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二章 跳躍と困惑
二章 跳躍と困惑
その週の日曜日、練習は午前で終わった。なんでも、午後からはサッカー部の試合があるらしい。俺は久しぶりの余暇を家で満喫しようと思っていた。しかし、野球ばかりの高校生活を過ごしてきた俺はいざ暇になってもなることが思いつかず、結局溜まっていた宿題に手をつけることにした。
宿題が終わったのは六時前。始めたのが三時だから三時間近くやったことになる。ふとスマホを手に取ると、そこには三件の着信があった。全て同じ相手、マネージャーの夏樹だった。
『もしもし、夏樹?』
『あ、先輩……』
その声にいつもの元気はなかった。
『どうしたんだ?』
『えっと……、相談があって……』
彼女の普段とは異なる様子に、俺は既に動き出していた。
『今、どこにいる?』
『えっと、茅ヶ崎の海岸ですけど』
『じゃあ、ちょっと待っててくれ。俺もすぐ行くから』
自転車をかっ飛ばして、海岸に向かった。五月ということもあり、海辺の潮風も幾分か気持ちよく感じられる。駅からまっすぐに海へ向かう道の突き当たりに夏樹はいた。砂浜へ降りるための階段に体育座りのように膝を抱えて座っている。
「ちょっと冷えるだろ」
家から持ってきたブランケットを夏樹にかけた。
「優しいんですね」
「知らなかったのか?」
そんな軽口を叩いて、夏樹の隣に座る。少しの間の沈黙の後で、夏樹がゆっくりと口を開いた。
「私、哲哉先輩に告白されちゃって……」
俺は驚いた様子を悟られないように必死に隠した。
「翔先輩は知ってたんですか?」
「いや、知らなかったよ。あいつ、結構嘘が上手いからな。で、相談っていうのは――」
「はい、どうやったらわだかまりなく断れるかな、と」
その質問は俺を困らせた。先輩の告白を断るのは、どうしても気まずい。答えは簡単に浮かんで来なかった。夏樹は苦笑いを浮かべて頬をかいた。
「いや~、迂闊でした。一緒に帰ろうって言われて、そのまま映画館に連れていってくれたんです。そこまでは良かったんですけど、まさか告白までされてしまうとは思いませんでした」
「哲哉のことは、どう思っているんだ?」
「う~ん。あの人、普段おちゃらけているように見えて、実は結構自尊心強いですよね。その割にメンタルが打たれ弱いというか。付き合うと大変そうかなーって」
夏樹は声の大きさを少し落として、独り言のように呟いた。
「チームに迷惑かけたくないなぁ。せっかく今年は甲子園狙えるチャンスなのに。私のせいでチームの雰囲気が悪くなったら……」
「分かった」
夏樹は俺の表情を覗いた。俺は真剣な瞳で夏樹を見つめる。
「俺に任せろ」
にっと口角を上げると、目をつぶって集中した。そして、ごく小さな声でそっと呟いた。
「タイムリープ、七時間」
チクリと針に刺されたような痛みが心臓に走った。七時間ならばそのくらいの痛みだ。初めはかなり不快感があったが、慣れるとこの程度ならば問題はない。半日、つまり十二時間を超えてくると、結構きつくなる。
目を開くと、そこは砂埃が立ち上るいつものグラウンドだ。グラウンドではサッカー部のアップの声が飛び交っている。野球部はグラウンド整備の最中だ。
夏樹を探してみるが、見つからない。おそらく水分補給用のジャグを洗いに行っているのだろうと予想し、水道へ小走りで向かう。
ちょうど哲哉が水道の脇にあるトイレから出てくるところだった。俺は一足先に声をかける。
「夏樹」
「はいっ」
パッと振り返った夏樹は次の言葉を待っている。だが、そこで俺は止まってしまう。
「(やばい。なんて言うか考えていなかった……)」
