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清美にただ、褒めてもらいたかっただけだった。彼女の趣味を、一緒に楽しみたいだけだった。
けれど私が漫画家になったことで、まるで清美の夢を私が食べてしまったように思えたのだ。
「……戻らなきゃ」
私は涙をぬぐって、個室を出た。トイレのすぐ外の廊下に出たとき、何時も1人はいるはずの看護師さんが、ナースステーションの中にいないことに気が付いた。珍しい、そう思いながら、清美のいる個室へ向かう。
「酸素10L!」
「清美ちゃん! 大丈夫だからね!」
「親御さんに連絡を」
慌ただしい声。私の足が、止まる。その慌ただしさは、言葉は、私が最悪の事態を想像するに十分だった。
立ち尽くす私に、何時も優しい声をかけてくれた、一番若い看護師さんがハッとした。先輩看護師に小さく囁いた彼女が、硬い表情で頷いてこちらへ来る。
「雪さん」
「清美、どうしたんですか。さっきまで、私、話してたけど、あの、トイレに行って」
「うん。うん。分かっている、私も見ていた、みんな見ていたわ」
「っ、きよちゃん!」
居ても立っても居られなくなり、私は飛びつくように部屋に入る。清美は真っ白い顔をして、必死に呼吸を繰り返していた。ナースコールを握り締めていて、その指はぶるぶると震えている。
「きよちゃん!!」
私が叫ぶ。清美が、ゆっくりと目を開けた。
「ゆきちゃん」
「きよちゃんっ! 漫画っ! 続きをっ!」
続きを教えて。
貴女が書きたかった、あなたの世界を、どうか教えて。
「うん。続き、待ってるよ……」
黒い靄が、私と清美の足元に渦巻いているようだった。清美の右上にある黒いモニターに、緑の線がたくさん、バラバラになりながら揺れている。口元に着けられたマスクは白く煙っていて、だけどちっともそれが、清美の中に入っていかない。薄い胸板、落ちくぼんだ眼、その中でも変わらない優しい笑顔が私を切り刻む。
「……雪ちゃんの漫画、私、もっと、読みたいな」
清美が、綺麗に笑った。その口が、息を吐きだすだけ吐き出していく。
私は、清美の世界で、清美のヒーローだった。でも私は、私の世界で、この上ない悪役だ。
吠えるように、私は泣く。嫌いだ、大嫌いだ、私の漫画など大嫌いだ。
きっとこの先、清美の死さえも織り込んで、雪ちゃんと呼んだ彼女の声を紡ぐように、私の漫画は作られていくんだろう。
そんな想像が、ありありと、そこに浮かんでいた。閉じていく眼の、消えていく命の、その全てが何時か、私自身の創造の糧になってしまうのだろう。
「きよちゃん」
彼女が描きたかった世界さえ飲み込んで、私は明日も、立たねばならない。
この世界に、明日に、昨日に、そして今日に。
だけど私はきっと、その悲しみを表す方法を、やはり漫画しか持ちえないのだ。
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