、駆け足で電車から降りる。しかし、目の前の小さな階段には、少し人だかりができていて通行を阻まれた。
「(何してんだよ)」
どうやら、大きい荷物を持ったお婆ちゃんが階段をゆっくり登っているようだ。そのため階段の三分の一が使えない。
「 (そんな大荷物持ってるなら、エレベーター使えっての)」
その方が自分の為にも、周りにとっても合理的だ。俺は内心イライラしながら、お婆ちゃんの右を駆け抜けた。
授業中、居眠りしていた俺は英語教師に当てられた。
「渡邊、ここのthemはどこの言い換えだ?」
「えっ……」
俺は必死に視線を走らせるが分からない。その時、左隣の楓がノートを寄せる。そこには『people who are searching endangered species in the world』の文字があった。
「ええと、people who are searching endangered species in the world?」
「うむ、正解だ」
俺は楓に感謝を示し両手を合わせると、楓は少し呆れたようににこりと笑った。
「サンク、ザ、トロワ(五対三)。ラッサンブレ、サリューエ」
マスクを外し、挨拶をする。相手の選手が俺の元に駆け寄り、指導を乞う。
「アドバイスお願いします」
「修吾、最後のは何を狙ったんだ?」
「えっと……、何となくいけそうな気がしたんですけど」
「何となくでプレーをするな。せめてどんな意図があるのかははっきりさせろよ」
「はい、そうですよね」
「あれはもう少し剣を前に出したら多分反応する。それなら相手に隙ができると思うから、ローに飛び込めばいいんじゃないか?」
「なるほど」
「とにかくフェンシングは常に思考を止めちゃダメだ」
「はい、ありがとうございました!」
今、俺が指導をしていたのは後輩の斎藤修吾(さいとうしゅうご)だ。黒髪の短髪で、身長は俺よりも高く百七十五センチある。一年の中では一番見所のある選手で、攻撃のバリエーションが豊富な攻撃型。練習熱心のため、来年の部長になるのではないかと期待している。
「航は教え方が上手いね」
「そんなことねぇよ」
今の試合の審判をしてくれていたのが、石田直也(いしだなおや)。真面目さが取り柄の同じ二年だ。メガネが特徴的で、身長は俺とほぼ変わらず体の線は細い。
「僕ともファイティングいいかな?」
「もちろんだ」
直也は団体メンバーの三人目だ。だが、秋の大会では直也自身に勝利はない。
団体戦の形式は三対三で総当たり戦を決められた順番で行い、最大九試合で五勝した方が勝利となる。秋の団体戦では、俺と進で全ての勝利を上げていた。
直也の弱点は思い切りのなさと勝負弱さ。そして圧倒的な武器がないことだ。直也は典型的な器用貧乏だ。何でもできるが決め手がない。勝負所では自分の一番の武器で勝負するべきだが、そこで勝負できる技がないのだ。
この試合も四対四になった。直也の実力はどんどん上がっている。俺がここまで追い詰められることは珍しかった。だが、これくらいで動揺していたら、試合には勝てない。
得点の方法は対照的で、俺がリポスト(反撃)三本、コントルアタック(カウンター)一本という守備中の得点なのに対し、直也はアタック、リポスト、コントルアタック、ドゥゼーム(両者が密接した時の得点)が一本ずつで全て異なっていた。
「プレ、アレ(始め)!」
最後の一本、直也がどう攻めるか悩んでいる隙に、俺は攻撃に出る。意表を突かれた直也は反撃のリポストを放った。
だが、それは俺の作戦通りだった。直也のリポストを俺は巻き上げ、相手の剣は高らかに跳ね上げられる。リポストをさらにリポストするコントルリポストが完璧に決まり、俺は勝利した。
「サンク、ザ、キャトル(五対四)。ラッサンブレ、サリューエ」
直也の弱点が見える試合にはなった。だが、俺は正直直也の成長に焦りも感じた。全ての技術が向上しているように感じられたからだ。
そして俺は今日も練習の終わる三十分前にクールダウンを始める。
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