その間にも哲哉はこちらに歩いてきている。俺は必死に頭を回転させて次の言葉を絞り出した。
「今日俺と一緒に帰るぞ」
『違う!』と心の中で自分にツッコんだ。これではただ夏樹と一緒に帰りたいだけみたいだ。それ以前になんだこのオラオラ系は。哲哉にも聞こえていただろうし、すぐに弁明しなければと次の言葉をひねり出す。
「買い出し、そう、買い出しについてこい!」
そしてまだオラオラ系が治っていない。
「あれ、何か必要なものありましたっけ?」
沈黙。
「……ないな」
俺は慌てて次の言葉を探すが見つからない。その様子を見た夏樹がにやにやと笑みを浮かべる。
「もしかして翔先輩、私と一緒に帰りたいだけですか~。なるほど、ようやく私の魅力に気がついたということですね」
「そうだ! タピオカだ! タピオカ屋のコーヒーを飲みに行くぞ!」
「苦しい言い訳ですね~。普通に『今日一緒に帰ろうぜ、キラッ』ってスマートに誘ってくださればいいのに~」
なんだ、そんなに簡単なことだったのか。俺は真っ赤に染まった顔を隠すように後ろを向いた。
「タイムリープ・一分」
そして再び夏樹の元へ歩み寄る。奥からはやはり哲哉が近づいてきていた。
「夏樹」
「はいっ」
「今日一緒に帰ろうぜ、キラッ」
「先輩何言っているんですか。気持ち悪いですよ」
「おい、このやろう」
なんとか一緒に帰ることになった二人は藤沢駅のホームにいた。小田急線の改札から出て、石でできた階段を上る。駅の喧騒の中でも声が届くように、夏樹はやや大きめの声で話しかけた。
「で、今日はどういうわけなんですか?」
俺はその質問が来ると思い、ここに来るまでずっと返答を考えていた。まさか未来から戻ってきたなんて言うことは出来ない。というか信じるはずもない。俺は諦め半分の気持ちで答えることにしていた。
「いや、夏樹と二人で遊ぶことってなかっただろ? 俺の引退も近いし、こういうのもいいかなーって思ったんだけど、迷惑だったか?」
まあ、迷惑であっても今日は付き合ってもらう予定だったが、というのは心の内にしまっておく。だが、夏樹の反応は少し予想外のものだった。ぽかんと口を開いて硬直したのち、ぷいとそっぽを向いては小さな声でごにょごにょとしていた。
「きゅっ、急にどうしたんですか。別に迷惑ってわけではありませんし……、私も少し嬉しいというか」
「ん、よく聞こえない」
「なんでもありません! 大体、甲子園に行くんですから、先輩の引退はまだまだ先ですよ!」
その頬は朱に染まっていた。そして俺は小さく微笑んだ。
「だな」
二人は最初に、駅ビルの中の雑貨屋を訪れた。大小様々な雑貨が所狭しと綺麗に陳列されている。俺は夏樹に促されるままに付いていくだけだ。
「女子って本当に雑貨が好きだよな。なんで?」
「なんでって……。可愛いじゃないですか」
「ふ~ん」
目の前には小さなカエルの置物があった。確かに見た目は可愛らしい。
「これは何かの収納グッズか?」
俺はそれをくるくる回して確認したが、そのような穴はどこにも見当たらなかった。
「いや、ただの置物ですよ」
呆れた目と口調の夏樹。
「なるほど。可愛いは正義ってことだな」
そこで俺はあることを思い出していた。
「もうすぐ愛香の誕生日なんだよな。なんかオススメのものとかない?」
若干夏樹の表情が曇ったような気がしたが、至って普通に話を続けた。
「愛香さんに毎年誕生日プレゼントあげているんですか?」
「まあ、毎年くれるし。この間も貰ったんだよ、これ」
俺はポケットからスマートフォンを取り出す。紺色の手帳型スマホカバーだ。汚れひとつなく、新しいものだということはすぐに分かる。
「あ~、最近変わったなって思ってたんですよ」
