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うつり木32 志
あの喫茶店で悟と沙織は互いの目を見て時々頷き、笑い、手を繋いだりしていた。
あれから三月経つ。まるで昨日の様に思い出される。弾かれながら見た彼の笑顔を。
警察上層部は誤って工事業者がガス管に触れて爆発を起こしたと発表した。
勿論真実を知る者には閉口令が敷かれた。
幹が呑まれた穴には悟と沙織がお札をビッシリと貼り付け、新たな結界を張り。その周りに立ち入り禁止の看板を警察が立てる。
その時穴に向かい何度か水川の名を呼んだ。
悟も沙織も泣きながら。
あの戦いで悟の右手、沙織の左足に新たな傷が刻まれた。
でも二人とも生きてここにいる。
二人は知っていた、術師同士は恋愛に落ちてはいけない、何故なら祓う時に迷いが生じるからだ。それは死に直結する。
悟の携帯が鳴る、警察庁からだ。手短に要件を話す。
「行くね」側から見れば付き合ってる二人が楽しく過ごしサヨナラをする。そう見えるだろう。だが実際は命を賭して「邪」を祓いに向かう。席を離れる瞬間に沙織が強く手を握る。彼女は心の中で「生きてね、生きてまた会おうね」と念じた。
喫茶店を出ると蝉の鳴き声が聞こえる。
「さあ来いよ、俺はここにいる。お前がどんなに邪悪でも祓う。父さんと水川さんから引き継いだこの力で」
駅の改札に向かう時「ポン」と肩を叩かれた気がした。慌てて振り返るが誰もいない。
「行ってくるね」そう言いながら階段を駆け上る彼には一点の迷いもなかった。
更に逞しくなったその肩に何人の命が乗っているのか…
それは新たに始まる祓いにかかっている。
沙織は残ったオレンジジュースを飲み干すと、悟が会計を済ましていることに驚きそして少し頬を赤らめた。
「行ってらっしゃい悟さん」
彼女は麦わらを深く被ると強く口を結び、そして静かに唱えた。「恩」と。
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