夏思いが咲く

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「ねえ、ユズル」  先輩は譲の隣に腰を下ろす。  譲は顔が熱くなるのがわかった。熱中症かもしれない。 「ユズルが描いているのは、野菜の花だよね」 「そうです」  園芸委員会の花壇で育てられている野菜達は、背の高い雑草にも照りつける太陽にも負けず、生き生きと枝葉を伸ばしている。  譲が描いているのは、ズッキーニの花だ。  花のコンテストの作品に、野菜の花なんて変かもしれない。でも、譲はこの花に強く惹かれた。  玉子の黄身のような黄色い花が2輪。 「綺麗な黄色の花だね」  園芸委員会の野菜なのに、譲は自分のセンスを褒められた気がして嬉しくなった。 「でも、ひとつも実がなってないんです」 「そうだろうね。受粉させてないもの」  受粉。先輩は、あっさり言ってしまった。  理科の授業で習うそのフレーズは、譲の周りでは禁句なのに。 「ズッキーニには雄花(おばな)雌花(めばな)があって、人の手で受粉させなくちゃ駄目なんだよ」 「先輩、いかがわしいですよ」 「いかがわしいのは、ユズルの思考回路(あたま)だよ」  テニス部の軟式ボールとラケットの音が、遠くから聞こえる。吹奏楽の演奏も、熱い微風に乗ってやってくる。近くの教室で、男の先生が声を張り上げている。国語の補習授業が行われているようだ。あれは、今年の春に赴任したばかりの、男の先生だ。  譲は鉛筆を動かして画板の画用紙に花をスケッチする。  先輩はお構いなしに花に近づき、白魚のような手で花に触れる。 「これ、雄花(おばな)同士だ」 「雄花同士ってことは、男同士ってことですか?」 「そうだね。受粉できないや」 「絵を描くには関係ないですよ」 「ユズル、つれない」  先輩は、再び譲の隣に腰を下ろす。  炎天下なのに、先輩は汗をかいていないように、譲には見えた。 「なぜ、タイミング良く咲けなかったんだろう」  先輩は、ほろりと呟いた。 「雄花と雌花が一輪ずつ咲いたら、受粉できて、実も成長するのに」  先輩は口を閉ざし、あろうことか譲にもたれかかった。  譲はスケッチが進まず、鉛筆を持つ手を止めた。  アブラゼミが、かん高い音で鳴く。  テニス部の顧問の先生が、裏返った声で怒鳴る。  トランペットが音を外し、演奏が止まる。  国語の先生は、持ち味のバリトンボイスで、(よど)みなく古文を読み上げる。  先輩は譲の肩に頭を預け、目をつむった。  譲の汗が染み込んだ体操着を、真っ白なカッターシャツが撫でる。  先輩の黒いスラックスが、汗びっしょりの譲の大腿に触れる。  胸が高鳴る譲をよそに、先輩は柔らかいテノールボイスで古文を(そら)んじ始めた。  教室から聞こえるバリトンボイスと、隣のテノールボイスが、歌のように重なる。  ズッキーニの雄花2輪は、寄り添うように葉の陰に(たたず)む。  譲は、強く目をつむった。汗が目に入り、ひりひりと痛い。  なぜ自分は、先輩にこんな気持ちを抱いてしまったのだろう。  雄花同士は結ばれることがないのに。  こんなに近くにいるのに、先輩は譲など眼中にない。彼の意識は、補講を行っている国語の先生の(そば)にいる。  雄花はどんなに思って咲いても、雄花と実ることはないのに。  先輩だって、そんなことは気づいているはずなのに。  譲は、先輩の腰に手をまわした。男の割に薄く、細い腰だと思った。
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