「まあ、別に高いものじゃなくていいから何か返さないとな~と思って」
そして俺は商品の物色を再開した。
「愛香さんって不思議な人ですよね」
「そうか?」
「はい。見た目が綺麗でなんでも出来るし、面倒見も良いので普段はすごく大人っぽいんですけど、意外なところで子供っぽさもあるというか。いや、むしろ普段の方が頑張って繕っている感じですかね。本当はもっと幼くて可愛らしい人のような気がします。それに意外と予定外の事態に弱くてすぐテンパりますよね」
「お前、結構他人のことをよく見ているんだな」
俺は嘆息した。哲哉のことと言い、俺は夏樹の言葉に共感出来た。きっと夏樹は人の内面を見抜く力が優れているのだろう。その時、一つの質問が俺の心の中で巡っていた。
それからは服を見たりした。実際に試着もしてみた。流石にハットの帽子は似合わなくて夏樹に大笑いされたが。サングラスに関しては意外と好評だった。
そして二人はタピオカ屋さんへ入った。そこでコーヒーを頼むという暴挙に出たが、他にもコーヒーカップを持っている客はいて、やはり人気はあるらしい。実際に飲んでみると、確かに香り高く、芳醇な甘味と渋い苦味が見事に調和していた。
「いや~結構遊びましたね~」
時間は午後五時を過ぎていた。もう哲哉の告白は回避したと言っても良いだろう。珍しく午前練が入ったが、これからはずっと一日練だ。平日を含め、練習が終わるのは夜になるので、告白する機会はあまりないだろう。これでしばらく部内の空気が悪くなることはない。
俺は胸に引っかかっていた質問を吐き出すことにした。
「なあ、夏樹。お前の目に俺はどう映っているんだ?」
夏樹は息を飲み込んだ。それにつられて背中は冷や汗でじんわりと湿っていた。
「自分が正しいことをしているのか悩んでいますか?」
心臓が跳ねそうになった。
「翔先輩は信頼に値するとても良い人です。これは心の底から言えます。だからこそ、自分が正しいのかか時々不安になっている」
そうだ。タイムリープを使っている自分は正しいのか。それを俺はいつも自分に問いかけている。
犯罪に使ったことは一度たりともない。他人に迷惑をかける使い方は、絶対にしたくないと思っていた。だが高校入試の時、俺が能力を使って合格したことで、誰か一人が不合格になっている。既にその人の人生を捻じ曲げてしまっている。夏の大会で俺が相手打線を抑え込むことによって湘安高校が勝ち、相手の引退を早めてしまう。話が飛躍し過ぎかもしれないが、もしかしたらプロに入れる人が入れなくなるかもしれない。相手の努力を踏みにじる行為かもしれない。
苦悩するには、それだけで充分だった。
「――先輩、聞いてます?」
はっと夏樹の顔を見ると、目を細めて俺の顔を覗き込んでいた。
「悪い、なんだって?」
夏樹は口をへの字に曲げてから、不満そうに答えた。
「だから、そんな先輩でも、私はそれなりに尊敬しているって話ですよ」
「ありがとうな。俺もお前みたいな後輩がいてくれて嬉しいよ」
夏樹が一瞬固まる。
「今日の先輩、ちょっと変ですね。変なもの飲みました?」
くすくすと笑いだす夏樹。その屈託のない笑顔に、少なくとも今回は能力を使って良かったと思えた。
「この後どうしますか? カラオケとか行っちゃいます?」
「カラオケは……、勘弁してくれ」
「そういえば先輩美術選択でしたよね……。あ~先輩の歌めっちゃ気になる~!」
結局この日はそれで解散した。
そして俺は終わらせたはずの宿題の存在を完全に忘れていたため、翌日タイムリープを使わざるを得ないのだった。
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