腕食い漫画家

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 腕。  それは、人間の肩から手までのことを指す言葉。 「一度でいいから、好きなだけ漫画が描きたいなぁ」  ベッドに横たわり、右腕に点滴を受けながら、友人である清美がつぶやいた。長引く入院生活、むくむ体。彼女の余命は、あと3ヵ月と言われている。 「どんな漫画?」 「少女漫画! でもね、恋愛系じゃなくて、かっこいい魔女が困っている人たちを助けるの。だけど力が強くて恐れられて、次第に周囲から孤立していく。それでも、関わることを諦められなくてね……」  楽しそうに語る清美の顔は、明るい。机の上の無地ノートには、彼女の絵がいっぱいに描かれている。  だけどその線は、どれもふにゃふにゃに曲がり、ひねくれ、縮れていた。清美の手には、麻痺がある。病気の影響で、満足に動かせない。手に向かって、あと少し動いて、と呟きながら、いつも額に汗を浮かべて描いていた。  その絵が、私には、とてつもなく美しく思えた。 「素敵な漫画だと思うよ」 「ありがとう! そうだ、これ!」  彼女は、スマートフォンを顎先で示す。きらきらと、一片の曇りもない目が、私を見る。 「雪ちゃんの漫画! 読んだよ! びっくりしちゃった、漫画アプリ開いたら、突然出てきて……凄いイイネついてたよ!」 「……バレちゃった?」  声が震えた。 「バレるよぉ! もう、言ってよね!」  にっこりと、彼女は笑う。一片の曇りもない笑顔が、私を貫く。 「私に気を使ってくれたんだよね。大丈夫。……それより、嬉しかったの。すっごく、うれしかった!」  彼女の目に、涙が浮かんでいた。本当に救われたと言いたげな、千手観音像のような、人知を超えた笑みだった。 「私も、高校生の私も漫画家になれるかもって、初めて思えた。信じられたんだもの」 「……ごめんね」 「雪ちゃん? え、な、泣かないでよぉ、雪ちゃん? ねぇ」  私は無理やり、笑顔を作った。 「ごめんね、きよちゃん」 「雪ちゃん?」 「ちょっと、目、冷やしてくる」 「あ、そうだよね。いってきて、大丈夫! ナースコール手元にあるし!」  にこにこと笑う……きよちゃんから離れる。私は迷わず、トイレへ向かった。個室にこもり、自分の腕を噛んで、泣き声をこらえた。  そうだ。  私は今、漫画家になった。もうじき、初めての単行本が出る。  だけど私は、私自身の絵が大嫌いだ。大嫌いなのに、人は私の絵を、好きだという。清美は私の絵が、綺麗だという。  そんなものじゃない。 (どうして……)  彼女……清美に会ったのは、小学生の時だった。  絵が大好きな彼女は、たくさんのコンクールで入賞するような、期待の星だった。一方の私は、いじめられるような暗い顔をした存在でしかなかった。  だけど彼女だけが、私の絵を褒めてくれた。私の存在を、否定しなかった。私の隣で、一緒に笑ってくれた。 「きよちゃん、これ見て。昨日描いたの」 「えっ、凄い! 綺麗な絵……!」  私は清美に褒めてもらいたくて、清美が好きな漫画に近づこうと努力した。一方で彼女は、自分だけの絵を求め続けた。  決して追いつけない、だけど、太陽のように輝いているからこそいつでもそばに寄り添ってくれる。彼女は、そんな存在だった。  でも中学生の時、清美の腕は突然、動くことを諦め始めた。  発見が早いから治るはず、そう信じて行われた治療は、彼女が成長するのと同じように育つガンに、叶わなかった。気が付いたときには、彼女の体中にガンが転移して……もう余命は少ししかない。  一方、私は、漫画を作ることを始めた。最初は彼女が描きたがっていた漫画というものに、チャレンジしたかっただけだった。でもすればするほどのめりこみ、気が付くとそれを、誰かに見てもらいたいという欲求が生まれていた。  だけど、いじめられた経験から、学校内で見せることはできなかった。  そこで、ネットサイトにアップしたところ、次第に読んでくれる人が出始めた。気が付くと、私は『神絵師』と呼ばれ、出版社からも話が来るようになった。漫画家になれる! そう気が付いたとき、私は……。  私は、愕然とした。  
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