63人が本棚に入れています
本棚に追加
/170ページ
うつり木 21 役割り
半袖ででも良いぐらいの暑さの中、沙織は右肩に掛けている皮の黒い鞄の重さでフラフラしていた。その重さはこれから起こる対峙する力に対してなのか、恐怖からなのか。
こんな時彼女は自分の力不足を痛感する。
弾き飛ばされたあの時悟がいなかったら今自分は生きていないかもしれない。
半地下の喫茶店に入ると冷房が効いており、少しほっとする。先に着いていた悟が軽く手を上げた。曖昧な笑顔で席に着く。
「大丈夫ですか」人を安心させる、そんな力が彼の声にはある。
緊張からか頷くのが精一杯だった。
悟はアイスコーヒー、沙織はオレンジジュースを頼み暫く無言で飲んでいた。
悟がゆっくりと口を開いた。「これから水川さんに会いに行こうと思う。それから各々の役割りを決め怪異に対峙したいと」
そこで言葉を切った。思わず沙織が顔を上げ彼の顔を見ると、奥の方に視線を送っている。沙織が何かを言いかけた時悟が静かに人差し指を口に当てる。それから声を出さずに何かを唱えた。「パリン」何かが割れる音。
「きゃー」沙織は思わず振り向いた。慌てて頭を下げる店員。床に二つに割れたグラスが転がっていた。何が起きたのか訳が分からず顔が引きつる。悟が小さな声で「あれが私達を見ていました。どうやらあそこにある観葉植物に干渉し近くにあったコップの水を通して」怖気が走る。植物、水、見ていた。頭の中で言葉がくるくると回っている。
「大丈夫です、払いました」何事もなかったかの様にアイスコーヒーを飲み干し「さあ行きますよ」慌てて沙織はオレンジジュースを流し込む。駅まで歩く途中で悟は説明してくれた。「あれ」は地中に根を張り、それを触手の様に使い感じるのだと。自分を攻撃したり近寄ったりする物の気配を。沙織は思わず口にする。「あの木からここまではだいぶ離れているけど、そんな事ができるのですか」
悟はゆっくりと沙織の顔を見て言った。
「怪異とは私達の常識を越えた向こうにあるものだから」
汗がスーッと引いていくのを感じながら、鞄を持つ手に力が入った。
そして沙織の心を見透かす様に「危ないと感じたら逃げて下さい。あれは思った以上に危険です、だけど攻撃範囲も決まっている様です。だから今回は別の植物と水を使い攻撃出来ずに見ていたのでしょう」
悟の冷静な分析力に感心しながらも、心の中で「逃げるものか、人の命をもて遊ぶあれを許すことなどできない」そう固く誓った。
最初のコメントを投稿しよう!