憎悪論

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※ ※ ※ 私は暗闇の中で、いつもよりも緊張していた。何といっても今日の主役は私なのだ。いや、正確に言えば私の旦那が主役だ。私の嫌いな旦那が、その集会で憎悪の対象になる。それは素晴らしい経験なのだと、広瀬さんは力説した。 いつものように、不快な音と、不快な映像とを前座にして、遂に私の旦那の顔がスクリーンに映る。 「間抜け!鈍臭さ!地蔵男!消えちまえ!」 怒号が会場を包む。広瀬さんも遠慮なく叫んでいるみたいだ。私も憎悪に満ちた空気を大きく吸って、そしてそのまま吐き出そうとした。 しかし、空気は思いもかけず喉の奥に絡まって、そして私は噎せてしまう。私は床を向くかたちになって、そして目から涙が溢れてくるのに気付いた。下を向くと、頭の上から人々の憎悪が覆い被さってくる。私は訳が分からなくなって、そして叫んだ。 「止めて下さい!止めてよ!何も知らないくせに!止めてってば!」 身体が勝手に動いて、人混みを掻き分けた。スクリーンに映る旦那の顔が近づいてくる。吐き気のするほど嫌いな顔だ。そうだ、旦那のことを最も嫌っているのは私なのだ。他の誰にだって、中途半端に旦那を誹謗中傷して欲しくない。映写機の光が私を照らすと、私は旦那と1つになって、会場の憎悪を切り刻まれた。 「旦那を嫌いなのは私だ!」 暗闇にとぐろを巻く憎悪。息が詰まる。会場は目に見えぬ人々の怒号と、スピーカーから流れる金属音で騒然とした。それでも私は叫び続けた。私の声はもはや私の耳にも届かない。 「嫌い!嫌い!嫌い!」 そしてついに私は意識を失った。
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