その図書館を仕切るのは、少年司書

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その図書館を仕切るのは、少年司書

辺りはもうずっと、ミルクのような霧に覆われている。 どのくらい歩いただろう。 時間の感覚までもが曖昧になっている。 まとわりつく寒さに半袖から伸びた両腕をさすった。 スマホの画面には、あいかわらず圏外の文字。その隣に立つ充電残量も残り少ない。何度試しても起動しない地図アプリにさえ見放されている。 そういう場所にいるのだと実感するたび、落ち込んだ。 どこに行ったの、鷹翔(たかと)、と誰に聞かせるでもなく呟く。 スマホの画面には、こよりと顔を寄せ合って笑みを浮かべた彼氏の鷹翔が写っている。 遊園地の観覧車の中で撮ったお気に入りの写真。これがほんの2ヶ月前。ずっと2人でいようねと約束したはずなのに、それがあっさり破られるなんて。 2人の顔が歪みかけて、慌てて鼻をすすった。ここで泣いたら必死で抑え込んできた不安と恐怖に囚われてしまう。足の痛みにも耐えられなくなって、この場所から一歩も動けなくなる気がする。 ――霧が出てきたら、その霧の中をただまっすぐ歩いて。 こよりにここを教えてくれた誰かは、さらに言った。 ――その霧は普通の霧じゃない、諦めたら最後、君はその霧の中を永遠にさまようことになるよ。 「ほんっと、ありえないから」 自分を励ますように声にして、スマホのメモを見た。 自動筆記図書館。 家出なのかも、事件に巻き込まれたのかも、その単語だけを意味ありげに残して消えた鷹翔。 図書館とあったから、当然どこかにあると思ったのに、家族も友達も誰も知らなかった。インターネットでもひっかからず、探しに探して、知ってるという人を見つけたのは登録制のSNS。 ――白い霧はみんな受け入れるわけじゃないから、現れるかどうかもわからないよ。でも見つけたら、もう一歩だよ。 だから、この霧を抜けられればきっとたどりつくはずだ。 自動筆記図書館って、なんなの? ――人生をやりなおせる、特別な図書館だよ。 そこに鷹翔がいるかもしれない。 本人がいなくても、手がかりが残されているかもしれない。 だから歩くのをやめたらいけない。 実際、スマホの電源が切れたらGPS機能も切れ、他に連絡もとれないこよりは、この乳白色の霧の中で永遠にさまよい続けることになる。 そう考えるとゾッとして、無心で足を動かし続けた。 草を踏んでいるような足元の感触はずっと変わらない。 人も、虫や動物や生き物の気配さえもない。 カリカリ……。 はじめは、自分の靴音がなにかに擦れているのかと思った。 カリカリカリカリ。 何かをしきりに引っ掻くような音。 違う、自分の足元からじゃない。 霧のどこかから。 自然と耳を澄ませた。 まるで、いろんな方向にいろんな速さで動き回っている無数のムカデが近くにいるかのような。 ぶわっと全身が総毛立った。 きゅっと全身が縮こまり、両腕を思い切り上下に擦った。 「やだやだやだ、なんの音?」 カリカリカリカリカリカリ。 息を殺して忍び足で霧の中を探った。 怖い。音の正体に見つかったら、食い殺されそうな気がする。 そう思った瞬間、足がこよりの意に反して来た道を戻りかけ、慌ててぐっと堪えた。 ――戻ろうとすると、目的地は閉ざされてしまうよ。 そう、親切な人は繰り返し言っていた。 無理に深呼吸して気持ちを整える。 カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ。 音はますます大きくなっている気がする。 耳を塞いだ。 カリカリカリカリと、音が、いや、ムカデの大群がこよりを取り囲む。 指の隙間から、何重にもなって音が入り込んでくるみたいで、走り出した。 耐えられない。叫びだしそうになった時、霧の向こうに何かが見えた。 ただ乳白色の濃淡だけだった中にかすかに灰色がかった部分がある。 まとわりつく霧を振り切って駆け抜けたその先。 足の裏から伝わる感触が変わった。 固い。 うっすら漂う白い霧の下、人の誰もいない石畳が伸びていた。 そしてその石畳の突き当りに、それはあった。 荒い息をつきながら、こよりは歩くスピードを緩め、目の前の暗い雲の色をした石造りの建造物を見上げた。 ……見つけた。
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